小田原に移住し、田畑を借りました

仲間二人と一緒に田畑を借りて、軽く自給自足してみよかー。ちうことで、急きょ小田原に引っ越した。小田急足柄駅の近くで、平野から山に入って行くあたり。仲間の一人は仕事があるから東京に住んでるけど、もう一人は私と一緒にルームシェアする。

なんで小田原かというと、あしがら農の会ちうNPOを通して田畑を借りるから。そのNPOは休耕地をとりまとめて、農したい人に貸す仲介をしてる。考え方が合ってるし、組織の形態(ゆるゆるです)がちょうど良かったんで、そこに決めたんね。


ちょとわかりにくいが、川に細い木の橋が架かってて、その手前に並んでいる棚田の上から三枚が、うちらの借りた田んぼ。もう五年くらいほったらかしになってるんやと。写真奥の山には子の神社という神社があって、やから下の二枚とうちらの三枚を合わせて「子の神田んぼ」って呼ぶことになった。良い名前やなー…

橋の下はちっちゃい淵で、夏には子供が飛び込んで遊ぶらしい。うちらも遊ばせてもらう、もちろん。箱根の外輪山のほうから流れてくるんやろか、上流にあんまり民家も無いから水はきれいや。

田んぼのあたりから、からうじて海も見える。天気良かったら、こんなふうに三浦半島も見えるんよ。

こんな齢になってもて、他にいくらでもやるべきことはあるやろうに、普通にはした金で買える米やら野菜やらを自給するとか、意味無いなーとは思う。その程度の常識は持ってるけども、やらなあかん気もして、とりあえず来てみた。

研究がらみでフィールドワークの真似事する時もそう思ってたけど、やって考えるんとやらずに考えるんは違うと思うんよね。実際に経験した体で考えれば、そうでない時とは違う発想が出てくると思う。まだ予想はつかんけど、五感で受容するモノの多義性に賭けてみよと思う。

場所もそう。田舎に住むんと都会に住むんでは、考え得ることの範囲に違いが出ると思う。田舎から東京に出てきた時、東京で育ったやつの考え方に馴染めず苦労したけど、そのせいやと思うし。自分の目指すもんは、たぶん都会におったら得られん。ここで、小田原で、自分でつくる。