マゼンタが特別なワケ?

昔の自分と同じ間違いをしている人がいた件。
具体的にどこが間違ってるかというと、以下の部分。

 

同時に複数の波長が飛び込んできたときには、その中間の波長の光を色として認識することになります。たとえば緑色の光と赤ならその中間にある黄色と認識するわけです。

 
気になって原文を読むと、以下のように書いてありました。

 

If the eye receives light of more than one wavelength, the colour generated in the brain is formed from the sum of the input responses on the retina. For example, if red light and green light enter the eye at the same time, the resulting colour produced in the brain is yellow, the colour halfway between red and green in the spectrum.

 
1文目は訳文側の誤訳ですが、2文目は原文のまま。というか、原文の1文目は生理学的に色が決定されることにまで言及できているのに、なぜ2文目で「スペクトルの中間の色をとる」などと間違っているのかが謎。案の定、原文のほうでもコメント欄で色々と突っ込まれています。

 
以下、自分の理解してる範囲でこの問題を説明してみます。裏を取ってない部分もあるし数値は適当なので話半分で読んでください。

 
人間の網膜には錐体という細胞があって、目に光が入ってきたときに刺激されます。錐体はS,M,Lの3種類があり、それぞれに反応特性が異なっていて、目に入ってきた光の波長によって刺激される量が変化します(参考図)。例えば、450μm付近の波長を持つ光が目に入ってきた場合、錐体が刺激される量はS:M:L=6:4:3の割合になります。そして脳はこれら錐体の刺激されっぷりを見て「お、これは青だな」などと識別します。
もし複数の波長の光が同時に入ってきた場合、個別の波長ごとに刺激される量の合計のぶんだけ錐体が刺激されます。例えば、625μm付近の波長を持つ光に対して錐体はS:M:L=0:1:4の刺激を受けます(これ単体に対しては、脳は「これは赤だ」と識別します)が、これと先ほどの450μmの波長を持つ光が同時に目に入ってきた場合、その合計であるS:M:L=6:5:7の割合で刺激を受けることになります(原文はこれを「スペクトルの中間を取る」こととみなしているのが誤り)。
ここで重要なのは、脳が色の識別を行なうとき根拠にするのは、目に入ってきた光の波長そのものではなく、その波長によって錐体が刺激された度合いである、ということです。言い換えれば、複数の波長の光を混ぜ合わせたものAとBがあったとき、AとBが同じ刺激を錐体に与えるなら、AとBを構成する波長の内訳が互いに異なっていたとしても、同じ色として脳に認識されてしまう、ということです。400μm付近の波長を持つ光はS:M:L=9:4:4の刺激を生じます(脳は「紫だ」と識別します)が、先ほどの450μm付近の光(「青」)と625μm付近の光(「赤」)をある割合で混ぜたものと、この400μm付近の光(「紫」)と625μm付近の光(「赤」)をある割合で混ぜたものとが、(それぞれの刺激を単純に合計するだけなので)似通った刺激を錐体に与える場合があり、脳はそれらの区別をつけることができない=前者と後者とで見ている色は同じであると識別してしまうのです。「赤」と「青」を混ぜると「マゼンタ(赤紫)」に見える、というのは、まさしくそういう現象なのです。

 
注意したいのは、「マゼンタが幻覚・架空の色だ」と言われるのはこのような錯覚的現象によって識別されうるからではない、ということです。この錯覚的現象によって識別されうるという点は他の色にもあてはまり、例えば570μm付近の波長の光によって引き起こされる「黄色」の識別は、625μm付近の光(「赤」)と550μm付近の光(「緑」)の混合によっても引き起こされます。マゼンタが他と異なるのは、複数の波長の光の混合によってしかその識別を引き起こしえない=その識別を引き起こす単一の波長の光が存在しない(つまり「黄色」で言うところの570μmに相当する波長が存在しない)ということです。脳内で錯覚的現象が引き起こされることによって初めて現出する色であるがゆえに「幻覚だ」としているのでしょう。

 
ただ、個人的には、そのような見方は本質的ではないように思います。先述した色の識別のメカニズムを踏まえれば、そもそも色という概念自体、光の波長に対してというより、むしろ網膜の入力応答パターンに対して決定付けられるものと考えるほうが妥当で、人間の内部システムが勝手に決めた分類のローカルルールという点ではマゼンタもその他の色も大差ないように感じられます。

 
以下、余談。

 
上で述べた錯覚的現象には、実は我々は常日頃(今この瞬間にも)お世話になっています。TVやPCモニタがその典型です。
赤・緑・青が「光の三原色」である、ということは広く知られていますが、なぜこの3色なのか不思議に思ったことはないでしょうか。その理由は、3種類の錐体それぞれが最も過敏に反応する波長が、それぞれこの3色に相当するからです。すなわち、この3つの波長の光を強弱つけて組み合わせることによって錐体に任意の入力応答パターンを引き起こすことができる=脳の色の識別に対して任意の色をエミュレートすることができる、ということです。TVやPCモニタは各画素ごとにRGBを強弱つけて出力する能力しかありませんが、この原理のおかげで、人間の脳に対しては任意の色の識別を再現することができるわけです。例えば、570μm(「黄色」)の光を放つ恒星をデジタル写真に収めてPCモニタ上に表示した場合、それは570μmとは異なる(RGBそれぞれの)波長の光の混合に置き換えられてしまっているのですが、人間には区別が付きません。

 
ちなみに、印刷物などにおいてRGBではなくCMYKが用いられるのは、TVやPCモニタが自分自身で光を放射することによって人間の目に光を届けているのに対して、印刷物などは他の光源からの光を反射させることによって人間の目に光を届けている、という違いです。
通常、我々が物体を視認する際、多くの場合その物体自身が光を発しているのではなく、他の光源からの光がその物体に当たって反射しているものを見ています。このとき、物体に当たった光のうちいくつかの波長の光は物体の表面に吸収され減衰し、その残りだけが反射して人間の目に届くことになり、したがって物体に吸収されずに残った光の中に含まれる波長の組み合わせによって引き起こされる網膜の入力応答パターンが、その物体の色として脳に識別されるわけです。リンゴが赤いと識別されるのは、リンゴの表面が赤(と認識される波長)以外の波長の光を全て吸収しているからです。
絵の具やインクの発色も同じ原理に従います。ある色の絵の具は、その色に相当する波長の光以外の光を吸収する粒子(と、紙に定着させるためのノリ)の塊です。例えば、625μm以外の波長の光を吸収する粒子から作った絵の具は赤い絵の具であり、450μm以外の波長の光を吸収する粒子から作った絵の具は青い絵の具です。そこで赤い絵の具と青い絵の具をしっかりと混ぜ合わせると、625μm以外を吸収する粒子と450μm以外を吸収する粒子が均等に混在するようになり、625μmと450μmの光が均等に反射されるようになりますが、単位面積あたりで反射される625μmの光の量と450μmの光の量は(それぞれの粒子の密度が単位面積あたりで以前の半分になっているため)、元々の絵の具それぞれの反射していた光の量よりも減ることになります。結果として、発色の悪い赤紫になります。
このことからわかるように、絵の具やインクのような「光の反射」方式では、色を担う要素(=絵の具やインク)が「反射する光を制限する」ことによって色を表現しているがゆえに、要素どうしを混ぜ合わせていくことは反射する光を減らしていくことになり、発色が悪くなっていきます。TVやPCモニタのような「光の放射」方式の場合には、色を担う要素(画素の発光)が光そのものであるがゆえに、要素どうしを混ぜ合わせていくことは光の量そのものを増やすことになり、輝度が上がっていく、という傾向とは対照的です。
このことを踏まえると、絵の具やインクについての混色は、白色光(=可視光域の全波長を含む光)を基準として、そこに絵の具/インクを混ぜていくことにより反射される波長を減らしていって目的の色にするという考え方をする必要があります。ここで、『「光の放射」方式において、「3種類の錐体の刺激によって脳による色の識別が決まる」から「3種類の錐体のそれぞれ1つのみを刺激する」ものとして「光の三原色」を定義すれば、その組み合わせで任意の色が表現できるようになった』ことを思い返せば、「光の三原色」それぞれ1つについてのみ減衰させるもの=「3種類の錐体のそれぞれ1つのみを刺激しない」ものとして3種類の絵の具/インクを作れば、その混ぜ合わせによって「光の反射」方式においても任意の色が表現できることがわかります。
すなわち、赤だけを反射しない=緑と青を反射する=シアン、緑だけを反射しない=青と赤を反射する=マゼンタ、青だけを反射しない=赤と緑を反射する=イエロー、の組み合わせがその解であり、これが「色の三原色」になるのです。この3つのインクを白い紙の上に濃淡をつけて吹き付けてやることで、任意の色として識別される光の反射を実現できます。例えば、シアンとマゼンタを混ぜ合わせると、これらは青を共通に反射し、それぞれが赤と緑を減衰させるので、発色のよい青色を表現することができます。このシアン・マゼンタ・イエローの3色に、無彩色の描画や明暗調整に便利な黒を加えると、CMYKとなるのです。

 

 
(追記)

 
タッチの差で元エントリの方が訂正補足エントリを書かれたようです。私の文書よりも問題点が簡潔にまとめられているのでこちらもご参照ください。