出られりゃ何でもいいのか


猫ひろしオリンピックのマラソンでカンボジア代表になる話だけど、これはダメでしょう。ダメってのは、ルール違反って意味ではなくて、倫理観の欠如ってこと。
確かに、今までも様々な競技において選手が国籍を変えて代表を目指す例は少なくないけど、ほとんどの場合、帰化人としてその国で暮らすことを覚悟したうえ、標準記録をきちんと満たして出場権を得るべく同国内の他選手と凌ぎあってるでしょ。
それに比べて猫ひろしの場合は、「スポーツ弱小国でもオリンピックに代表を出場させられるように(標準記録に達してなくても出ていいよ)」という名目で用意された出場枠を、スポーツ先進国の人間が単発でオリンピック出場するために短期的にその国の国籍を取得してまで獲得してるわけで、制度的にそれを禁じる規則が無かったとしてもそれをやってしまうのはそもそもその出場枠が設けられた理念を蔑ろにすることになるのは明らかじゃん。そこで自制すべきを自制しないんだから、オリンピック出場という目的のためにマラソンという競技やカンボジアという国を利用してるだけ、と見られてしまうのは避けられないのでは?


悪用できる制度が悪い、とも言えるけど、「とも言える」だけだよね。悪用する奴の意志の問題はそれで不問になるわけじゃない。もちろん制度を改正するならするですればいいけど、それによって代表選考の自由度が減って困る(今後、善意のケースであっても改正後の規制に引っかかってしまうかもしれない)のはスポーツ弱小国であって、本件を主導してる連中じゃあない。結局こうやって制度の穴を突こうとする奴が出てくれば出てきただけ、本来なら不必要だったはずの規則が新たに作られて、それによる社会コストが増大するというオチ。見方を変えれば、そういった輩は将来の社会コスト増大分と引き換えに自らの目的を果たしてる、とも。
カンボジアの政府やカンボジアの陸連が悪い、という議論も同様で、相手が応じるからやっていいって話じゃなかろう。その理屈が許されるなら、二束三文の物品を「霊的な力があって幸福になれます」って騙して高額で売りつけるのも、互いの合意があるんだからOKってことになっちゃう。非対称性が存在する関係の中に、より優位な側として自分が置かれたとき、その優位性をどのように扱うかによって、その人の品性なり理性なり良識なり誠実さなりが浮き彫りになる、と思うんだけど、本件にもまさにそういう部分が現れているように思う。


とりあえず彼をスポンサードする企業は声高に名乗り出てほしいな。そこの商品やサービスは利用しないことにするから。