作品に対する移入と作品をネタに自分を語る話

School daysを(おかず|エサ|つまみ|肴|ダシ|ネタ)に恋愛倫理について語ることが盛んである。
これについて(そもそもこの作品をまともに見ていない|自分が言及すると激しく地雷を踏むことになりそうな)ので詳しい言及は避けるが、「もし自分が主人公の立場にいたら」といったことを考えた。
これは明らかに今までの自分にはなかった思考経路である。もしこの思考経路が小学生の時にあったなら、読書感想文を書くことが非常に簡単だったに違いない。私がまだそのような思考を半ば強制されていたとき、私は「そのようなことを考えても無意味である」「ありえない想定であるし、そもそもその思考の妥当性を検証する術がない」と考えていた。はぁ。遅いんだよ。身につけるのが。
で、そういうメタな話は終わりにしてベタな話を誤解誤謬は承知ですると、「だからモテはモテにまかしときゃいいのに言わんこっちゃない」と一言だけ申して終了。

誠殺してどうすんの

School days一緒に見て喧嘩して別れた、っつー話が増田にありましたけれども。
本気でモテを憎んでる人間はもっとそういううまい方法を考えるべきだと思う。
カップルが並んで歩いてるところを割り込んだって仕方ねぇだろ。そんなんガキでも出来るわ。非モテロでもなんでもねぇよ。
もっと本気でやれよ。やりゃ出来んだろ。
もっとモテの欺瞞を暴けよ。何も暴力的な手段に出ろ、というわけではない。
ちょっと小突けば別れるようなカップルなんざごまんといるんだから、そこから手をつけていって、雪崩現象を起こさせればいい。
奴らは幸運にも自分の身分を隠すような工作はしないから、選択的に攻撃を加えることは簡単なはずだ。
それが出来ないなら、第2第3のSchool daysが出てくることを非モテロリストは望むしかないし、望むべきなんだ。
誠死ね」なんてとんでもないんだよ。「誠様ありがとうございます」なんだよ。

日記を書く

チャットで「〜〜ってなに?」と発言したときに「ぐぐれ」と返すのは、それは別に強く糾弾すべきでもないんだけれども、この「〜〜ってなに?」っていうのは「〜〜とは何かをあなたは私に教えなさい」という意味だけではなくて、「私は〜〜について知りません」という身分表明でもあるので、それを書くことを禁じるのはよろしくないなぁ、と思った。字面しか追えない自分に対する自戒。もっと語用論を勉強してなんとかシンタクスに振り回されないようにしたい。