柳家喬太郎独演会 三鷹・鎌倉

三鷹へ。
「師走、忠臣蔵にて御機嫌伺い候」というサブタイトルのついた独演会。
それ以来、
雪をけたててサクッサクサクサクサク
とか
命惜しむな名をこそ惜しめ
とか
市馬さんの俵星玄蕃が、頭の中でぐるぐるまわって止まらないのだ〜〜。冬というのにやたら陽気な私の脳内。


この日の聖夜の義士もそうだったけれど、喬太郎さんの作る噺は、ときどき、むしょーに切ない。
落語を聴いているということを忘れる種類の切なさだ。
そういうのに出会うたび、或いは文七元結で一撃を喰らったときなんかに、このひとは、いったい、本当は何屋さんなのだろう・・・と思う。
単に「落語をやるひと」ではないというか、いや、実際には、そんな分類上のことはどうだっていいのだけれど、ただ、やってること・やろうとしていることのスケールに違いに、ときどき魂消るのだな。


そして、市馬さんの七段目。ご馳走!!
団十郎さんの真似がツボだった・・・。
関西の噺家さんのものしか聴いたことがなかったので、軽味の抜けた芝居台詞は新鮮で、わくわくした。芝居好きにはたまらない噺なのだということを、久しぶりに思い出す楽しさ。


中入りの後に市馬さんが出てきて歌ったときは(細長いミラーボールを初めてみた!)、それこそ、ご馳走だ〜〜ぐらいにしか思っていなかったのだが、終わってみれば喬太郎さんの噺のエピローグのようでもあり、ちっとも余興なんかじゃなかった。色にすると対照的なのだけれど、噺に併走し、共鳴し、かつ補完していたというか・・・。全部、計算づくなのだとしたら、やっぱり喬太郎さんはすごいと思う。


トリネタの喬太郎さんは黒紋付姿。初めて見た。なんとなく、こちら側の気持ちも引き締まる。
そば屋と玄蕃は、通じそうで通じない。通いそうで通わない。或いは、通いたくても通わない? 十兵次は本懐をとげたけれど、「先生には何もできません」と言われた玄蕃自身の問題は、どうなったのだろうな・・・。


よい会の後の、余韻が好きだ。
ご機嫌で帰る三鷹の夜道。



次の日は、早々に今年の落語おさめ。
〆は喬太郎さんの文七元結
いろいろあったのだろうけれど私には十分な高座で、これで〆られる幸せをぐぐっとかみしめた。そもそも気がついたときにはとっくに売り切れていた会だったのだ。なんだか本当に色々ありがたかった。感謝しつつ。