父の詫び状

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
宴会帰りの父の赤い顔、母に威張り散らす父の高声、朝の食卓で父が広げた新聞…だれの胸の中にもある父のいる懐かしい家庭の息遣いをユーモアを交じえて見事に描き出し、“真打ち”と絶賛されたエッセイの最高傑作。また、生活人の昭和史としても評価が高い。航空機事故で急逝した著者の第一エッセイ集。

 「戦前の生活」でこの本が引用され、戦前日本のサラリーマン階級の生活が描かれている(うろ覚えなので言葉は違っていると思うが)などと、書かれていたのを見て、興味がわいて読了。しかしまあ、そんな紹介をされていたせいで全編戦前の時代を描いたエッセイだと思っていたが、別にそういうわけではないのね。
 その本で引用されていたエピソードであり、表題作でもある冒頭のエッセイ「父の詫び状」は、保険外交員だった父が部下などにもてなすための酒は、配給の分だけでは足りなかったので自宅でどぶろくを作っていたと書いてあるが、これって戦後すぐのエピソードなのね。しかし手紙で、「此の度は格別の御働き」と朱筆で傍線が引かれていたとは、古いタイプの親父さまがそんなことを感謝しながらも、真面目な顔をして書いていると思うと、少しほっこりする。
 「お辞儀」で祖母の通夜に、会社の社長が来たときに卑屈にさえ見えるお辞儀をして迎え入れた姿を見て、家では暴君振りを発揮していたが外ではこの姿で戦っていたのだと思い許そうと感じ、そして「今でもこの夜の父の姿を思うと、胸の中でうずくものがあ」り、親のお辞儀を見るのは複雑なもので「面映ゆいというか、当惑するというか、おかしく、かなしく、そして少しばかり腹立たしい」というのは、そうした父の姿を見るのは切なくかなしいだろうから、その気持ちは共感しやすいし。特に向田さんの父のように、そうした家で絶大な権力を振るっていたような人のお辞儀というのは、子どもにそれはもう何にも形容しがたい感情を覚えさせるものであろう。
 そんな暴君的な父ではあるが、向田さんが子どもの頃に肺病にかかったおり、家を買うための貯金を全部医療費に使い、また280日に渡るタバコ断ちをしていたというように、愛はきちんとあった。
 黒柳徹子のことを「黒柳徹子嬢」と書いているのは、現在しか知らないから、ちょっとインパクトある。しかし留守番電話が出始めの頃の話で、黒柳さんが向田さんに留守番電話を残そうとしたときに、当時の留守番電話は1分で一旦切れるというものだったが、機械に向かってどう喋るべきかわからないからはじまってなかなか要件に入れず、9回分喋って、結局最後は会って直接お話しするという言葉が残されていた、というのは現在のイメージとまったく変わらないな(笑)。
 空襲された次の日に、被害が甚大だったから、この分では次にやられると思い、最後に美味いものを食べて死のうと、父がいつになくやさしく、母は笑い上戸になりながら、戦時中では取っておきのご馳走を、前日の名残でどろどろに汚れた畳の上に敷物を引いて食べ、そして食べ終わった後、その泥だらけの畳を掃除しようとする母を、「掃除なんてよせ」と泣いているような顔で、低い声で叱ったというエピソードは強く印象に残った。
 寝る前に必ずお経を上げる熱心な仏教徒である祖母は、未婚の母で、遊び好きで、父が結婚した後にも色恋沙汰があったという、当時では珍しい人ということもあり、わずかしか登場しないのにすごくしっかりと印象に残る。父はそんな祖母を「最期まで許さず、扶養の義務だけは果して死に水を取ったが、終生、やさしい言葉をかけることをしなかった。祖母も期待はしていなかったろう。そういうあきらめのいいところがあった。」(P116)というところだったり、向田さんが祖母に浦島太郎の話を読み聞かせてもらったとき、最後を「浦島太郎は、白髪のおばあさんになってしまいましたとさ」と言って放心していたというエピソードは、それに対する向田さんの「若さにまかせ、気持ちにまかせて、好きに振る舞い、まだ大丈夫とたかをくくっているうちに髪に白いものがまじり、時間が足りなくなって取り返しがつかなくなる。祖母は、自分にいいきかせる形で、私に教えてくれたのだ。」(P118)という説明もあいまっていいね。
 子どもの頃に食べたおやつが、ボーロ、ウエハース「ビスケット。動物ビスケット。英字ビスケット。クリーム・サンド。カステラ。鈴カステラ。ミルク・キャラメル。クリーム・キャラメル。新高キャラメル。グリコ。ドロップ。茶だま。梅干飴。きなこ飴。かつぶし飴。黒飴。さらし飴。変わりだま(チャイナ・マーブル)。ゼリビンズ。金平糖。塩せんべい、砂糖せんべい。おこし。チソパン。木の葉パン。芋せんべい。氷砂糖。落雁。切り餡。味噌パン。玉子パン。棒チョコ。板チョコ。かりんとう――」と列挙されているが、「昭和十年頃の中流家庭の子供のお八つは大体こんなところ」だったということなので、なかなか興味深い。しかし良く知っているものに混じって茶だま、変わりだま、チソパンなど字面ではどんなものか想像がつかないものもちらほら。