嘘だと言ってよバーニィ

diktator2006-03-01

いまだに存続していることさえよく知らなかった日本テレネットが、今になって18禁ADVでヴァリスの新作を出すという。
ヴァリスX(クロス) 〜優子・もうひとつの運命(さだめ)〜」
http://www.telenet.co.jp/
http://www.bb5.jp/pr/valis/
これが公式って本気ですか正気ですかorz


あの系統のコスチュームはビキニ鎧と揶揄されたりもしたが、アクションゲームとして認知していたものが20周年という節目にいきなりこういう使い方されるのは不可解である。それでもヴァリスのエロゲ化自体はまああっても良いかと思わないでもないのだけど、これ見ててどうにも違和感が拭えないのはやはり第一に絵の問題があるのではなかろうか。吾輩はこの絵師自体は嫌いではないものの、「ヴァリスの優子」として考えるイメージと今回はかなり剥離しているように感じる。
少なくともヴァリスというアクションゲームをベースにして考えるならば、汚すは汚すでも“覇気や希望を湛えた夢幻の戦士”がやられてしまうという構図を前提とすべきではなかろうか。しかしこの画面写真の印象はANIMとかルネのゲームのようにそういう目に遭うのが前提であるかのような諦観イメージしか読み取れない。まさに「そういう運命」の世界の物語ということなのか。同人がそこだけ抽出して作るのならわからないでもないが、オフィシャルに「ヴァリス」と銘打ってそういうだけの内容で作るというのはどうにも解せない。


あまりにも予想外の事態だったため衝撃は大きかったけれど、吾輩個人としては「ゆんちゅ」という希代の腐れ捏造ゲーを目の当たりにしたばかりなのでまだダメージは少なかった。


見えない設定

鍵姫物語 永久アリス輪舞曲

第09話「Turtle's Story」

前回あれだけ無茶をやったのにまだ冒頭でアスカと共闘してることに驚き。
しかし前から思ってたことだが、「さすがはここまで勝ち抜いてきたアリス能力者ね」とかいう以前に4対1(有人とアスカも入れると6対1)という構図がまず根本的に間違っているとしか思えない。
これまでは有人を取り込もうとする自爆霊とか、暴走する能力のままに破壊を繰り返すだけのファイアスターターとかイレギュラーな相手が多かったから目立たなかったものの、こうして能力者同士で正面から物語を賭けて戦うというときに一人の敵を囲んで集中攻撃する時点でアスカさん羽根アタックが無くてもイジメというか一方的なリンチにしか見えない。
いや特に制限が無いなら戦略的には非常に正しいし、その大所帯に一人で挑もうとする方がどうかしていると言わざるを得ないのだけど。普通に考えたら林立する派閥同士の抗争とかに発展しそうな気がする。ただそれはそれで乙女決闘ものとしてどうなのかと思わないでもないが。
見てる限りアリス能力者は精神疾患レベルに性格飛んでる人が多い*1ので、単に有人(武力3・統率92)がいないと集団行動取れるほどの協調性が無いだけなのやも。


そして今回遂にアスカの不意打ち羽根アタックを喰らったキリカ先輩が脱落。前回といい妙に重い話が続く。ただトラウマになっている出来事がアリス能力をきっかけとして発生しているキリカ先輩の過去話を見てると、トラウマの内容はさておきアリス能力の設定がますますよく分からなくなってきた。
アスカが言う“アリス能力者の物語の裏にある醜いもの”のできるきっかけがアリス能力だとしたら順序が逆になってしまうのだけどその前後の関係はどうなっているのかとか、幼少の頃から鍵持っていたということはどんだけ長いスパンで能力者やってるのかとか、彼女らは幼少の頃からこんなペースでバトルしてるのかとか、一応アリスの物語が好きであることが条件らしいアリス能力者がどれだけいるのかとか、これまで相手としてこの街の中に住んでいる能力者しか出てこなかったけどアリス能力者がどれだけの範囲に分布しているのかとか、そもそも具体的に物語をどれだけ集めたらいいのかが全く示されてないから流れが見えないとかいう疑問は山のように噴出。そういえば「神無月の巫女」でもちょうどこのあたりで目標ライン・最終防衛ラインが見えないことに戸惑った覚えがある。


そしてアスカさん羽アタックが通じないありすの謎に踏み込みそうなところで今回は終了。
残り三話、非常にアレなありすの正体もそろそろ明らかになるのかしら。


*1:有体に言えばみんな揃ってキ印。

脳内とか

読売夕刊にまた「本田透のキャラ読み!」が載っているのを発見。
前回の記事がどうにも腑に落ちない内容だったためちと懐疑的なイメージがあったものの、今回は前回に比べてキャラという観点からの把握としては普通に見られる内容だと思える。
…のはいいのだけど、ここから喪男についての論をぶち上げ始めたところでまたよく分からなくなった。
脳内で記憶を際限なく理想化してしまったため眼前に本人がいてもそれと気付かない少女郁に対して、夢を壊さないよう耐え忍ぶ男。彼を喪男と呼び、喪男の恋とは萌えて忍ぶことだと言う、その「喪男」の定義がまず掴み難い。そして元々恋愛は脳内イメージで行うものだという説明があった後で、彼の哀れさについて『郁に「いつまでも夢見るな、いいかげん目を覚ませ」と説教したいですよ!』と言って締め括るのはどういう意味なのか。場合によってはそれこそ郁は己の脳内イメージに“萌え”てればいいのではないかという見方さえできないことはない。
記憶の中の王子様を美化しすぎた郁が“目を覚ます”ことというのは脳内イメージを捨てて彼と付き合えということなのか、それとも彼に負わせることを止めて脳内イメージと認めたうえで萌え暮らせということなのか……と思案してたら釈然としない理由が分かった。前の「容疑者Xの献身」のときもそうだったが、「現実の女性に恋をせず秋葉に行って二次元キャラに萌えろ」とか「脳内イメージを美化した夢を見続けず目を覚まして事実を見ろ」というキャラ当人に対する(その作者に対するものではない)主張・文句は「そうしていなかったことの結果」の否定ではあるが、それは読んでないと全く分からない「そうしていなかった理由」の是非の検討も「その結果からの回復の可能性」への言及も無いままでただ投げっぱなしなのだ。だからこの部分はチラシの裏にしか見えなくなってしまう。


あとどうでもいいが同じ頁の週間ベストセラーで6位がメガミ文庫魔法少女リリカルなのはだったのには噴いた。