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2008-05-27

[][]日本軍の悪習 初年兵に対する私役やビンタ 22:38 日本軍の悪習 初年兵に対する私役やビンタを含むブックマーク 日本軍の悪習 初年兵に対する私役やビンタのブックマークコメント

4121017595言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (中公新書)
佐藤 卓己

中央公論新社 2004-08
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言論統制」を読了。本書では戦後、言論弾圧の代名詞のように語り継がれてきた鈴木庫三(すずき くらぞう)少佐について、言論弾圧したのは事実だけど実際は言われているような悪いヤツじゃないんだよ、ということが当時の日記を追いながら書かれています。この人のヤバイ思想に無批判なところに物足りなさを感じましたが、鈴木庫三が1918(大正7)年に*1輜重兵第一大隊の候補生として軍隊内での露骨な階級格差や古参兵、上等兵の初年兵に対する横暴、私的制裁、暴力について「人道上よろし宜(よろ)しからざるべし」「古参者より受けたる不正当にして蛮的なる圧制」「遺伝的軍隊の*2陋習」と批判しているところが興味深かったです。第一次大戦後の平時においてすでにこのような問題があった状況は、日中戦争以降の戦時動員で膨張した軍隊では急速に悪化したことは想像に難しくないと思います。

日本軍が占領した地域で住民に対してもビンタを行い反感を買っていたことはJ-Seagullさんがこちらのエントリで触れているので紹介しておきますね。こちら:占領地に「日本式」慣習を持ち込んだ日本軍:考察NIPPON



4061857711コミック昭和史〈第3巻〉日中全面戦争~太平洋戦争開始 (講談社文庫)
水木 しげる

講談社 1994-09
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「日中全面戦争〜太平洋戦争開始」を読了。1937(昭和13)年の近衛首相の「東亜新秩序」の声明から水木しげる先生がラバウルに出発するまでがマンガで描かれています。本書の後半では新聞配達員をクビになった水木先生に突然、召集令状がきて鳥取連隊に入隊するわけですが、そこから水木マンガでおなじみの初年兵教育と称する上等兵殿のビンタとの戦いが始まるわけですね。*3

p242より

ミッドウェー海戦)その頃ぼくは毎日なぐられていた、のみこみが悪いというのか、平気というのか、気にしなかったのがいけなかった。毎日ビンタがさくれつした。

p259より

軍隊では畳と兵隊は叩けば叩くほどよくなるという信仰があり、ビンタは終わることがなかった。

p137.138より

軍隊で一番軍隊らしいのが分隊です。十人の中に分隊長がおり、その下に古兵(こへい)と称する上等兵がいます。これは普通カミサマといわれ、初年兵をなぐるだけで靴下はもちろんフンドシまで洗濯させる者もいます。ぼくは分隊に新入りがこなかったため万年初年兵でした。古兵どのの無理難題に日々苦しめられるのです。ぼくは今でも初年兵の頃の夢をみます。これほど情けなく苦しいものは世界にまずないでしょう。(水木二等兵がこぶしを握りしめ歯を食いしばっている描写)

p134より(画像はフリーティケットシアター全サービスが終了から拝借。)

f:id:dj19:20080525201007j:image:w80:left二等兵

初年兵と称され一年中、毎日なぐられる


f:id:dj19:20080525201008j:image:w80:left一等兵

いくらからくになるがウカウカしてられない


f:id:dj19:20080525201009j:image:w80:left上等兵

普通にカミサマといわれもっぱらなぐる係りである


f:id:dj19:20080525201010j:image:w80:left兵長

上等兵の上で早い人は分隊長となる、これもカミサマ


「はァじゃねえよ きさまだよ」

ビビビビビン


「はァとはなんだ!」

ビビビビビ の ビビビビビン


「ばっかやろぅ〜!」

ビビビビビン ビビビビビーーーン☆

【追記】

みなんさん「兵隊やくざ」という1965(昭和40)年に制作された映画を知ってました?

舞台は1943(昭和18)年、満州北端の孫呉に駐屯する関東軍部隊にヤクザあがりの初年兵・大宮貴三郎(勝新太郎)が入隊してきて次々にトラブルを起こす、という内容らしいんですが、封建的な軍隊内での私的制裁(ビンタ、鉄拳、足蹴りなど)の様子がけっこうリアルに描かれいるんですよ。これがまた。

*1輜重(しちょう)=輸送に任ずる兵科。

*2:陋習(ろうしゅう)=悪習のこと。

*3:「ラバウル戦記」にはラバウルにいたころ初年兵同士で「敵よりもこの古兵にやられてしまう」と話し合ったことや、「初年兵はすべてノイローゼ気味だった」ことが書かれています。

J_SeagullJ_Seagull 2008/05/28 23:50 TBありがとうございます。

このビンタや目下の者に対する私的制裁の風習はどこから来たのか気になっているのですが、どうにもよくわかりません。
軍に限らず、丁稚奉公の苦労話なども似たような風景がよく見られるようですから、あの時代の日本の特質の一つといって良いのかも知れませんが・・・。

ni0615ni0615 2008/05/29 07:49 おはようございます。(1/みなさん)でございます。
軍曹のビンタと猪木の闘魂注入もしくは合格祈願xxxとの違い、違いがあるのかないのか、ハッキリさせたほうが良いと思う今日このごろでございます。
ビンタされて嫌がるか嫌がらないかの違いだという説明では、嫌がる奴が悪いと平然と言う奴も現れてきそうです。

Prodigal_SonProdigal_Son 2008/05/29 12:11 初年兵の「下」にいたのが軍属でしたっけ?。特に朝鮮人台湾人といった植民地出身の軍属は食べるものから差別されていたといいますね。

dj19dj19 2008/05/29 23:17 J_Seagullさん
何しろ勉強不足なものでいつごろから始まったのかよくわかりません(^^;
日清戦争や日露戦争のころの白兵戦の成功が日本軍の精神主義を生み出したのでその辺りと何か関係がありそうですが、どうなんでしょうね。

ni0615さn(1/みなさん)
おそようでございます、1号さん。
猪木のビンタは人格や人権や個人的判断を否定することはありませんからね(苦笑)
>ハッキリさせたほうが良いと思う今日このごろでございます。

また良質なエントリを期待しております。

Prodigal_Sonさん
戦争末期の南方や沖縄などの島では糧秣の補給が断たれた日本兵もかなり悲惨でしたが、朝鮮人の軍夫や軍属は配給の量に元々差別があったうえ食物を手に入れようとすれば処刑を覚悟で盗むか強奪するしかなかったので、それ以上に悲惨だったでしょうね。

dj19dj19 2008/05/29 23:54 J_Seagullさん
↑書き忘れました。もう1つ思ったのが、外国の軍隊に比べて娯楽や自由な時間がほとんどがなかった日本の軍隊では下級兵士に対する私的制裁は憂さ晴らし的なところが大きかったのかも。

ni0615ni0615 2008/05/30 12:09 Prodigal_Sonさん
座間味村阿嘉島での沖縄戦体験談です。
「朝鮮人軍夫のこと」http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/759.html

ni0615ni0615 2008/05/30 14:52 ビンタを張ってできた大東亜共栄圏>
日本の侵略の底流をなしたもの
明治以来のアジアに対する差別的民族観による破局
高嶋伸欣
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/346.html

J_SeagullJ_Seagull 2008/06/01 00:40 ちょっと思い出したので、追記です。
蒋介石が日本の陸軍士官学校に留学した当時(1904年頃)、すでに上官による制裁を見て、日本軍の問題点として認識していたようです。逆に、冬の朝でのつめたい水で洗顔する、馬の手入れ(世話)を念入りにすることに感心もしていたようですが。
(当時の中国では馬は使い捨て)

あと、外国の軍隊の様子を好く知らないので比較はできませんが、日本軍と一言で言っても時期によって、また同じ時期でもどんな職務でどこにいたかで様子がぜんぜん違いますので、娯楽や自由な時間が無かったとは一概には言えないと思います。
たしかに、前線と後方部隊をローテーションすることはほとんどありませんでしたが、終戦間際の本土でさえ、やることがなくて昼間から酒を飲んでいた話もあるくらいです。
慰安所で行列を作ることもあったようですし、占領地で犯罪を犯すのも飲酒後のことが多くそれが問題視されてもいましたし。

当時は現代に比べれば、日本全体として弱者への配慮が薄い社会であったことに加え、軍人勅諭による、上官の命令は天皇の命令と思えという教えが特権意識を生んで、いまでいうパワハラが横行したのかも知れません・・・。

pipisanpipisan 2008/06/01 19:43 出遅れましたが。
陸軍内務班、海軍の分隊での制裁は、まあ虐待の連鎖といいますか。
上からやられた分を下にやり返すと。
ウグイスの谷渡、だの、蜂巣、だの自転車、だの、
銀蝿してきた酒を飲むための娯楽ですわな。

海軍兵学校の鉄拳制裁も、鈴木貫太郎校長が禁止した時は、
4号も殴られず、その4号が1号になった時は4号を殴らなかったと。

平時の海軍では士官は鉄拳をふるわなかったし、下士も兵を殴らなかった。
ところが、大戦末期になってくると、
士官も兵をぶん殴るし、兵学校出は予備学生をぶん殴る。
吉田満の戦艦大和の最後でもケプガンの臼淵大尉が、
吉田少尉をぶん殴るシーンがある。
また、甲板士官が老兵をぶん殴る。
戦局が悪化して、軍紀は弛緩しまくっていたんじゃないかと。

先日、ソウルに行ってきたんですが、ガイドの青年も兵役で殴られまくったと。
大学出て、ロシア語と日本語ベラベラになって、
なんでこんな連中に殴られるんだ、と思っていたそうで。
まあ、2年兵の時は要領を覚えて銀蝿も堪能した、と言ってましたが。

日本陸軍の血が、まだ韓国陸軍に残ってるんですな。

dj19dj19 2008/06/01 23:55 Pipisanさん
あれ? 二等兵でも銃を持ち「後ろ弾」なんて言葉もあったぐらいの陸軍と、銃を持っていない海軍とでは海軍の方が多少ひどかったのかなぁと漠然と思っていましたが、違ったようですね。勉強になりました。

dj19dj19 2008/06/02 03:34 J_Seagullさん
確かに外国の軍隊といっても色々な国があるし、日本軍といっても時期や配属先によっても違いますね(汗
「外国の軍隊に比べて娯楽や自由な時間がほとんどがなかった日本の軍隊」と書きましたが「欧米諸国の軍隊のように文化、教養、娯楽生活を楽しませる施設を備えなかった」と訂正させてください。これは南京事件と日本人のp64に書いてあることで笠原十九司氏の見解となります。

ローテーションがなかった(日本軍にそんな余裕がなかった)例としては、上海戦に投入された兵士が休養も与えられず南京戦への行軍を強いられた例や、太平洋戦争、中期以降の南方地域での例などが当てはまるようですね。いやぁ、それにしても歴史を語るのは一語一句、言葉の正確さに注意しなければいけないので難しいです(^^;

>軍人勅諭による、上官の命令は天皇の命令と思えという教えが特権意識を生んで、いまでいうパワハラが横行したのかも

私的制裁がいつ頃から横行したのか原因はなんだったのか自分も調べてみたんですが、さかのぼっていくと軍人勅諭にたどりつきました。なんせ上官の命令に反することは天皇の命令に反することと正当化が出来るわけですから、これでは常態化してしまうのも無理はないかと。さらに、大日本帝国憲法を維持していく為に作られた教育勅語も天皇の神聖化と国民精神の統一に大きな役割を果たしていたようですね。

なお前書のp57〜60には軍人勅諭と私的制裁の関係や軍紀維持のために制定された刑律で、将校に対する刑罰(回籍、退職、降官など)と下士官以下(死刑など)と階級差別があったことなどが書かれていました。

(↑J_Seagullさんのコメントを誤読していたので後から訂正しました。失礼しやした。)

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