大連国際音楽倶楽部の活動:2002年1月

大連国際音楽倶楽部の活動ー日中文化交流の小さな礎としてー

大連友の会幹事・大連会評議員
水納 隆司


 9月20日、三年ぶりに大連を訪れた私は、市街中心の大きな変化に驚かされた。賑わいを誇った天津街もきれいに整理され、駅前の地下商城や近代的ホテル、高層ビルがそれに取って代り、大連の大きな変化を印象づけた。京劇に初めて触れた九州飯店裏の工人劇場も今は無い。しかし、抜けるように青い空と乾いた空気、藍色の海は変らず、いつもの懐かしい大連がそこにあった。
 さて94年に創立された「大連国際音楽倶楽部」は、色々の困難を乗り越え、幸い今回第七回目の演奏会を迎えることが出来た。この間、丸紅の高岡慶四郎氏が、コニカの関剛志総経理や元三菱商事の今富晋吾氏等と共に当倶楽部を支え、高岡氏帰国後は、関総経理が中心となって同倶楽部の存続に尽力している。
 特に昨年、同氏の熱意が実り、コニカからの資金援助を元に楽器等の充実が計られ、創立当初からの練習拠点である「中山青少年宮」に於て、チェロ教師である辛亮氏を中心とする子供達のオーケストラ「中山青少年管弦楽団」が設立されたことは特筆されるべきことであった。(辛亮氏や指揮者の金氏等中国側の努力も十分評価したい)
 これにより当倶楽部発足時の、青少年を中心とする日中音楽交流の夢が再現されることになった。実際に、大連鉄路文化宮で、9月23日に挙行された演奏会での、同管弦楽団のリハーサルを二階席で見ていた私は、昔の考書博先生(95年12月逝去)を中心とする、子供達との練習風景が二重写しとなり、何とも言い難い感動が心の底からこみ上げて来た。
 昔からのメンバーの成長した顔もそこにあった。本当に、現地での音楽に対する情熱と、子供達への愛情の深さには、頭の下がる想いがする。今後は大連日本人学校の生徒の参加を期待したい。
 今回の演奏会は、第一部、中山青少年管弦楽団、第二部、中山青少年合唱団(小学生中心)、第三部、大連国際音楽倶楽部の三部形式で行われ、第三部では大連在住の声楽家岡本明子さんの参加もあり、会場を盛り上げた。曲目は紅旗頌や青春舞曲、中国曲のほか、軽騎兵序曲や南国のバラ等の各種ワルツ、またフィンランディア、新世界(四楽章)等が演奏された。
 鉄路文化宮の客席も埋まり、大連テレビ局の取材や採録もあり、音のバランスや細かいミスはあるものの、一段と演奏水準も上がり、日中一体、とりわけ子供達と大人とが一体となった演奏を披露することができ、また我々自身が十分この音楽交流を楽しむことが出来たのは幸せであった。
 今回の成功の原因はいくつか考えられるが、その中で特に、指揮者の鷲見尚保先生(大垣女子短大講師)が大変熱心に指導されたことが挙げられる。先生には、9月に先立ち、7月にも事前練習の為大連を訪問する等、昨年の演奏会に引き続き、今回も大連に対する深い愛情を持って演奏会をリードして頂いた。この他、今富先生や金先生の熱心な指導も忘れられない。
 また日本からは、今回10数名が自費参加したが、この中には初参加の人も6〜7名おり、特に新響メンバーの金管楽器の参加は、大いに効果を上げ、従来無かった重厚で力強い音をつくることが出来た。この新響の他、今回は、都内のアマチュアオーケストラの「東京ムジークフロー」や「日野市民オーケストラ」、「ハイドン室内管弦楽団」等の有力メンバーが参加して、会を盛り上げることが出来た。大連国際音楽倶楽部と日本のアマチュア楽家との交流が更に深まったという意味でも今回は意義があったと思われる。このような交流を基に、更に大連のオーケストラが発展して行けば、昔夢見た、大連の青少年と日本の青少年の音楽を通しての交流、という可能性も出て来るのではないかと思っている。
 帰国後、「大連大好き」となった新響メンバーにより、「大連国際音楽倶楽部、東京支部」のネット連絡網が開設され、メールが飛び交っている。同東京支部は高岡氏を支部長として運営、大連側をサポートして行く体制であり、各種応援策も検討されようとしている。
 ただし、依然として、同倶楽部が厳しい状況であることには変わり無く、ぜひ大連での皆様におかれても、当倶楽部へのご理解とご協力を、これからもお願いしたいと思います。また大連現地でのご参加、ご協力も切に希望しております。
(2002年1月大連会報)

2011年6月28日水納さん提供