◆歯切れが悪いのは仕様です。
2012-01-24
■[blog][雑記]書き残していること、あるいは今年の課題
こんなの書いてる間に一つ書けよ、という気もしますが年の始めおよび年度末ということもあって備忘録として。あるいは宣伝という話も。
大体列挙したつもりなんですが漏れありますでしょうか…一応はてブの「書くかも」タグなどは定期的に見直してはいます。
ニセ科学・「専門家と素人」
見直すと結構色々書いてきたんだなあと思います。実は下書きしてあるものは一番多いんですけどあまり形になりそうにないものばかりです。あと自分が考えていること、言いたいことが他の方のブログやついったーで言われていることが多いのでまあいいやとなることも多く。でもそういうのを紹介する記事を書くのもいいですよね。
ところで、
についてなんですが、この第一回が終わった次の年度に僕の所属が変わってしまったということもあって継続困難(休止中)な状態が続いています。ホームになる所属が無いと色々難しいということを実感した一年でした。ある程度安定した就職ができればなんとかしたいです…
本当はちゃんと社会学などの方の研究も読んでその勉強の成果を書いていけると良いのですが。
理系文系
の評判があまり良くなかったので解説編を執筆中です。そこそこの難産ぐあい。
「日本語に主語はいらない」
今のところこれ以上金谷氏の著作に言及するつもりはありませんが、三上章関係で書いておきたいことが2つほどあります。でも文献あさって読みなおす必要があるのでちょっとめんどう…
ラーメンズで言語学
一応ネタはいくつか考えてあるのですが結構エントリを書くのに時間がかかる(文字おこしとか)のでなかなか進まない。確認のために見直すとそのまま色々見続けてしまうという難点も。
「言葉」ネタ
ブクマでも宣言したので勝手に解説エントリを計画しているのですが、元の発表を聞いてないのでちょっと書きにくいんですよね…でも「正しい言葉遣い」ネタはこっそり力を入れているここの隠れコンテンツの一つですし。
他、今まで通りちょこちょこwebで拾ったネタについて書いていこうかと。
ポスドクのうちに書いておこうシリーズ
- ポスドク?になって院生の頃にやっておけばよかったなーと思ったこと - 思索の海
- ポスドクのうちに書いておこうシリーズ2:厳しさとか人とのつながりとか - 思索の海
- ポスドクのうちに書いておこうシリーズ3:人文と自然科学と - 思索の海
あと2つほど軽めのネタが。下書きに書いておかないと忘れそうだ。
あまり書く予定が無さそうなもの
水伝関係
最近ふと過去の関連エントリをざっと読んでみたのですが、結構色々書いたもんだなあ、と。今のところ書き加えることは無さそうです。
フリスタ関係
実はこんなこともやっているのですが最近全然蹴ってないので…今やったら基本技も怪しそうな気も。
2012-01-22
■[学問][雑記]ノートの取り方は僕も習ってみたかった
大学における、いわゆる初年次教育やリメディアル教育の内容を取り上げて嘆く、というのはここ数年定期的に話題になっている気がする*1。
でも、これらの中でもたとえばノート(メモ)の取り方とか、手紙/メールの書き方とか、自己紹介の仕方とかって環境や内容が変わるとまた新しく習得しなきゃいけない技術や知識も出てくるんじゃないかな、と。就活の時期になったらそれに合わせて自己紹介の仕方を練習するとかしないのかな。
その中でもノート(メモ)の取り方ってなかなか難しい技術だと思う。僕自身、今でも色々模索しているし、大学院の入学後も「大学院でのノート(メモ)の取り方」って改めて授業で取り扱って良いぐらいだと考えている。
上で嘆いている人たちは大学なんかで友人にコピーの順番待ちをさせるぐらい素晴らしいノートを作ることができていたってことですよね、うらやましい。でもそんな人はどの大学でもそんなに数は多くないんじゃないかと思ってた。まさか自分はダルくて真面目にやらなかったけど本気出せばノートを取るなんて簡単、とかじゃないですよね。
もちろん大学(教育)としてその辺りの技術/知識の習得にどれぐらいのリソースを割くべきなのか、という議論はあるだろうし、そんなものは授業で与えても身に付くようなものではないしむしろ自主的な成長を阻害するので授業では取り扱わない方が良いというような意見もあるだろうけれど、僕はある程度の「型」や知識は最初に与えてしまうべきだと(今の段階では)考えている。
なぜかって、そういう「型」や知識を知ったらいきなり上手くなるわけでも「もう知ってるからそこで終わり」でもないし、むしろそこから自分に合わせて、あるいは自分の環境の中で技術や知識をどう使うかを試行錯誤していく過程に、より時間やリソースを割く方が良いのではないかと思うからだ。
2012-01-07
■[理系文系][学問]ポスドクのうちに書いておこうシリーズ3:人文と自然科学と
以下の本に面白い下りがあったので紹介もかねて。
- 作者: 堀田凱樹,酒井邦嘉
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/03
- メディア: 新書
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Y「大学時代、授業で習ったチョムスキーの言語学に衝撃を受けましたが、この頃の私にとっては言葉に関する学問というのは、人文科学の領域に存在するものでした。つまり言語学は文系の学問でしかありえない、と。しかし、酒井先生の『言語の脳科学』を読んで、言葉の核にある文法というものが今や科学の世界では遺伝子や脳のレヴェルで解明されようとしていることに、非常に衝撃を受けました。このような自然科学の精密なアプローチによって言語が解き明かされていくならば、いわゆる人文科学的な方法論による言語学というものに、今後まだ、出る幕はあるのでしょうか。」
酒井「チョムスキーは、言語学を自然科学にしたかったので、モデルとして使っているのは物理学の原理です。私がMITで言語学に接したとき、これはまさに物理そのものだと思って感動しました。言語学がこうした理科系のアプローチによってますます発展していくということを確信したのです。
その一方で、人文系のアプローチの良いところは、理科系のような正攻法で進めず、論理的に進めないところを飛躍してしまうところです。たとえば、この文章はうまいとか、人を酔わせるとか、感動させるとか、そういう主観的なものを科学的に解明するのはまだ難しいわけです。人文系の方が、複雑なシステムの本質を、軽やかに見抜いているところがある。心理的な問題だってそうです。脳科学が対象にする精神現象は、精神分析との間にかなりのギャップがあります。私たちは、その溝を埋めていこうと努力をしているところです。ですから、人文系の人たちも、自然科学をあまり毛嫌いしないで応援してくれると、いろいろな新しい可能性が生まれてくると思います。」
堀田「僕も、人文科学的なアプローチがなくなっていくとは思っていません。ただ、強いて言わせてもらえば、人文科学の方は、必死で努力しているのでしょうか。理系の科学者の方は、本当に必死で努力している。そうしなければこの世界で生きていけない。人文系でも命をかけて努力する人は、確実に人文系を開拓していくはずです。自然科学だけではできないことはたくさんあるわけですからね。だから、彼らは本当に勝負しているんだろうかと、正直に言って不満に思うことはあります。勝負していない人たちが行き詰まるのは当たり前。そういうことです。」
(同書, pp.81-83)
Yさんはサイエンスカフェの参加者ですかね。結構厳しいことも言われていますね(^^;
従来の人文(科)学のアプローチ(の延長)でやれることはたくさんあると思います。言語の記述に限っても、できることは色々残されてるんじゃないかな。
ただ、自然科学や工学の人たちと、もっともっと交流を深めてもいいんじゃないかなあ、というのがここ数年の実感。言語学・自然言語処理合同勉強会での体験も大きいのですが、その他でも、他領域の人たちと話していると言語学/言語研究の知見や知識って気にされていたり期待されていたり興味を持たれたりしていることって意外と多かったのですよね。もちろん逆に、言語学の方で自然科学/工学の成果や知識を知っておいたほうがいいだろう、と感じることも多いです。
院生の頃の話に引きつけて言うと、まあこれは別に自然科学に限らないのですが、他の研究分野の院生がどれぐらい勉強/研究しているのか知るってのはとてもいい刺激になるんじゃないかと思います。僕が未だに覚えているのは、理論物理の院生と話をしていて、彼らのゼミの長さとか勉強量とか、何よりそれらが普通だという感覚に衝撃を受けた体験ですね。単純に量とかで比較して勝ち負けとか言えないかもしれませんが、「負けてられない!」と強烈に思いました。今でも思い出せますし、また忘れないようにしています。似たようなことは哲学の院生とか他大の言語学の院生とかと話して感じたこともあるので、別に人文/自然科学っていうような話でもないんですけどね。あと実験系の人たちが実験にかける手間や実験のデザイン/手順の話を聞くと、「事実/現象が何かを明確にすること」がいかに重要で大変なことなのかが再確認できて良かったり。
結局これも人とのつながりって大事だよ、っていう前のエントリの話につながっていきそうですね。自分は院生の頃、本当に良い出会いに恵まれたし、今でも恵まれているなと思います。
2012-01-06
■[学問][雑記]ポスドクのうちに書いておこうシリーズ2:厳しさとか人とのつながりとか
シリーズ1はこちら
gorotakuさんの以下の記事を読んで
ここまで具体的なことは話しませんでしたが、大学院に進学する時に、複数の院生の先輩から人文系の研究者として生きていくことはかなり厳しい状況だということ、「それでも来るのね」と言ってもらったことを思い出しました*1。
就職状況の厳しさはM1の頃から先輩方の話を聞いていて伝わってきましたし、早くから具体的にそういう情報が得られたことについては今でも感謝しています。
あと具体的に気になったところをいくつか。
大学院にいる間が勝負です。修了後には生活に追われることになります。院にいる間に成果が出なかった人が、院を出てから十分な成果をあげることは限りなく不可能に近い。思い出してください、相対評価です。あなたが院を出てからどんなに頑張ったとしても、あなたの競争相手は「院にいる間からガンガン成果を出していた人」なんです。そういう人達は、大抵院を出た後も成果を上げ続けているんです。
これはホント痛感中(業績が少ない僕が言うと説得力あるでしょ?)。前のエントリでも書いたように、院を卒業すると生活する大変さとかの前に、そもそも新しい環境の適応にもかなりエネルギー/時間を割かれてしまったりします。
人との繋がりは、ものすごく大事です。「コネで就職が決まる」とかそういう話ではありません。あなたの研究のデキは、「あなたがどれだけ賢いか」よりも、「あなたがどれだけ助けてもらったか」に依存します。「誰から、どれぐらいアドバイスを得て、それをどれだけ反映させることができたか」が大事だということです。指導教官や先輩、同級生、学会で出会った他大学の先生や院生と常にコミュニケーションをとり、彼らがくれる大切なアドバイスや教訓をスルーしないようにしましょう。新しい人との繋がりを得られる機会があったら、無駄にしてはいけません。あなたが窮地に陥ったとき、思いもよらないところから救いの手が伸びてくることはよくあるんです。
「思いもよらないところから救いの手が」ってことはホントにあります。非常勤講師とか「誰かいないかな」っていう状況の時に顔と名前を思い出してもらえるとか、公募の選考に関わる(可能性がある)人に少しでも自分の人となりや研究内容を知ってもらえているというのは有利に働くことがあるはず。
僕が重要だなと感じているのは、「どんな小さなところでの口頭発表もどんなところに書く論文/研究ノートも常に全力で」ということです。いや、当たり前と言えば当たり前なんですが、これが意外なところで読んでもらえてたり聞いてもらえてたりしているのですよね。院生のうちは発表や論文をこなすこと自体にいっぱいいっぱいになってしまうことも多いでしょうし、「自分みたいに無名なやつのことなんか誰も気にかけてないよな…」みたいに落ち込んでしまうこともあるかもしれませんが、一方で、自分の知らないところで(もちろん悪い方向にも)どんどん評価がなされていくってことを意識できると良いんじゃないかと思います。
ちょっと打算的なことを書いてしまいましたが、色んな人とつながりができること自体面白いので、いいですよ。僕もあまりコミュニケーションがうまい方ではありませんが、相手がうまかったりしますし。
*1:ちなみに僕が進学したところは一貫制の博士過程。
2011-12-26
■[学問]言語学会シンポジウム「活用論の前線」一人反省会、あるいは活用論雑記
すでに一ヶ月が過ぎてしまいましたが、やはり少し書いておこうと思います。
当日の様子
まず、大会の運営に携わっていた皆様、ありがとうございました。僕自身は二日間あまり余裕が無かったにも関わらずおかげで発表に集中することができました。
さて、二日目の午後ということで参加者は少ないのではないかと予想していましたが、思っていたより多かったですね。なんか風の噂では予稿集もぎりぎりで二日目は足りなくなりそうだったとか。
遠くから参加していたにも関わらずシンポジウムまで聞いてくださった方も多く、嬉しかったです。やはり時間のこともあって終了後はあまり色んな人と話をする時間が作れなかったのが残念でしたが、ちょうど一週間後に東京外大であった日本語文法学会で何人かの方とは話すことができました*1。
発表の感触
プレゼンに関して言うと、自分の中ではここ数年ではワーストから数えたほうが早いような出来でした。ほとんど聴衆の様子を見ながら話すことができませんでしたし…シンポジウム自体の開始が少しずれ込んだこともあって絶対に遅れさせられないというのが最初から頭にあり、その焦りが悪い形で出てしまったのではと思っています。それと、やっぱりここ数年では一番緊張しました。何を話すのかが飛んじゃいそうな瞬間さえありましたからね。僕は日本語で話す時は読み原稿を作らないスタイルが好きなのですが、こういう時は当日読まないにしても一回そういうのを作っておくのも良いかもとさえ思いました。
内容の配分
何人かの方から「前半が丁寧すぎた」「もうちょっと後半の具体的な分析の話を聞きたかった」という感想をいただきました。
実は、内容の配分をどうするのかというのは、このシンポジウムのお話をいただいた時からずっと頭を悩ませてきた問題でした。僕の発表は「分散形態論という枠組みを使う(ことに意義がある)」ということ自体が重要な主張の一つなので、問題設定と具体的な分析に加えて理論の導入にもそこそこ時間を割かないと成り立たないのですよね。それらを30分という時間内にどう放り込むか。
イントロを丁寧にやり過ぎてしまうというのは昔からの僕の悪いクセの一つなのですが、上のような問題があるということがわかっていたにも関わらず、そこをうまくコントロール出来なかったのは完全に失敗でした。確かに計画自体がきつきつだったにしても、前半はもう少し切り詰められたかな、と。最後の今後の課題のところでも一つ面白い(と僕が思っている)問題を用意していたのに、時間の都合でばっさりカットしてしまいましたからね。
質疑応答
僕にはあまり質問無いかなーと思っていたのでいくつか質問をもらえたのは嬉しかったですね。それに応えることで自分の研究の内容や他の研究との関連が見えてくるような良い質問をいただいたと思います。ただ、自分の回答を今思い起こすともうちょっとうまい答え方があったなあ、と悔やむところなのですが…
全体的には、手を挙げてくださった参加者の方がとても多かったのに、時間の都合であまり多くを取り上げることができなかったのは残念でした。終了後の感想でも「もっと紛糾したら面白かったのにね」というような感想もいくつかいただきましたし。いや、あの時間だと仕方ないことですし誰の発表もほとんど時間オーバーしなかったのですが。
僕自信も、言語学会ということでどこからどんな類の質問が飛んでくるかわからず、色んな質問への回答を準備していたのですがほとんど使わなくてよかったのはちょっとほっとしたような、残念だったような…
というわけで勝手に補足
重要だと思うところを少し書いておきます。
他の二人の講師の研究との関係は?
これは必ず出る質問かと思ったのですが、意外と出ませんでしたね。
ものすごく乱暴にまとめると、枠組みの違いはあれど他のお二人の提言(の一つ)は「現代の文法研究の視点から活用を考えなおそう」というところにあると思います。問題設定自体に新しさがあるというわけですね*2。それに対して、僕がやっていることは「文法と形態の結びつき」というところを重要視していて、これはむしろ問題設定としては古典的とさえ言って良いと思います。
で、僕の主張は「分散形態論という枠組みを使うとその古典的な問題に対して新たな可能性が見えてくるよ」というものです。そしてさらに重要なのは、「この枠組み/方法論を使うと文法研究に無理強いしないですむ(例:形態の分布がこうなっているから文法分析もこうなるはずだと言わなくて良い*3)」という点で、この辺りで三原氏や野田氏の研究とのつながりが出てきます。文法分析に重点を置いた研究と形態論/形音韻論/音韻論の研究をそれほど無理なくつなげる方法論を提示するのが僕のやりたいことなわけです。
具体的なことを言うと色々あって、例えば三原氏の研究とは主要部移動(head movement)の適用範囲について現時点では違いがあります*4。
生成文法(ミニマリスト)への貢献は?
これも出るかなーと思ってて出なかったんですが、個人的に聞かれたので簡単に書いておきます。
僕の研究は、現在の生成文法の中で位置づけるなら、インターフェイス研究の推進(具体的な話題や現象の提供)とそこから見えてくる文法モデルの検証と構築、という辺りになる(と良いなあ)と考えています。それが生成文法(ミニマリスト)研究への貢献になるはず。活用研究自体はやはりまず形態(音韻)論とのつながりということでいわゆるPF(Phonetic Form)周りとの関係が重要になってきますが、語彙意味論、モダリティ/モーダルとのつながりも外せないところで、意味(論)関係のインターフェイス周りのこともきちんとやらなければなりません。こちらは苦戦中です…
統語部門((narrow) syntax)ともっと直接関わる話題としては、たとえば「統語部門に音韻素性は存在するか」みたいものがありますが、こちらは今のところ僕の研究から言えることはあまり無さそうです。
本音みたいな
つまるところ、僕は日本語研究というフィールドでも生成文法というフィールドでも「文法研究と形態研究の具体的な橋渡し」がしたいと考えています。
じゃあこういう研究者が増えて欲しいかというと、実はそこまで強い希望はありません。むしろ、きちんとした文法研究や音韻研究そのものをどんどん蓄積していってほしい。僕はそれらがどう結びつくのかを考えるのが楽しいですし、こういう研究を始めたのも一つにはこれまでの文法研究の蓄積とこれからの進展がある程度信頼できるだろうということがありました。ちょっとやな言い方をすれば、僕の研究はいわゆる文法研究に「寄生」していると言えるかもしれません。ただこういう研究の存在、重要性自体は広く知られてほしいですし、あまり人気が無いからといって「取るに足らない領域」みたいに見られるのは嫌ですけどね。たとえば「形態論嫌い」って言われるのは別に良いんです。むしろ僕はたまたまそういう領域が好きなので任せてくれると嬉しい。でも「そういう研究は別にいらない」と言われると寂しいですし言語研究全体にとっては良くないんじゃないかなーと。
まあ僕は文法研究自体も好きですから自分でも色々やるつもりですし*5、「こういうところの研究が進むと助かるんだけど」みたいな提言は色々やっていこうと思います。
もちろん形態論研究に興味を持って実際やってくれる人が増えるのはとても嬉しいですよ!
おわりに
相変わらず最後は愚痴みたいになってしまいました。
気付いている人は多いと思うのですが、僕がこのシンポジウムで話したことはほんの触りでして、実際の具体的な現象の分析を一つ一つ提示していかないと完全に絵に描いた餅なんですよね。これから色んな機会を使ってその具体的な研究を示していかなければなりません。実はこっちが何倍も難しいですしすでに問題山積みです…その分やることいっぱいあって楽しいですけどね!(やっぱり手伝ってくれる人欲しいかも…)
さて、当日のスライドのpdfファイルをアップロードしておきました。ずっと公開しておくかどうかは決めかねていますので、気になる方は早めにダウンロードしておくことをお勧めいたします。pdfにしてありますので当日はアニメーションが入っていたところがちょっとわかりにくくなっていると思いますがご容赦いただければ。
2011-12-14
■[学問]今週末、対照言語学若手の会シンポジウム2011で発表します
昨年に引き続き対照言語学若手の会のシンポジウムが開催されます。今回のテーマは「テンス,アスペクト」「日本語から考える外国語」の二つです。
- 日時:2011年7月17日(土),10時〜17時半(9時半過ぎから受付開始)
- 場所:麗澤大学柏キャンパス,生涯教育プラザ棟1階 プラザホール:アクセス情報(注意!:会場は大学の建物で,特に社会人コースや大学院が入っている「プラザ棟」と呼ばれている建物です)
- プログラム:午前中は統計ソフトRの勉強会、研究相談会で午後13:30から研究発表です。詳しいプログラムは下記のページをご参照下さい。
contrastiveling - The 2nd Symposium on Contrastive Linguistics
僕(ら)の発表は今年も共同研究で、タイトルは「日英語の比較相関構文と指定疑似分裂文における述部定性」です。
この日は全国で言語研究関係のイベントが驚くほど集中しているのですが、よろしければ足をお運び下さい。
第一回の論文集も引き続きよろしくお願いします。
- 作者: 野瀬昌彦
- 出版社/メーカー: 三恵社
- 発売日: 2011/07/01
- メディア: 単行本
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2011-11-21
■[雑記]現在大尉らしい
[TopHatenar] ブックマーク数ランキング - はてなダイアリー301位以下 ブックマーク4244以下
[TopHatenar] ブックマーク数ランキング - はてなダイアリー901位以下 ブックマーク1319以下
現在被ブクマ数1958なので大尉のようだ。
ちなみに今日見てみたTopHatenarの順位。
なんかキリの良い数字ばかり並んでるので記念にエントリとして残しておくことにした。この結果が11月11日に出てたら面白かったのに…
2011-11-17
■[学問][言葉]ことばをとどける(ために添削とかどうでしょう)
はてブのコメントにも書いたのですけれど。
歴史修正主義者とか差別主義者とかを批判していると「そんな言葉は彼らには届かない」というようなことをよく言われます。
ごもっともと思いますので、そう発言される方はどのような言葉であれば彼らに届くのか是非ご教示ください。「彼らに届く言葉」の使用例とその効果のほどを自らの言動をもって示していただけるとなお幸いです。
こういうやりとりって他の文脈でもよく見るなと感じます。
不幸なことに、僕は今までこういう「じゃあ具体的にやって見せてよ」という要求に応じて書かれた具体的な文章を見かけたことがありませんが(たまたまかな)、もしかしたら自分で一から文章を書き起こすというのが大変、というところにそういう応答の悪さの一因があるのではないかと思い至りました。
そこで、より労力が少なくてすむ方法として、「届け方が悪い」と感じた文章を添削してもう少し良い(と感じられる)文章に変換する作業をする人が現れると、いろんな人が幸せになる可能性があるのではないかと考えたのですがどうでしょうか。添削された人は自分の文章について反省できるし、添削した人は「なんだホントにやるじゃん」って株が上がるし、結果としてより多くの人に「届く」文章が生まれるとROMとしても嬉しいですね。
「そんな言い方じゃ私は説得され(たく)ないよ」とか「内容が気に入らないけど具体的にはつっこめないのでとにかく文句つけておくよ」というようなことではなくて、「内容は良いのに表現方法で損をしている(のでもったいない)」ということであれば増田なんかで匿名で書いてトラックバックするなんて方法でも良いと思います*1。
実際は添削してより良い表現に変換するのもなかなか大変な事もあると思いますので、そういう場合は「とにかくここの表現はまずいから削った方が」みたいな部分的な添削でも「なんとなく全体的にダメ」と言うよりはだいぶ効果があるのではないでしょうか。
「より多くの人に届きやすい表現/文章」というのはあるのでしょうが、「全ての人に必ず届く表現/文章」というのは不可能だと思います。そうすると、添削を経て「翻訳」される―元の表現/文章ではカバーできてなかったところに届けられる文章が生まれる―なんてことを負担してくれる人*2が何百人のうち一人でも出てくると良いなあと思うわけです。
おまけ
実際、何かを書くたびに、自分の文章もおそらくこの文体、書き方によって多くの人を切り捨てているのだろうなと考え(るようにし)ています。僕がよくいただく感想は「長い、くどい、歯切れ(思い切り)が悪い」辺りでしょうか。文章を書いて思うのは、「書き方が悪い」というような指摘よりも単純に「長いよ」というより具体的な指摘の方がとても参考になるということです*3。
わかりやすく具体的に指摘してくれだなんて甘えるな、なんて声もあるかもしれませんが、具体的でない批評というのは、なんというかあまり得をする人が出ないケースに結びつきやすいのではないかなあとここ数年感じることが多いのですよね。これについては改めて書くかもしれません。





