内海と外海の境にはテトラポット群が”島”のように浮かんでいた。ボクはそこに沢山の蟹がいたり、貝がコンクリートの側面にへばり付いているのを知っていた。そこから泳いで戻ってきた小学生らの会話を聞いていたからだ。でも、まだ幼かったボクにはまで泳いで行けなかった。ボクは恨めしそうに父の顔を見詰めた。すると父はボクを浮き輪の真名に入れ、テトラポット群まで押しながら泳いだ。
 無数のテトラポットが積み上げられた”島”には、蟹や貝目当ての子どもらでいっぱいだった。とても食べられるものではないから、みんな観賞用に捕まえるのだ。ボクもその一人だった。でも蟹を捕まえるにはボクはまだ幼過ぎた。ようやく追い詰めた蟹に逆襲に遇い、指を思い切り挟まれた。父の笑い声がして、ボクは泣きべそを掻きながら再び浮き輪の真ん中に入り、父に押されて砂浜まで戻ったのだ。母が用意してくれた握り飯と麦茶を飲み、気付くと日傘の下で眠っていた。
 購入したてのサニーに乗り込み帰路に着いた頃、まだ陽は高かったけれど窓を開け放つと涼しい風が車内に吹き込んできた。海岸線を北上し、直江津の手前で長野方面へ曲がったところで魚市場に入った。そこは見覚えがあった。たしか昨年も海水浴の帰りにここへ寄ったと思う。もしかしたら一昨年も寄ったのかもしれないが、まだボクは幼過ぎて記憶に残っていないのだ。
 市場の中へ入ると、人でごった返していた。近所の魚屋や、最近ちらほらと建ち始めたスーパーマーケットで買うより新鮮で安い魚を買えるという事で海水浴客に人気らしい。ボクら家族もそんな客の一人だった。まだ幼いボクはやっと棚の上に顔が出るくらいだから、魚と同じ目線になってしまうのだ。棚に寝そべった魚たちは皆、ボクを恨めしそうに睨んでいた。魚たちは海水浴場の近海で獲れた奴らばかりらしくて、普段、母が焼いてくれる魚とは似ても似付かなかった。みんなグロテスクな姿をしてて、魚というより爬虫類と魚の中間のような奴らだった。そんな奴らの憎憎しげな視線に晒され、ボクはお化け屋敷にでも入った気分だった。
「これ美味そうだな」
父がそう言って棚から取り上げたのは既に切り身になったものだった。そうして白身と、白身に赤い色の入った切り身、鮮やかなオレンジ色の少し太った魚を母が手に提げた買い物籠に入れた。それから出口で蟹を
「三匹」
と注文した。注文された老女は
「おまけしとくね」
と言ってもう三匹入れてくれた。父はそれを手に取ると
「おまけが二匹だったらもう一匹買おうかと思ったけど、これでマサの分もあるな」
とボクと母にだけ聞こえる声で囁いた。
 夕食は祖父と祖母の家で食べた。父の弟、つまりボクの叔父も一緒だった。叔父といったもまだ高校生だ。ボクらは蟹を一人一匹ずつ、それから皿に盛った焼き魚と刺し身、祖母が畑から採って来たキュウリとトマトを食べた。ボクは蟹を食べるのがひどく下手糞で、顔中を蟹の汁と肉とにまみれさせていた。そのたび母は濡れタオルでボクの顔をぬぐってくれたんだ。


 新幹線は長野駅に到着した。東京のそれと違い、地方都市の駅の照明はどこか薄暗い。
 眠っていたのか、考え事をしていたのか分からない気分だったが、とても疲れた気がする。新幹線が駅に滑り込み、薄暗い照明の中に入っても身体を動かす気になれなかった。それでも他の乗客が降り始めるのを見ると立ち上がらない訳にはいかない。わたしは心を奮い立たせて頭の上の荷物棚からバッグを降ろした。
 わたしは一つの間違いに気付いて愕然としていたのだ。何十年もそんな間違いを繰り返してきたことは、とても不思議なことだった。なぜそんなことになったのか良く分からない。もしかしたら幼かったわたしは、想像を超えた悲しみに耐えられず、事実を異なった記憶とすり替えてしまったのかもしれない。それ以外には理由が考えられなかった。海水浴はあれが最後だった。翌年は行く機会が無かった。なぜなら翌年の夏、母が死んだからだ。
 幸せだったわたしたち家族は、ある日を境に不幸な家族へと転落していった。
 わたしたち家族にはそれまで不幸の種など何一つ見当たらなかった筈だった。勤勉で実直な父母に不幸が訪れる隙間も無かった筈だ。にも関わらず不幸は一番、思いも寄らぬ形で訪れたのだ。それは貧困という形だった。当時、幼かったわたしのその理由は分からない。父は家族が生活に困らないだけの給料を貰っていたし、母は無駄遣いするようなことは無かった。何より二人は家族の将来、取り分けわたしの未来のことをいつも考えてくれていた、と思う。そんな二人には、貧困など訪れようも無い筈だった。
 その日いつもより早めに帰宅した父を見て蒼ざめる母の顔、母の視線の先で呆然と立ち竦む父の灰色の顔。それがわたしが憶えている全てのことだ。それから二人は台所で小さな声でずっと話し合っていた。子供心に答えの出ない難題に父母が苦しんでいるらしいことが分かった。寝付けなかったわたしは寝返りを打ち、溜息を吐いた。
「たく」
寝返りの音に気付いたのか、母が襖を開けて入ってきた。台所の明かりを背にした母はシルエットしか見えなかった。
「眠れないの?」
いつも穏やかな母だったが、この時は普段に増して静かな口調だった。それがわたしに何かを悟られぬための心配りに思えて、わたしは母の問いに答えられなかった。
「お熱でもあるのかな?」
母はわたしの額に額を押し当てて来た。その温もりがあまりに頼りなくて、わたしは泣き出してしまった。その時わたしはそう遠くない未来に母を失うことを予感したのかもしれない。わたしはなぜかこう叫んでいた。
「どこにも行かないでね」
と。それが聞こえたのか父も現れた。父はわたしを抱きすくめる母の上からわたしたちを抱き
「大丈夫だ。頑張るから大丈夫だから」
とわたしたちに言い聞かせるように言った。
 それから母が働きに出るようになった。わたしは毎日、一番最後まで保育園で母を待つようになった。母はいつも家に居るものだと思っていたわたしには、少なからずショックだったが、同じ学年にも二人ばかりそういう境遇の子どもがいた。一人は共稼ぎの子で、もう一人は父を亡くした子だった。わたしたち三人は毎夕、三人には広過ぎる遊戯室の隅で、静かに遊んでいた。が、三人とも心の中では毎日、呪文を唱えていたように思う。「今日は早く迎えに来ますように」と。しかしわたしの願いは通じなかったらしく、母の迎えは日を増して遅くなった。帰り際、母は園の職員に毎日、頭を下げて詫びるようになった。
 夏から秋を越え、冬に向うと母が迎えに来るのはあたりが真っ暗になってからだった。でも、凍えるような寒さの中で母のコートの中は暖かく、もうそれ以上余計な願いをする気が失せていた。慣れもあったと思う。また子どもだから飽きてしまったのかもしれない。いつの間にか呪文を唱えるのはやめていた。そうして冬を越え、春になってまた夏が来た頃、梅雨の雨が晴れ上がった日、祖母が保育園に迎えに来たのだ。まだ昼を過ぎたばかりなのに。わたしは首を傾げながら、不思議なことに心はある予感に満ちていた。幸福な家族の日々が完全に終わった、という予感に。そして残酷なくらい悪い予感は的中するものだった。
 祖母に連れられて行った場所は、薄汚れた診療所だった。一つしかない固いベッドの上で母は眠っていた。
「おかあさん」
わたしは期待などしていなかった。ただ確かめただけだった。予感が本当に当ったのか。母が確実に死んだのか、について。母は灰色の作業着を着たまま、目を閉じていた。わたしはもう一度、確かめた。
「おかあさん」
予感どおり母が答えることは無かった。

 わたしは母の死をずっと忘れていたんだ。
「終点ですよ、お客さん」
背後で声がした。駅員だった。わたしが酒でも飲んで”降り忘れている”と思ったらしい。わたしは手に持ったバッグを確認すると駅員に片手を挙げ、了解したという合図をした。
 新幹線のホームから階段を上がり、改札を出た。長野電鉄までは遠い。わたしは母の死を思い出したことで、すっかり気持が萎え歩く力も失っていた。それでも、改札から出て南北通路を善光寺口に向って歩いた。階段を降り、ローカル線の改札前を横切り、ぺデストリアンデッキに出ると、左右に地上へ降りる急な階段があった。長野電鉄の改札は右に降りるのだ。階段を一段一段降りるごとに動悸がしてくる気がした。特に心臓が悪い訳ではなかったが、わたしの中ではまるで今日、母が死んだような気分だったのだ。手摺りに掴まりながらやっとの思いで階段を降りた。そこからまだ50メートルは歩かなければならなかった。一度、休憩しようと思ったが、地方都市の夜は早く、それらしい店は既に閉まっていた。仕方なく足を引きずるように歩いて長野電鉄線のホーム入り口に向った。ようやく辿り着いたそこは、更に地下へ潜る階段を降りねばならなかった。
ばたんっ
という大きな音がしてドアが閉まった。気付くとわたしは座席に座っていた。なんとか電車に乗り込んだらしい。一息吐く間に電車はゆっくりと走り出した。急行に乗ったらしく席は対面式の四人掛けだった。しかし車内は空いていたからわたしの前には一人しか座っていなかった。壮年のサラリーマンらしい。新聞を大きく拡げているので姿は良く分からなかった。
 わたしは窓の外をチラと見た。しかし善光寺下までは地下鉄なのだ。窓の外には何も見えなかった。わたしは目を閉じてもう一度、心を整理した。単に父と離婚したと思っていた母が、実は死んでいたのだ。それをわたしは知っていた筈なのにすっかり忘れていたのだ。
 あの日以来、何度同じことを繰り返せばいいのだろう?とわたしは溜息混じりに思った。心と記憶を何度整理すれば真実に落ち着くというのか?だが、そういう問題では無いような気がして来た。あの日、それは会社を辞め、妻と離婚した日だ。リストラや離婚なんて世間にはよくある話じゃないか。にも関わらず、それらはわたしの過去にも大きな影響を及ぼしたらしい。わたしの知っていたわたしの人生は、どうやら塗り替えられてしまったらしいのだ。
 誰がそんなことをしたのだろう、と思った。先ほどわたしに一年も日付の狂ったスポーツ新聞を渡した男がとても怪しい気がした。そもそも男は何の為に日付の狂った新聞を手にしていたのだろう。そして、そんなものを見ず知らずの他人のわたしになぜ渡したのか。
 たしか男はわたしに
「興味があるのか?」
と訊いて来た。そこには貴明のインタビュー記事が載っていたのだ。わたしは大きく頷いた。すると男は気前良く新聞を提供してくれたのだ。そのすべてが出来過ぎた芝居のように思えてきた。しかし、男は軽井沢駅で消えてしまった。だからそれを確認する術は無い。
 窓の外に、星のように小さな光が見え始めた。善光寺下駅を過ぎ、地上へ出たらしい。光は街の明かりだった。田舎の私鉄の車両は、とても古びていた。経費節減のため都会の鉄道会社から中古車両を譲り受けているらしい。そのせいか街中の路線にも関わらず少し揺れが大きかった。疲れも手伝って再び睡魔が襲ってきた。しかし首を左右に振ってそれに抗った。また、新たな夢を見てしまいそうな気がしたからだ。単なる夢というのに、わたしはすっかり混乱させられてしまった。わたしの過去は、どれが正しいのか分からなくなってしまった。
 突然、車両が大きな悲鳴を上げた。鉄橋を渡り始めたのだ。今では珍しいトラス橋だ。隣りに巨大な橋影が見えた。夥しい光に囲まれ輝いて見えた。工事中の新橋らしい。新橋が完成すればこの懐かしい鉄橋ともお別れだ。そうやって時代は移り変わり、この鉄橋の記憶も消え去っていくに違いない。最先端の新橋が出来た時、この鉄橋は撤去される。どこかの博物館に展示された写真が鉄橋の記憶となるのだ。そしてその記憶は、新橋に勝るほどの美しい記憶として残る。時代遅れになったこの橋が、軋んだり歪んだりして悲鳴のような不快な音を発していたことなど、誰もが忘れてしまうのだ。
 過去など、そんなものかもしれない、と思った。誰もが自分の過去をきちんと憶えているような気がしているが、実際は単に現在の生活を投影しただけのものなのだ。現在の生活が幸福なら、幸福な過去が、不幸ならば不幸な過去が存在する。結局、会社や家族といった拠り所を失った今、その不安が過去の記憶を様々な形に変化させているだけなのだ。

 須坂駅を発車すると田園の風景が拡がってきた。夜目にもそれと分かるほど、車窓の外は人の気配が感じられない。電車が、わたしを乗せて過去の時代へと駆け戻っているように感じられた。もうすぐ、一昨日ひどい頭痛に襲われた小布施駅に到着する。また同じようなことになる予感がしたが、一方で頭痛は日を追って改善しているような、改善というより質が変わったような気がする。新幹線の中で感じた頭痛も、すぐに眠りに変わってしまった。それは”何かがほどけていく”時に感ずる苦痛のように思えた。
「おぶせー、おぶせー、お忘れ物の無いよう・・・」
場内アナウンスが聞こえた。わたしが座席を立とうとした瞬間、対面に座っていた男が拡げていた新聞を閉じた。目が合った。意味ありげな視線に思えたが、思い過ごしだろう。見たことも無い男だった。それにここで因縁を付けられるようなことは何も無い。
 座席を立ち上がると、男も立ち上がった。夜の小布施駅に降りたのは、どうやら私たち二人だけらしい。電車が北へ去った後、真っ黒なホームに、わたしたち二人だけが残された。
「なにか?」
とわたしは男に訊ねた。降車したというのに、男は改札へ向う様子が無かった。男は無言でわたしとは別の方向を見ていたが、わたしから離れようとする様子も無かった。それはまるでわたしを監視するような行動だった。
「わたしに御用でしょうか?」
もう一度、訊ねてみたが何も答えなかった。仕方なくわたしは彼を無視して改札に向って歩き出した。すると突然、男はわたしの背に語り掛けてきた。
「なにか思い出しましたか?」
慌ててわたしは振り返ったが、男はそ知らぬ顔をしていた。今の声は自分のものでは無いとでも言いたげだった。
「どういう意味でしょう?」
そうわたしが問い返しても、男は無反応だった。もう一度、
「”思い出した”とは、どういう意味でしょう?」
と言って男の顔を凝視してみたが、男はあらぬ方向を見詰めたまま素知らぬ顔をしていた。
 この男もまた、わたしを混乱させる為に現れたのか?そう思うと腹立たしくなってきた。記憶の混乱の後、今度は大勢の人間がわたしを弄ぼうとしているように感じられた。理由は分からないが、みんなわたしの過去の断片を少しずつ知っていて、それをわたしに突き付けてはからかっているように思えた。
「あんたは、軽井沢で降りた男と知り合いなのか?」
目の前の男は、わたしの問いには答えようとしなかった。
「わたしに日付が1年もずれた新聞を渡した男だよ。グルなのか?」
ふいに男はわたしの横をすり抜け、改札を出て行った。
「おい!待て。待てよ!」
男の背中に向って呼び掛けたが、夜の闇の中へ消えて行った。
「そろそろ閉めますが」
初老の駅員が迷惑そうな顔で言った。わたしが乗ってきた電車は最終で、それが発車してから既に何分も経過していたのだ。
「もう駅を閉めたいんですが」
「申し訳ない。すぐ出ます」
そんな会話を交わした後、駅舎を出ると右手にある筈のタクシー乗り場を眺めた。しかし待機しているタクシーは一台も無い。その向こう側にあるタクシー会社の平屋の社屋も灯かりが消えていた。仕方なくわたしは正面に伸びた道路を歩いた。狭い街だから歩いてもそう時間は掛かるまい、と思い歩き出した。

 考え事ばかりしていたせいか、あっという間に長屋に着いた。角の婆さんの部屋は電気が消えていた。眠ってしまったようだ。わたしはかつてのわたしたちの家の戸に手を掛けた。案の定、鍵は開いたままだ。そのまま中に侵入した。
 蛍光灯のスイッチを引っ張ると灯かりがともった。電源が長屋全体で一つなのだ。婆さんがいるお陰でこちらの部屋も電気が通じていた。テレビも点くかもしれないと思いスイッチを入れてみたがこちらはテレビが古過ぎるらしい。音一つ、光一つの反応も無かった。
 畳の部屋の隅に布団が畳まれていた。それを引っ張り出して敷いた。懐かしさが込み上げると思ったが、不思議なほど何の感慨も湧かなかった。疲れ果てているに違いない。布団の上にごろりと横になると、すぐに眠気が襲ってきた。抗う間もなく眠りに落ちていった。

 
 夢、は見なかった。見そうな予感はした。しかし見なかった、と思う。正面に見える天井の模様を見詰めながら、頭の片隅まで記憶を探ってみたが昨夜、夢を見ていた形跡が見当たらなかった。ここ数日、悩まされるほど見ていた夢が突然、現れなかった理由を考えてみたが、すぐにそれを考える無意味さを悟った。単に疲れていただけなのだ。
 天井板はあの頃と変わらない。わたしがまだこの家に住んでいた小学生の頃だ。朝、目覚めた時、いや夜寝る時の方が多かったか、こうして布団の上に身体を横たえたまま年輪を引き伸ばしたような天井板の模様を数えたものだ。
『何見てんの?』
由紀が毎日のように訊ねてきた。そのたび
『模様の数を数えてるだけだよ』
と答えるのに、翌日また同じように訊いてくるのだ。そして
『なーんだ、てっきり私の見えない世界を見てるのかと思ったよ』
なんて物語の主人公のような台詞を言った。そういえば由紀はなかなかの文学少女だったような気がする。授業が終わって帰るまでの一時間ほど、由紀はよく図書館にいた。活発で、勉強が出来て、スポーツ万能で、どこか大人びていた由紀は、いつも真っ黒に日焼けした男の子のような顔をしていたが、いつか美しい娘になるに違いないと思っていた気がする。そして誰からも羨まれる充実した人生を送るに違いないとも、思っていたんだ。しかし、どうやらその半分は実現し、半分は実現しなかったらしい。一昨日、病院で見た由紀は、美しい女性に成長していた。しかし彼女に、その後の人生は存在しなかったらしい。一番美しい姿に成長したままだった。そこから先の、人生の年輪とても言おうか、老いや崩れといったものが見受けられなかった。由紀はわたしと同じ歳だから、もう40を越えているというのに。
 ふと、窓の外に人影が見えた。屈んだように背の低い人影。玄関を開け、表に出てみると小柄な老女が掃き掃除をしていた。角の家の婆さんだ。
「朝飯でも喰うか?」
昨夜、わたしがここへ訪れたことを知っていた、とでもいうような物言いだった。

「ワカメの味噌汁しか無いが勘弁してくれ」
婆さんは卓袱台に味噌汁の入った椀を置きながら、今度は茶碗に飯を盛り付けた。
「ババアの一人暮らしだからな。佃煮くらいしかねえんだ」
そう言いながら皿を差し出してきた。目玉焼きだった。わたしは「ありがとう」と言いながら受け取った。
「オレだってもうすっかり中年オヤジだからな。これだけあれば十分さ」
婆さんは「そっかい?」と首を傾けながら茶碗を差し出して来た。
「ところでさ、母さんの居場所、教えてくれないか?」
白米に佃煮を乗せて、それを口に運びながら横目で婆さんを見た。わたしの質問に婆さんは答えてくれなかったのだ。もう一度、
「母さんって今、どこに住んでるのかな?」
今度は婆さんの顔を真正面に見た。しかし婆さんは顔を背けた。それからまるでわたしの質問が聞こえなかったというように、リモコンを手に取りテレビのスイッチを入れた。
 既に8時を回っていた。番組は7時台のニュースが終了し、バラエティになっていた。よく見る文化人がコメンテーターとして登場し、司会者とともに好き勝手なことを言うというものだ。井戸端会議のようなもので、主婦層には受けるのかもしれない。
「はははは」
唐突に婆さんが笑い出した。明らかに間を外したタイミングだった。そもそも出演者のコメントは男のわたしには面白くもなんとも無いのだが、そこが笑いどころで無いことはよく分かった。
 それでも婆さんは笑い続けた。笑う間に飯を口に掻き込み、また笑う、そしてまた味噌汁を口に注ぎ込んだ。それはわたしとの会話を拒絶する意思表示のように思えた。
「なんだって言うんだ?」
わたしが、怒りに任せて大きな声を出すと婆さんは突然、黙り込んだ。
「オレは何か変なことを言ったかな?」
「ん?何か言ったかえ?」
「とぼけないでくれよ。さっき訊いただろ」
「はて?なんだったかの」
「お袋のことさ。今、どこに住んでるのか教えてくれって言ったんだ」
「お袋?」
「そうさ。オレのお袋だ」
「お前のお袋さんは、お前が小学校に上がる一年以上前に亡くなってしもうたよ」
「それは本当のお袋だろ。そんなことは知っている。知りたいのはオレが小学校に上がる時に来たお袋の方だ。由紀の母親だ」
婆さんは
「ああ」
と言ったまま、またテレビの方を向き直り「はははは」と笑って見せた。
「なぜだ?」
わたしは卓袱台に茶碗を置いた。古い卓袱台は、あの頃から使っているものだ。よく見ると色々な落書きがしてある。固いもの、例えばスプーンの柄などで傷付けるようにして描いてあった。当時、人気のあったアニメの主人公の名前が描いてあるところを見ると、それはわたしが彫ったものに違いない。

◇覚醒◇
「なあ、婆さん。知ってるんだろ?義母さんの居場所を」
婆さんはふいに黙り込み、卓袱台を見詰めた。その仕草は何かを探しているようにも見えた。しかし本当に探していたらしい。
「ああ、あった、あった」
とはしゃぎながらわたしの顔を見た。
「ほれ、懐かしいだろ」
婆さんが指し示したの卓袱台の上、婆さんの湯飲みが置かれた場所の近くだった。
「エリックがの、来日した時じゃあ」
「エリック?」
「あーあ、フリッツ・フォン・エリックじゃ。あいつはほんとに恐ろしい奴じゃったあ。ストマック・ホールドってな。肉の上から馬場の胃袋を掴み寄って、身体ごと持ち上げちまったあ」
「ああ、プロレスか」
「ほんとに残酷な奴だった。後にも先にもあんなに恐ろしい技を使う奴は見たこと無いわ」
「はは、プロレスなんて、ちゃんと筋書きがあるんだよ」
「分かった風を抜かすな。筋書きなんつーものは、あろうと無かろうと関係ない」
「いや、だから、恐ろしいとかなんとか・・・・」
とわたしが説明し始めると、婆さんは首を大きく左右に振った。そして
「お前は駄目な大人になったのー。これ見てみい」
と卓袱台の上を指した。婆さんの湯飲みの横には、何かを掴もうとする手と指が描かれていた。
「あの頃のお前は、ちゃーんと知っていた。何が嘘で何がほんとかな。それに比べ今のお前はなーんにも分かってねえわ」
「そんなことはどうでもいい。義母さんの居場所を知ってるんだろ。だったら教えてくれよ!」
わたしは、つい怒りに任せてしまった。婆さんにはぐらかされている気がして苛立ってしまったのだ。
「頼む。教えてくれ。いろいろ調べたいことがあるんだ」
卓袱台に手を付き、頭を下げた。婆さんは苦しそうな顔で、わたしを見た。
「実はわしもよく知らねんだ。どこかの施設に入ってるって話は聞くがな。それ以上は」
「施設?どこか身体でも悪いのかい?」
「いや、住む場所が無くってな。それに年だから働き口もねえわ。ま、あんなことがあってからずっとまともに働いたことはねかったがな」
「あんなこと?」
婆さんは突然、手早に動き始めると急須に湯を注いだ。それからしばらくテレビに向って黙りこくった。
「あんなことってなんだい?実はさ、三日、いや今日で四日目だ、ずっと変なことばかり続いてる。おかしな夢を見たり、それが初めはオレの小学生の頃の思い出だったんだが、それが一昨日くらいから変な夢ばかりで、事実と違うんだ。義母さんが悪い人になって出てきたり。あんなに荒れてた父さんが真面目だったり。事実と違うことばかり出てきて、夢だけじゃない。由紀だって。そうだ。婆さんに言われて一昨日、由紀に会ったんだ。それが由紀は寝てたんだが、おかしなことにまるで二十歳くらいの姿のままなんだ。それと、会社に寄ったんだが、帰りに昔馴染みの探偵事務所の所長を再会した。会社に入った頃、仲良くしてた人だから、何十年か振りだったんだ。ところが所長の奴、途中から変なことばっかり言い出して。気付くと電車の中まで追い掛けて来た。それで『本当は誰が殺した?』なんて言うんだ。おかしいだろ?病院へ行った方が良いんじゃないかな?」
「はい、お茶」
婆さんの声で我に返った。どうやらおかしいのはわたしの方かもしれない、と思った。だが、わたしは自分を止められなかった。
「昨日、変なことを思い出したんだ。ずっと昔のことだ。まだオレが小学校に上がる前、本当の母さんが生きてた頃、人並みに裕福だった。幼いオレは優しい父さんと母さんに囲まれ幸せだった」
ズズズっと婆さんが茶を啜る音がした。見ると婆さんは死人のような目をしていた。
「あれは本当なのかい?」
「本当って何が?」
「ずっと本当の母さんはオレを捨てて出て行ったものだと思い込んでたんだ。それどころか、オレの記憶の中では、本当の母さんは今でも生きていることになっている」
「そりゃそう思いたかったんだろ」
「でも、オレは本当の母さんを愛していないことになってるんだ。オレが愛してるのは美和という義母さんだと」
婆さんは湯飲みに口を付けたまま目を瞑った。
「『美和』さん、か。おまえ、お義母さんの居場所を知りてえって言ったな。会いに行くんか?」
「勿論、そのつもりだ」
「なら教えてやろう。すぐそこだ。三日ばかり前、ここに来る前に半日ばっか入院した病院があるだろう。新生病院って奴。あの敷地内におぶせ荘って老人ホームだ。いろいろあって歳の割りに呆けとるが、おまえの知りたいことにゃ十分答えてくれろう」
救われた思いがした。義母に会えばすべてが明確になるだろう。この数日間の違和感から開放されるに違いない。
「ところで義母さんの苗字は何だったかな?」
「苗字?」
「ああ、離婚したから苗字が変わっているだろ」
婆さんは少し考えて、また茶を啜った。さっきからわたしの顔を一度も見ようとしない。
「苗字は”北原”のまんまだわ。聞きたいことはいろいろあるじゃろ。だがぜーんぶ本人に聞いてみれや」
そう言うと、盆に茶碗や味噌汁の椀、残った漬物や目玉焼きが乗っていた皿などを手際良く乗せ始めた。まるでわたしに催促するように。催促の意味は勿論、義母に会いに行け、ということだろう。
 義母にさえ会えば、美和にさえ会えばすべてが解決する、そう思った。会社を辞めたこと、離婚したこと、そうした人生の大きな変化がわたしに様々な影響を及ぼしているのだと思った。ほんのわずかな記憶違いが、それらによって大きくクローズアップされているのだと。それらを義母がすべて明らかにしてくれるに違いない。もう一度、真実の記憶を確認させてくれる筈なのだ。
「エリックの写真じゃ」
ふいに婆さんは古いスクラップブックを開いて見せた。スクラップブックにはプロレスの記事の切り抜きがびっしりと貼ってあった。
「ほれ、これがそのストマッ・・・」
「ストマック・ホールド。『胃袋掴み』って技だな。それにしても凄い脚色の名前だな。本当にそんなことしたら死んじゃうよ」
「は!まだ分かっとらんの。東京人は夢が無くていかんわ」
わたしは笑いを口に含んだまま、懐かしいスクラップ記事の数々を眺めた。ページを捲ると時折、下手糞な平仮名でレスラーの名前が書いてあった。
「これはお前の字じゃ」
婆さんはおどけるように言ってから笑った。
「こっちは由紀じゃ」
大人びた文字は由紀の知性と早熟を表しているようだった。
「由紀はほんとに大人びてた。小学校6年の頃なんかは、背も高かったこともあって高校生くらいに見えたもんじゃ」
「そう、だったかな?」
わたしには、それほど大人びた由紀の記憶が無い。
「これは?」
ページの最後の方に、ミミズのような線が幾つか引かれていたのだ。婆さんは口を曲げて笑いながら
「お前の字じゃで」
と答えた。
「小学校に上がる前のの。お前の字じゃ」
たしかに、記事は一番古いらしい。活字が、一世代前のものに見えた。
 ふとプロレスの記事の縁に、隣りに掲載された記事の見出しが残っていた。切り取った際に残されたのだろう。『ドルショック、プロレス界にも衝撃!』などと当時では作成に苦労したであろう網掛けの派手な文字だった。当時は、過去に経験した事の無い国際的な経済破綻だったから、今では想像出来ないほどの衝撃だったのだろう。しかしその後も社会は幾度と無く同じことを繰り返すことになった。今、わたしがこんなところにいるのも、それがそう遠くない遠因であるのだ。
 自己嫌悪とも、アイロニーとも取れぬ笑いが込み上げてくるのが分かった。心が変に醒めて来たのを感じた。その時、婆さんがスクラップブックを覗き込み、同じ見出しを見ているのに気付いた。
「どうしようも無いわな。うん。こういうことはわしらにはどうしようも無いんじゃ」
婆さんの溜息を聞きながらわたしはスクラップブックを閉じた。

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