"Blood Simple, Director's Cut"


写真クレジット:Universal Studios

映画を観ながら何かを発見したり、考えたりするのも面白いが、純粋にわれを忘れて映画にくぎ付け、見終わってようやく大きなため息を一つ、というのも映画を観る醍醐味だ。良く出来たサスペンス本を徹夜で読み切るような体験だが、映画なら2時間前後で完結するスリリングな道行き。そんな緊張の糸がピーンと張りつめた犯罪サスペンスの傑作 "Blood Simple, Director's Cut"(2000年、邦題『ブラッドシンプル ザ・スリラー』)を紹介しよう。

ストーリーをひと言で言えば、妻の不倫による三角関係の清算劇。若い妻、ハンサムな愛人、嫉妬に狂う夫、というゴールデントリオが奏でる三重奏は、映画やTVでうんざりする程語られて来たおなじみのメロディだ。その三角関係の清算劇に、もう一人欲深いクセ者が絡み、この映画はぐっと複雑な殺しの四重奏を奏でることになる。

舞台はテキサスの田舎町。酒場を経営する町の小金持マーティ(ダン・ヘダヤ)には、若い妻(フランシス・マクドーマンド)がいて、彼女はハンサムなバーテンと浮気をしている。マーティはそれを知って嫉妬に駆られ、いかがわしげな私立探偵(汗かきのM. エメット・ウォルシュ)に2人を殺してくれと依頼する。ところがこの探偵が大変なワルだった。

ストーリーはこの悪徳探偵が、マーティの依頼を無視して、自分の計画を実行し始めたところから狂いはじめる。一見シンプルな計画に、悪意と偶然、誤解が重なって、登場人物4人は底なし沼のような殺しのドラマに引きずり込まれていく。その先の読めない展開が、ゾクゾクする面白さだ。

ヒッチコックの『ダイヤルM を廻せ!』(54年)も三角関係の清算劇として有名だ。完璧なはずだった殺人計画が、予定外の偶然のために大幅に狂っていくハラハラ感。計画は狂いが出てこそサスペンスが生まれる。その狂い具合をどう見せていくか、また、その狂った運命の歯車をどう予期しない方向に展開させるかが、サスペンス映画の命だ。

妻がバーテンの家に泊まった翌朝のシーンがいい。
女はベッドから抜け出し、寝ぼけ頭のまま素足でぺたぺたと歩き、リビングルームに行く。ハンドバックからコンパクトを出して開けると、夫の家にいるはずの犬の顔が鏡に映る。「?」と思った瞬間…!
他人の家に泊まったよく朝、誰もが体験する一瞬自分がどこにいるのか分からなくなる空白の隙間を、グサリと衝いた見事なシーン。心底唸ってしまった。

このシーン以外にも、犯罪現場を上空から俯瞰する突き放した視線、カラカラと音を立てながらシャベルを引きずる音、壁に開けられた銃痕から漏れる隣室の明かり、突き出される拳骨など、映画というメディアでしか表現できない恐怖感覚あふれる衝撃的なシーンが次々と登場する。

監督は、この作品が長編映画デビューのジョエル・コーヘン。弟のイーサンが脚本/製作を担当した。この作品で注目を浴び、以来兄弟で映画作りを続け、91年の『バートン・フリンク』でカンヌ映画祭パルムドール、96年の『ファーゴ』でもう一度カンヌで監督賞を受賞というヨーロッパ人好みの作風だ。この作品で若い妻を演じたマクドーマンドは、『ファーゴ』で妊娠中の刑事を演じてアカデミー主演女優賞を取っている。

このディレクターズ・カット版は、84年に公開されたオリジナルから5分をカットした96分の作品。ディレクターズ・カット版は長くなることが多いのだが、「前作で退屈だった部分をカットした」というのだから笑ってしまう。100分以上の映画が当たり前の昨今、二桁という長さにも完璧感がある。

目を塞ぎたくなるような残酷なシーンもあるが、天才的映画作りのお手並み拝見のつもりで、片目をつむりながらでも見て欲しい。どぎつい血まみれホラー映画とはまったく違う無駄のないストーリー展開と、張り詰めたサスペンス運びに、96分の完璧な時間が過ぎて行くことうけ合いだ。