加速〜第18話

要約:今回、志穂莉奈とほのかがなぎさ抜きの関係に進んだ(第1章)。今回第18話の構造は繰り返しつつ変化する日常というものを上手く描いていた(第2章)。前半の山場であるキリヤ空中浮遊シーンを際立たせたのがシカルプシーンだった(第3章)。それを含め今回の出来栄えを決めた構成を振り返る(第4章)。それから一度、闇の世界の全てをキリヤの内面世界として物語から逸脱すると、キリヤの葛藤が明らかになるのだった(第5章)。闇から生まれたものの宿命を巡り、キリヤ、ポイズニーは対立することとなった。やがてイルクーボも含んで宿命を巡る三者三様の位置が明らかになるだろう(第6章)。

今回のプロットと演出はプリキュア史上最高だったのではないかと思う。前回は物語りそのものの力が群を抜いて素晴らしかったという意味でプリキュア史上最高だったのだけれど、今回はプロットと演出という技術面でプリキュア史上最高の出来栄えだ。個人的には興味の尽きない展開を見せ、書くべきポイントを絞れないぐらい書きたいことがありそうな第18話だった。しかし物語はどこへ行くのか? 今回第18話は中間テストという時事ネタで視聴者(小さなお友だち)を物語の中に巻き込みやすい条件を用意し、聖子の告白ストーリーで女の子向けの筋を通し、初の異世界バトルへの突入にも説得力がありなおかつプリキュアとしては平均以上の戦闘シーンで番組としての盛り上がりをしっかりと作った。キリヤの背中シーンなど小技もキレが良く、その意味では十分に楽しむことができる放映回である。
しかしメインプロットがキリヤの悲鳴を頂点とするキリヤの心理劇だったのは明らかだ。メインプロットだけを切り出していれば退屈で暗い私小説になるところをここまで見せる一話モノに仕立て上げる能力はすごい。今まで培ってきた詰め込み多重プロットの威力が今回は正しく生かされていた。キリヤ引きこもり説、ポイズニーはキリヤの物語にこそ光る説は間違っていなかった。今日は多分いつもより長いです。
前回は放映直後に各所から感想が溢れ出していたのだけれど、今回は30分後にもまだ反応がない。それぞれいろいろなところで困惑しているのだろうな。人によっては今回第18話は重すぎるという評価が出ると思われる。小さいお友だちがついていけるような展開になるだろうか。

 1 志穂莉奈とほのか


要約:今回、志穂莉奈とほのかがなぎさ抜きの関係に進んだ。
ほんと、今回のプロットと演出はプリキュア史上最高だったのではないかと思う。物語としても良くできているが、細かい演出が的確だからこそ物語が何倍にもよくなっている。小説読み(ただし村上春樹専門だが)としてきれいにまとまっていた今回第18話のポイントを挙げる事からはじめてみる。キリヤの今回についてはまだ良くまとまらない。寝かせておけばそのうち余分なものは削り取られ、ほんとうのことが沈殿してゆく。まずはそれを待つことにします。
志穂莉奈とほのかとの関係は知らないうちに親密になっている。第1話と第4話でほのかを「うんちく女王」と揶揄していた頃の関係は完全に変質している。これは明らかになぎさを介して結ばれた関係であって、なぎさの手が届く範囲の人間関係ならばなぎさが影響を与えることができるということだ。これはこれまで登場してきた周辺人物たちを放置していることに対応している。できることだけができるという基本的設定をしっかりと守っていて安心感がある。

莉奈「あ、ねえねえ雪城さん聞いて聞いて。聖子が人生最大の決断の時を迎えようとしているのよ」屈託ない笑顔でほのかに話し掛ける莉奈。しかも友人の聖子がキリヤに告白を決断するというかなりデリケートな話題をそのように共有するというのは、ほのかをかなり近い友だちとみなしているということだ。
ほのか「決断? 何のこと?」
志穂「一世一代の恋を告白するかどうかの決断」握りこぶしを作ってしっかりとほのかに訴える志穂。その後をちょっと略して、
志穂「ねえ雪城さんからもひとこと言ってあげて」
ほのか「ん… あの… 私も自分の気持ちを相手に伝えるってことはとても大切なことだと思うよ」ここでほのかが何歩か踏み出す。それまでは後になぎさの姿が見えているのだが、ほのかが踏み出すとなぎさの姿が見えなくなる。
聖子「え…」
ほのか「そんな相手がいるだけでも素晴らしいことだと思うよ」
莉奈「さすが雪城さん、いいこと言うなあ」

ほのかが踏み出した何歩かは重要で、なぎさがほのかの後から消えるのだ。これはいままでなぎさを中心に結びついていた志穂莉奈とほのかの関係が、聖子の恋というなぎさ抜きの問題を通じてなぎさ抜きの関係に踏み出したということだ。

 2 反復し変化する日常

今回第18話は志穂莉奈になぎさが「その話は… 今したくない!」と宣言することで動き出す(だって中間テストの話なのだから)。直前には先週の農作業とドツクゾーン戦をなぎさは回想しており、なぎさの物語が進行中であることをきちんと織り込んでいる。そして最後はほのかに「今その話はしたくない!」と宣言することで終わる。この時なぎさは聖子を引っ張ってチョコパフェ食べ放題の店へ向かうところで、聖子の物語がここで結末したことを織り込んでいる。
このように前回〜今回〜次回と物語をしっかりと流していながら、最初と最後に同じセリフを挟むことで一話モノとしてもしっかりと収束させている。さらに最初と最後が同じせりふであるということは、日常はぐるぐると同じように繰り返されるものだという事実を思わせる。しかし聖子は何かを乗り越えて成長しているわけで、繰り返される日常の中で少しずつ確実に変化があるのだという構成になっている。最後のセリフが最初のセリフと同じならば、日常の反復性が強調されたと思うのだが何かの意図で少しずらしたのかもしれない。

 3 シカルプ登場

「でたーシカルプだメポ」メップルとシンクロして一体どれだけの視聴者が叫んだことだろう。このシーンはなぎさがテストに慌て、メップルがなぎさのことを考えず発情し、シカルプがシカルプ度全開でメップルを叱り飛ばし、メップルが冷や汗をたらして叱られ、なぎさがブチ切れてオチをつける。登場人物がみな日常を生きているという描写だ。メップルは発情し叱られるのは日常だろうし、シカルプは叱るのが日常だし、なぎさはテスト前日一夜漬けが日常である。三者の日常がドタバタとなり、結果楽しく日常を過ごしているという意味となる。
そしてこの幸せな日常描写が過剰なドタバタでオチたからこそ、直後の場面転換は鳥肌が立つほど秀逸に際立つこととなる。キリヤの空中浮遊シーンだ。今回第18話はキリヤシーンが静、なぎさシーンが動。それが交互に配置されていて、物語が気持ちよく加速と減速を繰り返している。まったく素晴らしい構成だな。

 4 物語の加速減速

ここでひとまず、今回第18話の展開を整理しておく。加速減速を繰り返しながらも戦闘シーンに至るまで加速度を上げつづけ、戦闘中のキリヤ教室シーンが一瞬の空白となりキリヤの立ちすくむ心境を際立たせる。しかもその空白で描かれ「なかった」キリヤの心境がその瞬間異世界で絶対的なピンチに陥っていたプリキュアたちを起死回生させる理由となる。そこからまた同じテンションに戻して最後にすっと抜いて話が終わる。文句なしの起承転結。

  1. ドツクゾーン切迫:物語をアイドリングしつつ開始
  2. なぎさ回想:加速
  3. キリヤ川辺にて物思い:減速
  4. 聖子問題発生、なぎさ妄想:加速
  5. キリヤのすれ違い(サッカー部、聖子)と対話(自己、ほのか):減速
  6. なぎさ一夜漬け:加速
  7. キリヤ空中にて対話(自己、ポイズニー):減速
  8. なぎさ一夜漬け失敗:加速
  9. 聖子アタックNO.2、キリヤ激怒:減速から加速へ
  10. ほのか激怒の突撃、キリヤ炸裂:減速して一気に全速
  11. 戦闘シーン1(プリキュア危機に陥る):全速からありえない加速
  12. キリヤ教室にて思考整理:一気に減速し空白へ
  13. 戦闘シーン2(謎の光でプリキュア危機脱出):相変わらずありえない加速
  14. キリヤ廊下シーン、聖子問題完結:一気に日常速度へと減速
  15. チョコパフェでみんなハッピー:ゆるやかに加速

 5 闇の声


要約:ここでは闇の世界の全てをキリヤの内面世界として物語から逸脱する。するとキリヤの葛藤が明らかになるのだった。
こんなカットをとるなんてすごいな。しかもシカルプシーンが直前にあるからこそ余計際立ちを増している。ドツクゾーンではなく地上でもなく、音もなくどこでもない空中にキリヤが漂っている。それは宙吊りになったキリヤの心を正確に表しているし、視聴者にもキリヤの心がどこにあるかをきちんと伝えている。そういうシーンを更に驚かせたのが、突然空中に現れるポイズニーだ。そしてポイズニーが現れると、キリヤの顔には影ができる。ポイズニーはキリヤにとって自らの心の闇を象徴しているというわけだ。
(さて、この第5章だけこれ以降はポイズニーがキリヤの心の闇に住む、キリヤの別人格であるという架空の設定で話を進めます。ここではドツクゾーンはキリヤの心の中にしかない。だからドツクゾーンはキリヤの心の闇であり、そこに住むジャアクキング様はキリヤの闇の根源だ。ポイズニーはキリヤの心の奥にある闇からやって来る使者だ。)

キリヤの自我は夜の空をさまよっている。夜の空は地上から離れていて、音もなく何もない。彼の心は外の世界を象徴する地上から遠く離れている。しかし内面の奥底にある闇のからも離れている。キリヤの心は行き場を無くしどこへ行くともなく漂っている。空、そのさまようキリヤの自我の隣に突然現れるポイズニーは、キリヤの心の闇から彼を呼ぶ懐かしき仲間(もうひとりの自分)だ。
「何か用かい、姉さん」外の世界からやって来た(キリヤが心の扉を開けて招き入れた)ほのかに光を見るまで、闇の世界でずっと共に過ごしてきたポイズニーは自分自身の今までの居場所を背負っている。

「ここの奴らといてそんなに楽しい? あんたもしかして本気で仲良くなろうって思ってるんじゃ… フフフ」
やめてよ。そんなこと思ってないよ。
「どうかしら。ま、いいわ。あんたの気まぐれな学園生活も、明日で終わりだから」
どういうこと?
「楽しみにしてるがいいわ… ンフフ」

ポイズニーはふと自我の隣に現れてキリヤの自我に囁く。キリヤ、お前はいままであれだけ外の世界を見下していたじゃないか。自分を認めない外の世界を憎んでいたじゃないか。外の世界の人間達は、友達が大切だとか助け合わなければダメだとか、彼ら自身の価値を一度も疑うことなく土足でお前の心を踏みにじってきたのではないか。お前はそんな世界に復讐するために闇の世界にたどり着き、我々と戦おうと決めたのではないのか。それが何だ今のお前は。奴らのひとりに少し優しくされただけで、今まで共に生きてきた我々を見殺しにするのか?

それでもほのかのために一度開いた自らの心の扉を、キリヤは再び閉ざすことができない。だから闇の住人であるポイズニーはキリヤにそれ以上具体的な計画を話さずに闇に消えていった。世界の側で彼女たちに立ちはだかるプリキュア打倒に、戸惑い始めたキリヤのサポートはもう期待しないわけだ。キリヤは傷つきたくないからこそ今まで閉ざしていた心の扉を開いていた。だからほのかが聖子の側にいて自分の側にいなかったという事実が、開いている扉を通って無遠慮に彼の心をダイレクトに触り、キリヤは深く傷ついたのだ。だから聖子の手紙を破り捨てるまでに負のエネルギーが増大したし、怒鳴り込んだほのか(彼の心の扉を開けさせた本人であるに関わらず、いやだからこそ)をあの絶叫で拒絶することになったのだ。キリヤの心についてはひとまずここで筆を止め、ポイズニーに視点を移そう。

 6 闇から生まれた者の宿命


要約:闇から生まれたものの宿命を巡り、キリヤ、ポイズニーは対立することとなった。やがてイルクーボも含んで宿命を巡る三者三様の位置が明らかになるだろう。
キリヤが人間の世界にどんどんと偏りつつある。その描写と対を成して、ポイズニーの役割が今回描写された。まずはアバンタイトルに描かれたドツクゾーンの情況描写からポイズニーの言葉を抜いてみよう。

イルクーボジャアクキング様の体が蝕まれていく。我々はジャアクキング様と共にある。何としても、ジャアクキング様の御意志に答えなくてはならない」三人のロングショット。キリヤはひとりポイズニーに背を向けている。
ポイズニー「闇から生まれたものの宿命としてね。それは分かっているわ。ただ良く分からないことが起こったりするのよね。この前も…」ポイズニーは自分が絶体絶命に追い込んだプリキュア戦を回想する。そして力を封印してなぎさを呼び込んでしまったキリヤを回想する。敗戦の核心がキリヤの手抜きにあることを、彼女はちゃんと知っていたのだ。
ポイズニー「キリヤ。いつまであんなところで遊んでいるつもり?」キリヤが映し出される。彼はおもむろに下を向き、右手に貼られたバンデージを見つめる。バンデージの向こうにほのかが残していったいろいろを見ているのだった。

闇から生まれたものの宿命を受け入れ、闇の存在として光の存在と対決する妥協無き意志を持つのがポイズニーだったのだ。この宣言でポイズニーが人間の世界に歩み寄る可能性が消えた。それどころか彼女はドツクゾーンの番人として徹底的にプリキュアと対立する。そして多分、ほのかを通じて人間の世界に近づきつつあるキリヤを裏切り者とみなして容赦なく攻撃することになるだろう。そういう決意を当然のものとしてさらりと口にするポイズニーは恐ろしい。すでにあえて感情をヒートアップさせる必要もないのだ。
キリヤの空中シーンでは、今まで結びついてきた同志としてキリヤを正気に戻そうとする。それも誘惑するように優しい態度と、脅すような厳しい言葉で。そのあたりの気高さは今回の戦闘シーンでも強調されていた。
今までプリキュアとの肉体的直接対決を避けていたポイズニーは、鏡の世界にプリキュアを誘い込むという智謀に加えて抜群の身体制御でプリキュアたちを翻弄する。なぎさを吹き飛ばし、ほのかを蹴散らし、そしてバレリーナのように回転しつつなぎさをまた吹き飛ばす。そして自らの力の余韻を楽しむように回転を続け、ぴたりと動きを止めると見得を切る闘牛士のようにマントを右手でかざしている。
「あたしの武器はザケンナーだけじゃないのよ。さあ、プリズムストーンを渡しなさい」
チョコ娘になってなぎさを騙していた頃のポイズニーとは全く違う。戦闘シーンではプリキュアたちがかすんでしまうぐらい格好良い。ポイズニーは宿命を背負う闇の存在として迷わない。イルクーボの位置がどのあたりに来るのかはまだ分からない。しかし次回からイルクーボが参戦することで、キリヤ、ポイズニーイルクーボが目の離せない際立ちを見せることにもなるだろう。

ヨギリカザルさん

私もアニメ汚染度チェック! でもこれじゃ観測でもなんでもないな。

2004年 5月 30日 (日) 06時 43分 35秒 現在
あなたは 56.4%
アニメに汚染されています。

まあ私の場合はアニメに汚染されているのではなく、プリキュアと融合しているという感じでしょうか。最近はオフ祭り爆発というか定常化しつつあるという感じの風流[姫]君ですね。

恋文日和

恋文日和 (1)dokoikoではないリアルな私をdokoikoが観測。ゆかポンに「感想を聞かせてね」と無理矢理押し付けられたのがなんか上手くイメージを貼れない『恋文日和』第1巻、第2巻。本人がわざわざ他人に押し付けるぐらいだからゆかポンがこの本の作者ジョージ朝倉の絵に影響を受けているのだな。というかこの手の絵を読むのは安野モヨコハッピーマニア』以来だな。そういえば『ハッピーマニア』も大学の後輩に押し付けられたのだった。小説だが姫野カオルコは花見娘に押し付けられた(はてなキーワードの「姫野カオルコ」は作品選択を間違えてるぞ。『喪失記』『受難』を入れないのはダメすぎ)。多分私にはその手の無闇なエネルギーを押し付けさせるオーラが出ているのだろう。『恋文日和』に出てくる主人公たちのテンションのベクトルは安野っぽいな。ただたまに出てくるカットがわたせせいぞうっぽくもありその辺がアクセントか。つーか物語の基本構図はわたせせいぞうそのまんまなのだがな。登場人物たちはまあ非常に現代的な容姿と態度を持っているのだけれど、こと恋文になると妙に文学的センスが湧いてくるわけで、そのあたりがなんというか現代的な柔らかな閉塞感を良く掴んでいるのかなあと思うわけだ。
「本当の気持ち」というのがあって、それは友人たちにも見せることがない。友人たちとは明るく仲良くやっていて、それなりに楽しい。でも友人や家族などの他人には見せられない一面が自分にはあって、そういう自分の中に縛り付けている自分の一面を解放したい。その解放をまだ関係することのない異性に求める。一般的情況として自己の解放はいま恋愛の場所にしかないと思われがちで、恋愛の場所にたどり着くというのが自己の救出と同じような文脈で語られているこの『恋文日和』は現代の若い人の心象をうまく掬い上げているとは思うのだがそういうのはちょっとアレだ。