4 すくむ心(続)

全てを食い尽くさなければ自らをも食い尽くしてしまうドツクゾーンピーサード、ゲキドラーゴ、そしてポイズニーは三人ともそのような世界に最適化し生きることを許された魔人たちだ。攻撃性や残虐性、他者を省みない独善。そしていずみのさんが論考したように、優秀さへのこだわり(id:izumino:20040614, ピアノ・ファイア, Mon 2004.06/14)は三人の魔人たちに共通する資質だ。彼らはドツクゾーンに生き残るため最適化を繰り返してその資質を身に付けていったのだろう。なにしろ「代わりはいくらでもいる(第三話アバンタイトルジャアクキング様)」のだから。まるで織田信長とその軍団のような関係だ。彼らはただ侵攻するために存在し、存在しつづけるためには自らの能力を成果として示しつづけるしかない。
キリヤはそういう世界に生まれ、そういう世界に存在した。

イルクーボ「相手を甘く見すぎたのか、それとも詰めが…」
ゲキドラーゴ「アマイアマイ」
キリヤ「僕ははじめからピーサードには無理だと思っていた」
(中略)
キリヤ「僕が行くよ。相手は小娘ふたりなんだろ」
ポイズニー「あんただってまだガキだろ?」
キリヤ「何だと! 実力と年齢は関係ないだろ」
(第5話「マジヤバ!捨て身のピーサード」より、ピーサードが敗退を続けジャアクキング様にラストチャンスをもらった後の会話)

イルクーボ「まさかピーサードがほんとうにやられるとはな…」
ポイズニー「甘かったのよ」
キリヤ「あんな子供にあしらわれちゃって。かっこ悪い… アハハハ」
(第6話「新たな闇!危険な森のクマさん」より、ピーサードが闇へ帰ったことを受けての会話)

キリヤ「ゲキドラーゴ、元気ないじゃん」
ポイズニー「そりゃそうよね。こう何度も失敗してたんじゃ、誰だって落ち込むわよ」
キリヤ「だったら早く闇に還るしかないよね。あいつらにやられる前にさ」
(第11話「亮太を救え!ゲキドラーゴ・パニック」より、ゲキドラーゴが敗退を続けジャアクキング様にラストチャンスをもらった後の会話)

この頃までのキリヤは魔人としての視点しか持っていない。目は半開き、口の利き方はぞんざい、特にやる気もないが与えられた仕事をこなす自信はある。キリヤに心はなかったと言ったほうが正しいだろう。後に心が生まれるということ、また彼独自の表現があることから、心の深淵には核となる何かがあることはあるだろう。しかし言葉に表現できるところまでを心という言葉で表現するならば、いわゆる心はキリヤに存在しなかった。ドツクゾーンと一心同体であるジャアクキング様の思考を、彼の思考はそのまま受け継いでいるだけである。彼の視点はジャアクキング様の視点でしかなかった。第18話でサッカー部練習で反則のタックルをする前「とにかく、ボールを取りゃいいんだろ」とキリヤが考えていたのがそれを象徴している。目的至上主義で、そのためには誰がどうなろうとも関係ない。
闇はキリヤの故郷だ。彼は闇に生まれ、闇だけにはぐくまれて育った。ジャアクキング様の思考を身に付け、ポイズニーを姉さんとして育った。彼の心は闇にしっかりと錨をおろしていた。闇の世界は彼の心の核とつながっている。彼の心の核が闇から錨を上げてしまえば、彼の心はあてなくさまようこととなる。心が位置をなくしてさまようことはつらい。死より辛いことかもしれない。
しかし彼の心は、自分の核が錨を下ろしているドツクゾーンとは相容れない存在に光を見てしまった。そして彼の心には人間と同じような心が生まれた。彼の心は自身を生んでくれた人間、雪城ほのかに近づきたいと感じた。それは当然だろう。ほのかが彼に教えたのは、ドツクゾーンには全く存在しないものだった。彼が持った心は、闇の世界とは相容れない。
彼は第18話でポイズニーが完全に追い詰めたプリキュアたちを一髪のところで救った。それは光の世界に荷担するというような覚悟を決めた行動ではなかっただろう。彼にとって闇の世界は自分の故郷であり、彼の心の核がつながっている存在基盤だ。いくら光がまぶしくて近づきたいと考えたところで、自分の核を光の世界につなぎとめることができる確証があるわけではない。迂闊に光の世界へ歩み寄れば、光の世界の人間たちが彼を葬り去るかもしれない。闇の世界は彼にとって唯一の「安心して帰ることができる場所」なのだ。
彼の心は光を、雪城ほのかを目指してしまっている。それはたどり着くべき理想の場所のように彼の心をそこへと掻き立てる。それはまるでガンダーラのような理想郷として彼の心を激しく揺らす。しかし揺れている彼の心は生まれたばかりだ。そして生まれたばかりの心を除く彼の存在は闇と分かちがたくつながっている。またほのかのいる光の場所が彼のための場所であるかどうかはわからない。第20話中盤までの時点では、彼はまだ決意をすることができない。たまたま陥ってしまった情況から抜け出る決意をすることができない。
彼はたまたまほのかと出会うことで、彼の片方を闇の世界に浸し、もう片方を光の世界に浸すこととなった。それは本来ありえない情況で、時間が作り出した瞬間的な猶予でしかない。闇と光はプリズムストーンという唯一の力を巡り死闘を繰り広げているのだ。時間が来ればやがてそのバランスは崩れ去る。それは彼にも分かっていただろう。しかし彼にはどうすることもできない。情況は彼の力が及ぶ範囲を超えて、すでに動き出してしまっているのだ。その彼の力を超えて情況が流動していたからこそ、彼は雪城ほのかと出合うことができたのだ。だからはじめからキリヤに与えられた猶予は猶予でしかなかった。彼は立ちすくむしかなかった。ポイズニーを裏切ってさえも、自身に巡ってきた猶予を彼の力の及ぶ限りで延長させるしかなかった。猶予が終われば、彼は闇か光かどちらかを必ず失うしかないのだから。
だから第18話で、彼は消極的にプリキュアたちを裏から救い出した。ポイズニーを失うわけにはいかないから、彼の側から理屈を言えば彼はポイズニーを裏切ったわけではない。ただ自身に与えられた猶予を少しでも長引かせるために行動しただけだ。しかし第18話でプリキュアを救い出したことは、結果的に第20話でポイズニーを闇に還す重大な裏切りとなった。闇と光との境界線に居続けるために彼はプリキュアを助けた。それは彼にできることだった。しかし情況は彼の力を超えて新たな段階へと進んでしまった。彼は結果的にポイズニーを殺した。実際にポイズニーを闇に還したのはプリキュアのふたりだ。しかし第18話で彼女たちを救い出すという彼のどっちつかずの決意に欠ける行動が、間接的にとは言え唯一の闇のパートナーを殺した。
彼は自らの大切な一部分を自分で葬り去った。情況をそのままにしたいという彼の利己心が、ポイズニーを殺した。それは全力で闇を裏切ってポイズニーを殺すよりも、キリヤ自身を深く後悔させているだろう。

 5 すすむ心

そして次は高揚について。もちろんそれはほのかに触れたことで生まれたキリヤの人間的な心が感じていることだ。
いずみのさんは相変わらずのとんでもない分析力で以下のことを指摘している。最近一部でひとまかせが散見されますが、もう理論分析については全面的にいずみのさんに任せます。私はもともと第18話でキリヤとシンクロしていた上に、都合よくあまりにもおいしいこの時期に「さらば青春の光」のようにキリヤとリアルにシンクロすることになったので、物語と人物を掘り下げる方向へ進もうと思います。

今話のラスト間際にキリヤは慟哭するのだが、それは姉を失った悲しみであり、ほのかと対立することへの嘆きでもあるだろう。そして、ドツクゾーンの宿命である「優秀さ」に従うか、ほのかの主張する「優秀でなさ」に連帯するかを選ばねばならないというジレンマでもある。
そして彼は「優秀さ」を選んで生きることしか許されていない。
id:izumino:20040614, ピアノ・ファイア, Mon 2004.06/14)

いずみのさんは優秀さという軸が見えている。たぶん人はそれぞれの視角に偏りを持っていて、それは別に優劣の問題ではない。優劣があるとすれば、それぞれに与えられた視角の先をどこまで見ることができるかということがそれにあたるだろう。僕にはいずみのさんに見えている軸が全く見えなかった。僕に見えるものは、キリヤがたどり着けぬ理想にたどり着きたいと願う抑えられぬ渇望である。そしてそれは文字通りたどり着けない。同時に僕に見えるのは、キリヤがその心の核をつないでいる懐かしき闇の世界である。そしてキリヤがほのかへと旅立とうとすれば置いていかなければならない「姉さん」こと闇の宿命を決意していたポイズニーの叫びである。しかしキリヤは彼の心の核から闇の世界を切り離すことはできないだろう。
前章ではキリヤを引き止める懐かしき闇について書いた(つもりだ)。この章ではキリヤを引き寄せる新たな光について書こう。
キリヤにとって、心を持つということははじめての体験だった。いや、体験という体験をすることができるのは彼に心が生まれたからだ。ほのかに触れるまで彼は感情のない機械に過ぎなかった。キリヤは常に情況だけを見て他者を批判していた。それはポイズニーも同じだった。自身の中には振り返るべきものが存在しなかったからだ。
しかし第17話で農作業を共にしたほのかの心に導かれるように、彼は人間の強さを知った。人間は不完全で、一人一人は弱い。しかし人間は力を合わせることで、個々の不完全さと弱さを補うことができる。人間ひとりでは呆然とするしかない一面の野菜畑の収穫も、力を合わせることで成し遂げることができる。

キリヤ「全部… 終わった…」彼は収穫すべき野菜の収穫が済んだ一面の畑を眺めて、改めて人間の力を思った。そしてほのかが彼の指に巻いたばんそうこうを眺めながら、ほのかの笑顔を思い出した。雪城はこう言った。
(ええ、そうよ。力を合わせるから、人間は強いんじゃないかしら)
ポイズニー「キリヤらしくないわね」
キリヤ「あっ」
ポイズニー「隙だらけよ。あたしがその気だったら、あなた命はないわよ」
キリヤ「姉さん」
ポイズニー「まさかと思うけど、人間に取り入るつもりが逆に取り入られるなんてことはないわよね」
キリヤ「そんなこと、あるわきゃないだろ」
ポイズニー「マジ? その割にはムキになるわね」
キリヤ「奴らをやるんだろ。手伝うよ」
(第17話「ハートをゲット!トキメキ農作業」より)

彼はこのとき隙を見せた。隙を見せたという事実は、彼が自身の内面に入り込んでいたことを示す。このときキリヤには、入り込むことのできる内面が生まれていたのだ。このとき彼の心は生まれた。ばんそうこうばんそうこうを巻いたほのか。キリヤと彼女と友人たちが成し遂げた収穫。それらが彼に心を生んだ。
そして生まれた彼の心は、自身を生んでくれたほのかを目指す。彼の心が生まれたキリヤという存在は、彼の心以外は全て闇とつながっている。彼の心は相容れることのできない者たちに取り囲まれている。だから彼の心は彼自身を捨ててほのかを目指そうとする。しかし彼の心は彼の体と共にある。彼の闇と共にある。彼の中に生まれた光を生かしているのは、最初に彼を生み彼を生かしてきた闇なのだ。
彼の心は相容れることのできない物によって存在している。彼の心は生まれたてしまった。彼の目は光を見てしまった。しかし光を目指して歩き出すことはできない。歩き出すことはおそらく、彼の心、彼の体、彼の核、彼の闇を全てまとめて自ら殺してしまうことになるからだ。
今までの彼は、ただジャアクキング様の意志をなぞっているだけだった。ジャアクキング様こそが彼だった。だから彼の存在理由は明確だった。ジャアクキング様がいるから彼がいる。彼は自身の存在理由を悩む必要がない。ジャアクキング様は確かに存在しているからだ。
しかし彼の心は生まれてしまった。生まれてしまった彼の心は、自分が何者であるかを自問し始めた。なぜなら生まれてしまった彼の心は、何者にも根ざすことなく相容れない闇に取り囲まれていきなり存在を始めてしまったからだ。彼自身の中には、彼の心が根をおろすべき場所がない。彼を作り上げている全ては闇だからだ。彼の心は自分以外の存在に根をおろす以外にない。具体的には、彼の心を生み彼が唯一慕っているほのかしかいない。
しかし彼の心がほのかとつながるということは、何度でも書くけれど彼自身でありしかし光とは相容れない闇を捨てなければならない。しかし彼の身体は闇から生まれ、闇でできている。闇を捨てれば、彼は死ぬ。だから彼は動くことができなかった。彼が運命に引きずられてたどり着いた、光と闇との境界線にとどまるしかなかった。だから第18話で彼は光と闇のバランスを崩さないために、絶体絶命のプリキュアたちを救わなければならなかった。それもポイズニーに気づかれないように。結果的にそれはポイズニーを裏切ることだった。しかしキリヤはポイズニーを裏切ってまでも、光と闇のバランスを保たなければならないと思った。それは決意ではなく、止むに止まれぬ必要だった。光と闇のバランスを崩さぬよう、彼は彼ができることをした。しかし情況は彼の力を越えて動いてしまった。

 6 慟哭

ポイズニー「大丈夫。わたしを信じて」
キリヤ「侮らないほうが、いいと思うよ」
ポイズニー「バカにしないで! 今度は本気でやるわ」
(第20話「どっちが本物?ふたりのほのか」の前半より、ポイズニー背水の決意をする場面より)

このときキリヤは今までのような嘲笑を含んだものの言い方をしていない。ずっと下を向いてあたかも自分に言い聞かせるように、一言一言をかみ締めながら話していた。キリヤにとって、ポイズニーが侮ってはいけない相手とは誰だったのか。ポイズニーは当然プリキュアのふたりのことだと考えていたようだが、もしかするとキリヤは侮ってはいけない相手に自分のことを含めていたのかもしれない。積極的にプリキュアを応援することはなかったかもしれないが、キリヤとポイズニーが協力してようやく追い詰めることができたプリキュアたち。それに加え、キリヤは魔人たちのなかで唯一知ってしまった。人間が力を合わせることで思いもよらぬ強さを手にすることを。そして力を合わせることで強くなれるのは、自分たち魔人にとっても同じだということもキリヤには分かっていただろう。
しかし彼はふたつの理由からポイズニーと力を合わせることができない。ひとつは今まで書いてきたように、キリヤは彼にとって光と闇がバランスしている現状を変えられない立場にあるということだ。そしてもうひとつは、キリヤがポイズニーに力を貸すことがポイズニーの力を信用しないことになるからだ。ポイズニーはこれまでの失敗を取り戻そうとしている。取り戻すためには何が何でも勝てばいいわけではない。いずみのさんが指摘したことをもういちど拝借すると、

ポイズニーもまた、「実力=優秀さ」という概念にしがみついており、独自の理論を語りながら「優秀でなさ」を否定する。
id:izumino:20040614, ピアノ・ファイア, Mon 2004.06/14)

というのがポイズニーだ。だからポイズニーは今回第20話において、どうしてもひとりでプリキュアを倒さなければならない。ひとりで倒さなければ、彼女の実力=優秀さは証明されないからだ。それは彼女を姉さんと呼ぶキリヤにも分かりすぎるほど分かっていただろう。彼もまた実力=優秀さのみを望んでいる魔人のひとりだったからだ。
彼はポイズニーに「侮らないほうが、いいと思うよ」とアドバイスした。ポイズニーには生き残ってほしい。だから彼女が反発することを承知でキリヤはポイズニーにアドバイスした。と同時に、ポイズニープリキュアたちを侮れば彼女が負けてしまうかもしれないと考えている。それまでの彼はピーサードとゲキドラーゴには嘲笑を浴びせていたが、ポイズニーには決して意見しなかった。ピーサードやゲキドラーゴへの評価とは異なり、キリヤは彼女の力を信じていたわけだ。もしくは信じたいと思っていた。そう思うだけでもキリヤが姉さんを別格として認めていたことを示している。
そのキリヤが、信じていた姉さんに僭越なアドバイスをしたのだ。この時点ですでに彼の心は、それまで一身同体だったポイズニーから距離をとっていた。ただひたすらジャアクキング様に従うポイズニーから距離をとったということは、彼がジャアクキング様=ドツクゾーンからも距離をとってしまっているということだ。
しかし今まで見てきたように、闇は彼を存在させている基盤である。彼は闇とともになければ存在できない。だから彼は動くことができなかったし、状況が動こうとすれば彼にできる範囲でその動きを封じるしかなかった。そして第18話で彼は実力を行使し、プリキュアたちを危機から救い出した。闇の存在であることを決意するわけでもなく、光へと歩みだす決意をするわけでもなく、ただ流れてゆく情況を押し留めるという消極的な気持ちだった。

キリヤ「はっ」
キリヤ「まさか… 姉さん!」
(略)
イルクーボ「敗れたものは、闇に消え去るのみ。それがドツクゾーンに生きるものの定め。生き残るためには勝つしかない。食い尽くすしかない。我々は、永遠の闇を得るためにここに存在しているのだ。闇に生きるか、光に死すか。どちらかしかない」
キリヤ「僕は… 生きる。生きるに… 決まってるじゃないか」
イルクーボ「キリヤ…」
(第20話「どっちが本物?ふたりのほのか」のラストより、ポイズニー消滅の後に)

彼はポイズニーを殺した自らのどっちつかずな態度を慟哭しても足りないほどに後悔しただろう。彼が光に、ほのかに心を開かなければポイズニーは死ななかったかもしれない。少なくとも彼女が死ぬときはキリヤも死ぬときだったはずだ。しかし彼は闇と光の境界線上から動けなかった。もちろん動こうと思えば動くことはできた。しかし彼は動かないことを選んだ。そして姉さんは闇に還った。姉さんと呼ぶ姉さんは闇に還った。
そして彼は決意した。僕は生きると。たとえこのままどっちつかずの態度を続けても、ドツクゾーンが負けてしまえば彼もまた闇に還らされてしまう。ポイズニーを失ったのはその態度のせいだ。そしてその態度を続ければ、イルクーボも、ジャアクキング様も、キリヤ自身も消滅する。これ以上後悔はしたくない。彼は決意した。もうこれ以上後悔はしたくない。
しかしその決意は、プリキュアと闘うことを意味する。自分の心を生んだほのかと闘うことを意味する。母なるほのかを手にかけることを意味する。後悔はしたくない。絶対に。しかし後悔をしないためには、ほのかを手にかけることになる。彼は自分の心を殺す決意をした。いま生まれたばかりの彼の心は彼自身の手で殺されようとしている。
その定めの重さに彼は慟哭するしかなかった。