3 敦賀から鯖江へ

  

     自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜



坂道と山道に悩まされる


6月19日。
朝、テントをたたんでいるとポツリポツりと雨が降り始めた。出発して3日目だけど、まだ青空には一度もお目にかかっていない。


8時半になって出発したけれど、それを待っていたかのように急に雨脚が激しくなってきた。わずか100メートルほど走っただけで木陰に入り、雨宿りをする。いやだなぁ、まったく。


合羽をつけて再び雨の中を走り始めるが、道はどんどん上り坂になり、勾配もきつくなる一方で、途中でたまらす自転車を降りて押して上がらねばならなかった。このあと、旅行中、どれだけ自転車を押すことになったことか…。このときはまだわからなかったけれども、日本の道路がこんなにも起伏の激しいものだとは、地図だけ見ていてもわからないし、想像もつかなかったことである。こんなのは、まだ、ほんの序の口であった。



  たまらず自転車から降りて押す。


降りしきる雨の中、延々と続く坂道をせっせと歩く。
上り坂は約1時間続いた。


頂上が滋賀県福井県の県境で、ここからが福井県の標識が上がっていた。そこの隅に、ぽつんとバス停があり、「国境(くにざかい)」という停留所名が見えた。車もほとんど通らない道路だが、バス路線にもなっているらしい。古ぼけた時刻表を見たら、バスの便は、一日に数本しかなかった。  



  
  福井県に入った。


そこから長い長い下りが続いたが、調子に乗って少しと飛ばし過ぎた。
カーブでバランスを崩して転倒しかけ、冷や汗をかいた。この旅行で最も注意しなければならないのは事故である。特に下り坂でのスピードの出しすぎは絶対に慎むべきである、と、このとき改めて思い知らされた。下ること45分で敦賀市街に入ってきた。


敦賀駅は思いのほか大きくて賑わっていた。駅前で食パン(35円)と夏みかん(30円)を買い、固形燃料(100円)もついでに買っておいた。


敦賀湾を望む浜辺まで走り、ベンチに座って食パンとチーズを頬張り、夏みかんを半分食べた。これが今日の朝食だったが、時間はもう11時近かった。



 敦賀湾はどんよりと曇り、人影も少ない。
 ため息が出るほど、寂しさが募る。 


いつの間にか雨が止んでいたけれども、また降ってきた。今日はどこまで行けるのか、よくわからなかった。雨が上がらないので気が滅入ったが、とりあえず武生〜鯖江〜福井へのコースをとるしかないのだから
出発しなければならない。 道はまた登り始めている。


行く手に有料道路があった。
入り口に料金が記されていたが、各種車両の一番下に「自転車・10円」と書いてあった。
「なんだ、わずか10円か」…とは思わない。
ここは思案をする。
まぁ、別にここを通らなくても行けるのだし、有料道路というのは案外きつい勾配になっていることが多いしと、一般道路(旧道)を選んでしまったのが、結果において大きな誤りであった。


舗装道路が途切れて地道になり、それもあちらこちらがぬかるむ悪路、さらに急な上り坂。車も人間もまったく姿が見えず、これでもかというほど上りが続いて、やがて山賊でも出てきそうな奥深い山の中へと道はだらだらくねって延びて行く。もちろんずっと自転車を押しっぱなしである。重い荷物を積んだ自転車がきしんで悲鳴をあげそうだ。


雨が止んでくれたのが唯一の救いだった。再び舗装道路になったけれど、トンネルを幾つもくぐった。数えていたら9つもあった。地図は持っていたのだけれど、よく調べもせず、深く考えもしないでこちらの道を選んだ自分の軽率さに腹が立った。こんなきつい道って見たことない。


岩の間から湧き出ている水を飲んで休憩し、よ〜く考えてみた。
そもそも、このあたりは日本で一番長い北陸トンネルの通っている場所ではないか。峻険なことで有名な木の芽峠もこの辺なのだ、と思い当ってまたまた落ち込んだ。
遅いんだなぁ、気がつくのが。
なんで自分はこんなに迂闊なんだろ…。

 

険しい山道。山賊に出遭わなかったのが幸い?


さんざん上った後、やっと下り道。
もう、欲も得もなかった。
今度は下って下って下って…最後の長い長いトンネルを抜けたら武生市であった。この長いトンネルも、無防備な自転車ではものすごく恐ろしい思いをさせられる。トンネル内は道幅が狭く、大型トラックなんかがすれすれで追い抜いて行くと、生きた心地がしない。とてつもない轟音がトンネル内に響き渡るので、怪獣に襲われかけているような恐怖が全身を貫く。まったくもう身が縮んでしまう。


トンネルを抜けてもまだ下りが続き、びゅ〜んと下っているうち、瞬く間に武生市を抜けて鯖江市に入った。やれやれ、である。 高校生に鯖江駅の方角を尋ねたら、聞いたことのない奇妙な発音で答えが返ってきた。あぁ、なるほどなぁ…。もう関西弁が話されていない地域に来たのだなぁ、という感慨を抱いて、鯖江駅へ向かう道々、夕刻にも近づきつつあるし、今日はこの鯖江の町で安い旅館でも探して泊まろう、と決めていた。


今日はもうテントを張るのは嫌だ。
駅にお巡りさんがいたので、近くに安い旅館がないか聞いてみたら、お巡りさんはそばにいたタクシー運転手に聞き、タクシー運転手は無線を取り出していろんなところへ問い合わせてくれた。
「予算はいくらぐらいだ?」 と聞かれたので、
「千円まででお願いします」と要望したら、1泊2食付で千円ちょうど、という旅館を見つけてくれ、僕の名前を旅館に伝えて予約までしてくれた。運転手さんにお礼を言うと、横からお巡りさんが、
「ところで、どこまで行くの?」 と聞いてきた。
そして、「ほっかいどう? そぉりゃ遠きゃろうの」
とひとしきり驚いたあと、「泊まるぐらいなら交番でも泊めてやるんだけど…」 とぼそっと言った。


なぁんだ、それならそうと最初から言ってくれればよかったんだ。


紹介してもらったのは「小林旅館」という、駅からすぐ近くの小さな和風旅館だった。もちろん「旅館」というところに一人で泊まるのは生まれて初めてだ。お客としてどうふるまっていいのか、何もわからない。部屋に案内してくれた女性が、人見知りが激しそうで無口な人だったのでなんとなく安心した。 


夕食に出たのは、ハムエッグ、お造り、ピーマンとイカの炒め物、キュウリの酢の物、吸い物で、僕はご飯を特大の茶碗に4杯食べた。
お櫃の中のご飯はほとんどなくなっていた。
はちきれんばかりに膨れたおなかを抱えて、僕はとても満足した。
これほどご飯がおいしいものだとは、今まで思ったこともなかった。
北杜夫が戦後の食糧難の時に、山形で白いご飯を食べて感激した話を
エッセイに書いていたけれど、そこには、「白い飯は勝手にツルツルと喉に入る」 とあった。まったくその通りだ。ほんとうに、ご飯はいくらでもツルツルと喉に入って行くのである。


テレビでは広島から、日本対ドイツのサッカーの試合が実況中継されていた。鯖江のテレビのチャンネルは3つしかない。


布団を敷いてもらったあと、もう何もすることがなくなり、寝転んでぼんやりとテレビを見ていたら、「あぁ…。僕は旅に出たんだ」と、ひとしお旅情が感じられてきた。
右手の手のひらが、ピクピクと痙攣を起こしていた。





 宿屋。