16 北海道へ

 

   自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第16回



♪ はるばる来たぜ函館〜 







7月1日。午前6時起床。
ユースホステルよりも粗末な朝食を食べて、早々に斜陽館を出た。
五所川原に向かう途中、前方に岩木山が見えた。
山裾は見えず、頂上付近だけが浮かんでいた。
「霊峰」にふさわしいたたずまいである。

向かい風を受け、いくつもの小さな峠を上がったり下ったりしながら、やがて国道7号に出て、ゆっくりとなだらかな坂を下って行くと青森市に入る。車が多くなってきた。






青森駅に着き、案内所へ行く。
自転車で北海道に渡りたいのだが、と言うと、案内係から、国鉄では自転車は扱っていないから「東日本フェリー」へ行ってくれ、と言われた。これには少なからぬショックを受けた。北海道へ渡る船は「青函連絡船」と相場が決まっているはずであった。北へ北へと流れて行く男は、やがて本州の果てから青函連絡船に乗って北の大地へ…。演歌の世界ではないけれど、北海道へ渡るのは、青函連絡船でなければならないのである。それがなんと、連絡船は自転車を扱わないのでフェリーで行ってくれとは、まるで裏口からこっそり入れと言われているようなもので、これが北海道への正しい入り方とは到底思えない。約束が違うじゃないか。まぁ、別に約束していたわけじゃないけれど…。


教えられたとおり、東日本フェリーの乗り場に行った。閑散とした切符売り場のカウンタの係員は、次の船は午後3時20分までない、と面倒くさそうに言う。時計を見るとまだ午前11時である。函館までの所要時間は約4時間。函館ではもちろん泊るところも決まっていないので、なるべく早く海を渡りたいのだが、フェリーの出港までまだ4時間以上もある。待ち時間が惜しい。今にも雨が降り出しそうな空模様を眺めてまたひとつ、大きなため息が出た。

80円のカツ丼を食べたあとはもう何もすることがなくなり、駅周辺をぶらつく。ずらりとリンゴ屋さんが並んでいた。バナナや瓜も売っているが、目につくのはリンゴばかり。どの店にもひとりのお客の姿もなく、店の人は暇を持て余しているようだった。その前を、同じく暇を持て余している僕が、何回もうろつく。時間の経つのが、とても遅い。


フェリーは3時20分に出発する予定だったけれど、靄がかかっているだのレーダーが故障だので、船が入港してきたのは3時45分を過ぎていた。やっと乗船許可が出て、小走りに自転車を押してフェリーに乗り込むとき、右足を滑らせて思い切り膝を地面に打ちつけた。そのときは我慢して進んだが、船の中でズボンをめくると、打撲した膝の部分が紫色に腫れ上がっていた。





  やっとフェリーが到着した。



船が動き始めた。いよいよ、北海道に渡る。これまで、旅行といえば、小学校の伊勢、中学校の東京、高校の九州と、修学旅行しか経験のなかった僕である。その経験不足を一挙に返上しようとする今回の自転車旅行だけれど、漠然とした憧れをもっていた東北と北海道だったが、東北を通り過ぎ、いよいよ北海道が眼前に迫ってくると、感慨もひとしおである。


僕たちは、なんとなく日本列島の北への憧れがある。北への旅は、なぜか人生を悲壮に孤独に感傷に浸らせるという趣がある。芭蕉も「前途三千里の思ひ胸にふさがりて」と、みちのくへの憧憬を表わした。「おくのほそ道」での芭蕉の旅は、平泉がもっとも北の果てであり、それは今の岩手県の南部だから、「みちのく」はまだそれよりはるかに北に広がっている。そして、その先には北海道がある。青森から北海道は、僕にとっての、とてつもない「前途三千里」であった。そして、とうとうその北海道に、いま、たどり着こうとしている。大阪を出て、15日目である。


船の上空をふんわりと舞い、時折マストに止まる一羽のカモメがいた。船と一緒に旅をしているように見える。たった一羽で、寂しくはないのか、と問いたくなる。その姿をしんみりと目で追い、写真に撮ったりして、なんとなく物悲しい気分に沈み込んでゆく僕であった。寂しさがこみあげてくる。思わず涙ぐむような場面であったが、このとき、いきなり歌謡曲が浮かんだ。


 ♪ は〜るばる来たぜ 函館ぇ〜
   さ〜かまく波を乗り越えてぇ〜


4、5年前に流行した北島三郎の「函館の女」である。北海道の玄関口・函館に来た人は、誰もがこの歌を口ずさみそうであった。それほど衝撃の強い歌であり、一度その曲が浮かぶと、もう取り返しのつかないほどこれが頭の中で響き続ける。振り払おうとすればするほど、「は〜るばる来たぜ〜」 がわんわんと鳴り響く。そのあともずっとこの歌の文句が耳について離れなかった。





一羽のカモメが、ずっと船の上を舞っていた。




午後8時半に函館港に着いた。7月と思えないほど寒い。港から函館駅へ向かう国道5号沿いは、どの店も閉まっており、信号すら消えてしまっている。ひっそりと静まり返った街は、まるで深夜のそれのようであった。


函館駅前に着いた。駅の真ん前に小島旅館という看板が見えたので、そこへ泊まることにした。宿に入り、主人に、7月だというのに、いつもこんなに寒いのかと訊くと、今日は特別だという答えであった。北海道の最初の夜は、無事に布団の上で眠ることができた。


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翌2日。また雨が降っている。吐く息が白い。7月なのに、である。7時半に旅館を出て、函館駅に行き、ハガキを20枚買った。僕の旅行を励ましてくれたり心配してくれたりする人たちすべてに、無事に北海道まで来たということを知らせなければならなかった。駅で、20枚のハガキをすべて書き終えるまで、2時間かかった。ハガキを書いているとき、入れ替わり立ち代り、いろんな子どもが覗きに来た。


この雨の中を、あわてて函館を後にして出発する…というのも味気ない気がして、とりあえずもう1日函館に滞在することに決めて、北星荘というユースホステルに電話をし、予約を取った。その北星荘は、湯川というところにあった。そのままユースホステルへ行き、庭に自転車を置かせてもらい、貴重品だけを下げて街に出た。


今日一日は、初めての北海道を楽しみたい。
ゆっくり函館見物をしよう。
僕は、また例の歌の一節を浮かべ、口ずさんだ。


 ♪ は〜るばる来たぜ 函館ぇ〜


自転車から離れて歩き回れる。そのことが、僕を浮き立つような気分にさせたようだ。毎日苦労を分かち合っている自転車には、なんだか悪い気がしたけれど…。






  とうとうやって来た…





 函館駅のすぐ前にあった小島旅館に泊まる。