54 僕が八戸に行く理由

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第54回



高校の教諭が僕に「八戸に行くならオレの実家へ!」と…




僕が通っている大学の隣に、附属高校の建物がある。
僕はその附属高校の卒業生でもあったので、
大学生になってからも、しょっちゅう附属高校の職員室に出入りして、
ついこの前まで教えてもらっていた先生たちと、雑談に興じたりしていた。
網走の古川さん宅を紹介してもらった崑ちゃん先生も、ここにいた。
「ほう…。お前が自転車で北海道までなぁ。大丈夫なのか、本当に?」
旅行の計画を話したとき、崑ちゃん先生は本気で僕のことを心配した。
そして、北海道へ行くのなら、妻の叔父さんが網走にいるから、
そこで泊めてもらえ、と言ってくれたことは、これまでにも書いてきた。


旅行の前、職員室で、崑ちゃん先生とその話をしていた時のこと…。
その話を聞いていたのだろう。
崑ちゃん先生の斜め前に座っていた、ツカハラという体育の先生が、
「おぉっ。 自転車で北海道へ行くのか? なら東北も通るだろ」
と身を乗り出すようにして、口をはさんできた。
ちょっと気が荒くて、手も早い、生徒から疎んじられていた先生だ。
「通りますよ、もちろん」 と僕。
「じゃあ、八戸も通るだろ」
「はちのへ? どこですか、それ?」
「お前、八戸も知らないのか? よくそれで自転車旅行ができることだ…」
あきれたようにそう言って、ツカハラ先生はメモ用紙に住所を書き、
「ここには俺の親兄弟が住んでいる。ここへ寄れ。連絡してやるから」
と、メモを僕に手渡した。 字が、ちゃんと読み取れないほど下手くそである。
「よくそれで教師が勤まっていることだ…」 そう、言いたい。


「あ、先生は青森県のご出身だとおっしゃってたけど、八戸だったのですか?」
と、今度は横から、崑ちゃん先生が口をはさんだ。
「えぇ。若い頃、親父と大喧嘩しちゃいましてね。
 勘当されて家を飛び出して、そんまんまですよ」
ツカハラ先生は、そう言って、うはははは、とあたり構わず大声で笑った。


「あのぉ…、すみません」 と今度は僕が口をはさむ。
「勘当された…って、先生。 それは喧嘩別れということじゃないですか?」
「まあ、そういうことだ。 あれから10年、親兄弟とは音信不通だ」
「音信不通? だったら、そんなところへ僕が行ってどうするんですか?」


  〜 てめえ! ヤツの何なのだ。 何しに来やがったんだぁ 〜


八戸の先生の実家へ行ったとたん、そんな罵声を浴びせられるかもしれない。
親子喧嘩のとばっちりをうけるなんて、イヤなこった。


「あはははは」
とツカハラ先生はまた哄笑したあと、
「ウチの親や兄弟たちはな、…みんな、心の優しい人間ばかりだよ」 
そう言ったかと思うと、急に遠くを眺める目つきになった。
「10年かぁ。 うーん。 あれから、もう10年が経ったのかぁ…」
ツカハラ先生は、腕組みをして、感慨深そうに目を細めた。
「せっかく言っていただいているんだ。 ご好意に甘えればいいじゃないか」
と、崑ちゃん先生も、気乗りのしない僕を説得しにかかった。
「わかりました。寄ります」 と僕はしぶしぶ約束した。
ツカハラ先生は、そんな僕をうれしそうに見つめ、


「行ってくれるかい? じゃぁ、電話するよ。家を飛び出してから、
まだ一度も電話一本入れていないからな〜。驚くだろうなぁ…。
きっと、親父も、兄貴も、俺のことを心配しているんだと思うよ。
あ、そうだ。 むこうでいろいろ俺のことを聞かれると思うけどな、   
俺は教師として、立派にやっているって、そう言っておいてくれよな」


僕が八戸に行くのには、そういう理由があった。

三沢から八戸までは20数キロの距離である。
自転車を漕ぎ、1時間余りで八戸市内に入った。
道路が狭くて車が多い。北海道とはずいぶん街の様子が違う。
ツカハラ先生の実家は、時計屋さんだと書いてある。
道行く人に住所を見せて、何度か迷いながらも、そこへ到着した。


「時計メガネ・ツカハラ時計店」 という看板が上がっていた。


僕は店の前で、「失礼しま〜す。すみませ〜ん」 と声をかけながらも、
中から出てきた人に、
  

  〜 てめえ、とっとと消えろ! 〜 


などと言われるのではないかと、少しだけ、まだ心配であった…。