57 ウミネコの島

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第57回



「八戸名物」のウミネコを見るために蕪島







8月5日。
ツカハラ時計店の心地良い布団の上でぐっすり眠ったあとの朝、
一晩中降り続いた雨はまだ止んでおらず、僕は2階に与えられた部屋で、
午前中ずっと、地図を見たり、自分のこれまでの日記を読み返したりして過ごした。
いま朝ごはんを呼ばれたところだと思っていたら、もう昼食の時間になった。
何もせず、食べてばかりだと、なんとなく気が引ける。
午後、幸いなことに雨が止んだので、一人で自転車に乗って外出した。


とりあえず郵便局へ行った。
1週間ほど滞在するはずの北海道の糠平ユースで行き違いがあり、1泊だけで出発した。
大阪から、糠平へ、いろんな郵便物を送ってもらうことになっていたけれども、
そんな事情で、糠平の人に、届いた郵便物を八戸に転送してもらうよう頼んでいた。
そして、八戸郵便局には、ほかの郵便物とともに、大阪の母からの小包が届いていた。
運動靴、洗濯バサミ、下着、歯磨き粉、歯ブラシ、チューインガム、腕時計、
名刺など、頼んでいたもの、頼んでいなかったもの、いろいろ入っていた。


いったん荷物をツカハラさん宅に置いて、僕は再び自転車で出かけた。
ウミネコの繁殖地として有名な蕪島を見学するためである。
蕪島は、ここから2里ほどあるけどね」 
と、ツカハラ家の人が方角を教えてくれた。
八戸市内から約8キロだから、自転車で30分ほどである。


途中、イカ釣り船がぎっしり並んでいた。 壮観であった。
その光景を写真を撮るために、道路に出てカメラを構えて何枚か撮影していると、
ふと気がついたら、何台もの車が連なって、渋滞していた。
どの車も、クラクションも鳴らさず、僕が撮影を終わるのを待ってくれていたのだ。
あわてて道路わきに寄ると、最前列の車の運転席に座っていた若者が、
笑顔でこちらに会釈をし、手まで振って走って行った。
大阪では考えられないことである。

 

小さな漁船が港にひしめく。




「鮫」 というギョッとするような名前のついた駅の近くに、蕪島はある。
島、といっても、陸続きである。
もっとも、昔は陸から離れていたそうで、島につり橋が架かっていたという。


島に神社があり、階段を上がって行くと、目の前はウミネコだらけになった。
階段の手すりから鳥居の上まで、ズラッと並んで
「ウンニャァ、ウンニャァ」 とも
「アァ〜、アァ〜」 とも聞こえる鳴き声を発している。
なるほど。 確かにネコの声に聞こえる。
まあ、赤ん坊の泣き声も、ネコの声と聞き間違えることがあるけれど、
よく聞く声と言えばよく聞く声だし、奇妙と言えば奇妙な鳴き声である。 


その辺に、何人かの人間がいて、ウミネコにパンのくずを与えている。
面白いのは、空中を飛んでいるウミネコに、パンくずを投げつけると、
ウミネコはそいつをパッと口でキャッチして食べてしまうのである。
しかし、静止しているウミネコに、パンをやろうとして近づくと、
たいていは警戒して、さっと身を引いて、人間から離れて行く。
そこは公園や駅のホームで誰からも餌をもらうハトなどとは、違うところである。
ウミネコには、天然記念物としての誇りがあるのかもしれない。


僕は近くの売店で菓子パンをひとつ買った。
そして、上空を旋回するウミネコめがけて、エイヤっとパンくずを投げ上げた。
一羽のウミネコは見事に身体をくねらせてそいつを口でとらえた。


ぱちぱちぱちぱち。


しかし、別のウミネコにめがけて投げると、そいつはモタモタして、
飛んできたパンをめがけて飛びつくのだが、うまく口に入らない。
パンくずはそのまま僕の足元に落ちてきた。
もう一度投げる…。
そのウミネコは、「さぁ来い」 というような仕草を見せるわりには愚鈍なヤツで、
僕の2投目も、空中高く上がったコースとしては、申し分なかったのであるが、
やっぱり、そいつはパタパタっと、パンに食いつこうとして、空振りに終わる。
パンくずは、また僕の足元に落ちてきた。
「おいおい、どこ見てるんだ。しっかりしろよ」
さらに数回、僕は身体を反らして真上にパンくずを投げるのだけど、
一度も成功せずに、僕のまわりは、自分の投げたパンくずだらけになってしまった。

やがて、手元のパンが半分にまで減ってしまったことに気づいた僕は、
アホらしくなって、この天然記念物との遊びを中止することにした。
この旅行では、常に腹をすかせている僕なのである。
この、貴重な、人間の食べる菓子パンを、無駄に投資してはならない。
パンを与えたところで、ウミネコは何も返してくれまい。
ウミネコの恩返し」 などというのも、聞いたことないしなぁ。


「ウンニャァ、ウンニャァ」
「アァ〜、アァ〜」 


ウミネコたちは、パンを持って立っている僕に催促をするように、
上空をくるくると飛び回っている。
いつ投げてくれるか、と期待している態度がミエミエである。
そのくせ、投げたパンを落としてしまうドジなのがいるんだ。


僕は、菓子パンの残り半分を袋から引っ張り出してちぎり、
それを空中に投げず、ポイと自分の口に入れた。
「う〜ん。 うまい!」
こんなうまいもの、もはや誰がウミネコなんぞに食べさせるものか。
僕はパンの残りを食べ終わると、また売店に行き、もうひとつ菓子パンを買った。
そして、ウミネコたちの見ている前で、それも全部自分で食べてしまった。


「ウンニャァ、ウンニャァ」
「アァ〜、アァ〜」


あげないもんね。

パンは僕にとって、大事な食料だもんね。





蕪島から港を。






餌を求めて上空を旋回するウミネコたち。