63 高村山荘

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第63回



詩人高村光太郎が晩年に一人で住んだ山荘へ、ペダルをこぐ







僕は、何の飾りっ気もない田園風景の中を、ひとり黙々と走る。
農村から山村へと景色が移ろい、やがて人家からも遠ざかって行く。
高村山荘は、山林の中にあった。






(この写真はパンフレットから転載したもの。右の小さな建物は便所)



      
山荘は、山の斜面にかかる湿っぽい所に建っており、雑木が覆いかぶさっている。
外から見るかぎりでは立派な建物のようであるが、これは套屋といって、
実際の小屋の上にかぶせている新しい建物である。
だから、本物は、粗末な小屋である。


僕は、人影のない山荘に近づいて、中を覗いた。
さむざむとした狭い土間を見ただけで、光太郎の生活が偲ばれた。
彼がここへへ移り住んだのは、終戦後間もない昭和20年の10月だった。
妻智恵子が亡くなってから、7年が経っていた。
そして、光太郎は7年間、ここで、独居自炊の生活を送った。


光太郎が住んでいた当時の環境を、そのまま復原しているのであろう。
狭い空間には、畳もなく、人が当たり前のように住めるところには、見えない。


壁に、本棚のような形をしたものが、4、5段、並んでいる。
1番下の棚には瓶が数本、下から2番目には飯盒とかお茶の葉などが置かれ、
その上に、書籍が並んでいる。


自虐的、とまで言われた光太郎の独居自炊の生活だが、
この光景を目の当たりにすると、寂しいとか、質素だとかを通り越して、
いたたまれないような、悲惨な生活を連想させる。 
真善美に生き抜こうとした光太郎の、高潔な理想主義を具現した山荘…
究極的には、そう表現することも出来るかもしれない。
しかし、僕など凡庸な人間は、この住居のひどさに目を背けてしまう。


山荘の隣に、便所の小さな建物があった。
入口の戸には、光太郎自身の手になる 「光」 という字が彫り抜かれていた。
いわば、高村光太郎の、サイン入りの便所である。
戸に、「使用しないで下さい」 と書かれた紙が貼られていた。
僕は、反射的に、あたりを見回した。
誰も、いない。
なんとなく後ろめたい気はしたけれども、千載一偶の好機である。
手を伸ばし、その戸を手前に引くと、ギィっと音がして、簡単に開いた。
僕はすばやく中に入り込み、そろっと戸を閉めた。
そして、小便をした。


… すっきりしたのか、しないのか、わからないような気分で、山荘をあとにし、
標識を頼りに、その近くにある高村記念館へ行った。
こちらは、山荘と違ってモダンな造りの新しい建物であった。
昭和41年建設、とあるから、まだ3年前に建ったばかりである。
ここには、受付があり、従業員がいて、切符を買った。
入場料は100円だった。
光太郎の彫刻、書、著書、遺品などが数多く展示されていた。
デスマスクもあった。
光太郎が使用したメガネ、というのもあった。
ほかに、服、下駄、長靴などもあったが、身体の大きかった光太郎らしく、
その下駄や長靴は、僕の足の2倍ほどもありそうだった。
入場者は、僕ひとりではなく、数人の女子高生らしいグループもいた。
彼女たちは、熱心に、光太郎の拓本を取っていた。



 
  
               高村記念館

   


山荘の近くに戻り、光太郎の詩碑の前に立った。
「雪白く積めり」 という詩である。


光太郎は、昭和20年10月から、27年10月までここに住んでいた。
雪深い東北の山村の冬を、7回過ごしたことになる。


この 「雪白く積めり」 は、光太郎がこの地で、最初に迎えた冬に、
作詩したものであると言われている。
(財)高村記念会というところが発行したパンフレットを、記念館でもらったが、
それによると、冬の厳しさは、


 「厳冬零下二十度、吹雪の夜は寝ている顔に雪がかかり、
  生きているものは自らと鼠とだけの夜を暮らし…」


そう書かれている。





 「雪白く積めり」 の詩碑。 山荘のすぐ近くにある。





(財)高村記念会発行のパンフレットから




また、同パンフレットでは、夏は…


  「虻やぶよにさいなまれる自耕に身をゆだね、
   自洗自炊の厳しき毎日であった」 


と書かれている。


たいへんな生活だったのだろう。
自分が、この山林の小屋で独居自炊の生活をすることになったら…
想像すると、絶望的な思いが、胸をよぎる。
しかし、光太郎の孤高の精神は、僕などに及びもつかないものだったに違いない。


   岩手の山は荒々しく美しくまじりけなく、
   わたくしを囲んで仮借しない。
   虚偽と遊惰とはここの土壌には生存できず、
   わたくしは自然のやうに一刻を争ひ、
   ただ全裸を投げて前進する。
   私の心は賑ひ、
   山林孤棲と人のいふ
   小さな山小屋の囲炉裏に居て
   ここを地上のメトロポオルとひとり思ふ。
       高村光太郎 「メトロポオル」 (抄) 


山荘の背後は、小高い岡になっていた。
そこに 「智恵子展望台」 があるという。


僕は、次に、そこへ向かった。