不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

年始派遭遇日記

 インターホンで起床。仙台から送った自分の荷物。再び布団に潜り込んで、次に時計を見たら11時過ぎ。慌てて洗濯機を廻し、その間に動物病院へ行き猫を引き取る。年末年始、病院(ホテル)に預けて悪かったな、と言うが猫はどこ吹く風である。ふんふん言いながら部屋を歩き、すぐに寝転がる。
 昼、「五右衛門」へパスタを喰いに行く。そこでよく行く洋定食屋のマスター一家に会う。こんな所で会うとはビックリ。場所が違うだけで違和感バリバリだなぁ。
 新宿へ。紀伊國屋ジュンク堂を回るも何も買わず。伊勢丹前で会社別部署のHさんに偶然会う。年始の挨拶だけ。
 バルト9で『AVP2 エイリアンズvs.プレデター』鑑賞。どうでもいい事だがバルト9のゴミ箱、燃えるゴミと燃えないゴミの入り口は別れているのに、中は一個のゴミ箱になっている。分別なんかしてないだろうなぁと思っていたけど、こんなはっきり見えているのは如何なものかね。
 鑑賞後、新宿武蔵野館へ行く。本日2本目『再会の街で』鑑賞。偶然人に会う事が2回もあったので、見たくなったのだ。
 地元に戻り、今日からやっている中華屋でチャーハンとギョーザ。今日は外れで、イマイチの味。
 夜、「東京マスメディア会議2」を見る。第1回目を見て大笑いした。これを見ていると、まだ雑誌という文化は生き残るなとぼんやり思う。

人類、大迷惑映画


 AVP2 エイリアンズvs.プレデター鑑賞。エイリアン“ズ”になっているのは、沢山出てくるから。
 前作が3年前。この映画が公開されると知った時はニヤニヤしたものだ。『ジェイソンvsフレディ』もニヤニヤした。こういったアメリカ(ハリウッド)の面白がり精神は好きだ。特に、“やりきって”しまうからいい。突き抜けてしまえば、どんなくだらないものも芸になる。
 理由はわからないが、地球付近を飛んでいたプレデターの宇宙船はエイリアンを研究している。理由はわからないが、あるプレデターからエイリアンが生まれてしまう。当然、エイリアンは暴れまわり宇宙船は地球に落ちる。その報告を受けたプレデター星にいるプレデターが地球に来て、エイリアンを狩る。そんな話。
 エイリアンはわんさか出てくるのに、プレデターは一人(匹?)だけ。どうせ自分の星から来るんだから2、3人連れてこればラクだろうに。一人の手柄にしたかったのだろうか。大変だぞ、エイリアンを一人で相手にするのは。
 モンスターが地球に来れば、当然人間を襲うわけで。人類、大迷惑である。関係ないのに巻き込まれて一番の被害。まー、殺されるわ殺されるわ人類。老若男女関係なく。登場人物の有名無名を問わず。清々しいくらいに。そりゃそうだ、こんなんが来たら素直に殺されるしか方法ないわ。人間一人一人にもストーリーはちゃんとある。しかし、ヒロインの無駄に溢れる色気も、ある男が刑務所に入る事になった原因も、ある母親の葛藤も、何もかもが圧倒的な暴力の前で無いに等しい。
 人類完敗。さよなら、残念です!
 にも関わらず、非常に小規模な話になっているのが面白い。最凶のモンスターが2種類も襲来すれば、人類全滅の危機なのだが、一つの街レベルで治まっている。一万人もいない街のコーヒースタンドやら発電所や下水道を飛び廻るエイリアンとプレデター。学校のプールにまで出てきて、いっそ微笑ましくなる。ゾンビをペットにする映画があるが、エイリアンをペットにしたらこんな画面になるのかしら、と夢想する。
 人類の決着のつけ方も、もう笑ってしまうほど投げやりだ。そりゃ想像していたやり方ではあるけれど、これまでの2時間なんだったんだと思う。それがまた、「それでいい」と思ってしまうから困る。さらにさらに、これだけ投げやりで小規模なのに次(3作目)に繋げる伏線を作るのを忘れていないのだから、笑える。*1やりたい放題。
 それにしても、エイリアンとプレデターのキャラ設定はすばらしい。特にエイリアンは、H・R・ギーガーが手がけた造形美から幼虫→寄生→成虫という過程や体液が何でも溶かすという設定まで、完璧なモンスターである。
 プレデターもいい。怪我の手当てをする時、痛さのあまり「ウオ〜」と叫びところに愛らしさ(?)を感じたし、同胞の死に対しての姿勢に胸打たれるものもある。
 なんといっても、親玉エイリアンと対峙する雨のシーンでは、神々しさすら感じた。あんな化け物に!
 いやはや、面白かった。文句一切なし。大満足。

*1:ラストシーンは『エイリアン』ファンへのちょっとしたサプライズ、らしいのだが俺にはわからなかった。

ギリギリの生え際


 ナショナル・トレジャーリンカーン暗殺者の日記』鑑賞。監督、ジョン・タートルトーブ。出演、ニコラス・ケイジジョン・ヴォイトハーヴェイ・カイテルエド・ハリスヘレン・ミレンダイアン・クルーガージャスティン・バーサ。製作はこの人だとは知らなかったジェリー・ブラッカイマー
 リンカーン暗殺は自分の先祖だった? 果たして先祖は本当に殺したのか。汚名を晴らすべく、黄金の都市を探す……って、ストーリーはかなり強引で荒唐無稽。突っ込みどころも満載。でも、まぁ楽しく見れた。
 考古学者が主人公のトレジャーハント物といえば、絶対に『インディー・ジョーンズ』を思い出す。思い出すというか、これが基本形となっている。美女にもてる主人公、博識な主人公の親、おっちょこちょいでふと触った場所がトラップのスイッチになったりトラブル解決のキーになる愛すべき友人、出し抜くが欲に溺れて負ける敵。
 出来上がった方程式があり、ある意味、鉄板なのである。この作品は『インディー・ジョーンズ』+『ミッション・インポッシブル』と言ったところか。これはこれで、予想以上のものは何一つ出てこないのだが、文句も特にない作品である。
 ニコラス・ケイジの泣きそうなのか笑いそうなのか、そのうち「パチンコ!」と叫びだしそうな哀愁と間抜けさを帯びた表情が、相変わらずいい。これで演技が巧いんだから、凄い。ジョン・ボイトもチャーミングなジジイを好演。エド・ハリスもよかった。
 文句なし。年始に見るには打ってつけの作品だった。
 それにしても、映画とは別の部分で思ったのは、アメリカという国の歴史の浅さである。リンカーン暗殺は1865年。大政奉還の2年前と考えると、結構最近だ。ある人物が「これでインディアン以前の歴史が分かる」と発言したが、つまり1492年以前という事だ。日本で言えば、室町時代。歴史が浅い事へのコンプレックスがあるとは思っていたが、いざ数字で見直してみると、この違いは顕著だなぁ。