≪思い出に残る懐かしい町々と人々(続き)≫

 7月24日(火) 薄曇。
 ウィーンからの友人Hamada氏とBambergへ向かう。Altes Rathaus, Dom, Neue Residenz,
などを見た後、Obere Pfarrkirche, Concordia(Barockpalast), E.T.A.Hoffmann-Hausを見る。二人で瓶入りのRauchbierを飲んで、Wallfahrer氏にもお土産にRauchbierを2本買う。レストランMesserschmidtでワインを飲んだ後、ニュルンベルクへ帰る。帰宅する前に、職場の同僚K氏が美味しいから是非試してみるようにと勧めてくれたWeinstube "Sreichele"に寄り、Weinを飲む。





 7月25日(水)Hamada氏にニュルンベルク市内を案内し、早目に帰宅して観劇(オペラ)の準備をする。Uhl氏と共に、奥さんに車でOpernhausまで送ってもらう。演目は:Giuseppe Verdi "Ein Maskenball". 20:00〜22:50
 7月26日(木)
 今日はHamada氏はUhl氏の案内でニュルンベルク市内の見物に出かける。両氏と別れエアランゲンに向かう。大学に行くのも久しぶりである。給費のお金を大学のKasseで受け取った後、Prof.Füllebornの今学期最後の講義を聴く。午後4時15分よりSchlüer氏と面談。
Stifterの"Granit"(Erstfassung:"Die Pechbrenner")についてレポートをし、1時間ほど語り合う。日本から送ってもらった扇子をお土産に渡して辞去する。Schlüer氏の誠実で緻密な指導に感謝したい。これで一応Stifterの初稿と第二稿(決定稿)の比較についてのレポートは無事終わり、曲がりなりにもエアランゲンでの研究課題からは解放されたのでホッとする。この研究成果は、日本に帰って詳しく検討した上で、ちゃんとした形にまとめたい。
 夕刻Hamada氏を伴ってWallfahrer夫妻に挨拶しに行き、しばらく談笑する。夫妻の娘さんもちょうど訪ねて来ていたので紹介してもらい、9時頃まで5人でいろいろ語り合う。その後Hamada氏とギリシア・レストラン"Zum Steigerturm"で食事をする。ギリシアの赤ワインもなかなか美味であった。

 7月27日(金)曇。
 Nürnberg発9時06分の汽車でMannheimに向かうため、Hamada氏と一緒に家を出る。Nürnberg駅で彼と別れる。彼はWürzburgへ向かった。
 乗り換えなしで12時42分にMannheim駅に着く。ホームにProf.Wundtが迎えに出ているのが見えたので、汽車の窓から手を振ると、彼も気がついて手を振ってくれた。
天気はあまりよくなかったが、途中車窓から見えるNeckertalの眺めは実に美しかった。またSchwäbisch Hallの町も車窓から眺めることができたが、遠くからFachwerkの美しい家並が見え、実際に町の中に降り立って見たい気持に誘われた。
Heidelbergの町も一部ではあったが、車窓から見ることができた。その美しい町並のほんの一部を垣間見せてくれただけで、残念なことに汽車はトンネルの中へ入って、そのままHeidelbergのHbfに着いてしまった。
Prof.Wundtの大きな車(Benz)でMannheim駅からLuisenparkの住居に向かう。自宅では奥さんが出迎えてくれた。美しいテラス(二階)に昼食の用意がされていた。息子のWundtさんがマンハイムに帰って来たときに使う地階の大きな部屋に案内され、そこへ荷物を置いた。シャワーもトイレも付属していて、2,3日滞在するのにとても快適な住居であった。
増築された二階のテラスは十分空間があり、美しい花や植木がほどよく並べられていた。そこから芝生の植えられた広い庭が眺められる。さまざまな樹木が青々と茂り、隣近所の庭の木々も加わって深い森の中に居るような錯覚を覚える。

           
3カ月ぶりの再会を喜びながら、三人でテラスの食卓で昼食を楽しんだ。午後は奥さんの案内でKunsthalleを見学する。名品が数多くあり、もう少し時間をかけてゆっくり見たい気がした。
           
夕方Prof.WundtがInstitutから帰ってきたので、二人で一緒にWundt家の目の前(道路を隔てた正面)にあるLuisenparkを散歩する。人口の庭園だそうだけれども、色とりどりの花や、大きなWiese、池などがあって、見事な公園である。

 7月28日(土) 曇ときどき雨。
 あいにくの天気であったが、Prof.Wundtの車でHeidelbergへ向かった。Heidelberg市内の地下駐車場に車を停め、市内を見物した。
 最初にKurpfälzisches Museum(帝侯博物館)を見た。50万年前の原始人”ハイデルベルク人”など貴重な古い資料が展示され、また数多くの美術品もあって、ゆっくり時間をかけて見学した。Prof.Wundtが適切な説明を加えてくれたので、不案内な者にとっては非常にありがたかった。特にこの博物館の誇る最大の美術品といってもよいリーメンシュナイダー作「12人の使徒」(祭壇彫刻)は全く素晴らしいものであった。
 雨にもかかわらず、ハイデルベルクの目抜き通り(Hauptstr.Fußgängerzone)は観光客でごったがえしていた。イタリアン・レストランで昼食。ミートソースのスパゲッティがとてもおいしかった。



 いつの間にか雨もあがっていた。Mannheimへの帰途、古い小さな町Ladenburgへ立ち寄り、教会や木組家屋の古い町並を見てまわった。木の梁に、家屋の建てられた年号が刻まれていたが、いずれも中世の頃のものである。Ladenburgは戦災にあわなかったので、古い町の姿がそのまま保存されたという。

(左右の写真は、Ladenburgの木組家屋)


 午後6時、マンハイム大学の独語独文学Deutsches Seminarの教授イェンツ氏夫妻とKawauchi 氏がWundt氏宅を訪れた。イェンツ教授がKawauchi氏の招待状を書いてくれたということで、Wundt教授が二人を招き、ついでに小生も加わって賑やかな夕食会が催されたのである。
 Frau Wundtの手製の「しゃぶしゃぶ」料理が出され、われわれを感激させた。この春日本に来られたときに、ご子息のWundt氏としゃぶしゃぶ料理の店に行き、すっかり気に入られたそうである。夫人の話では息子のWundt氏は何人前も平らげたそうである。牛や豚の肉、それにレバーを薄切りにし、何種類ものソースやからしが添えられていた。薄切りの肉を鉄の串に刺し、それを鍋の中に入れ、軽く煮えてからそれを取り出し、ソースやからしをつけて食べるのである。夫人の工夫によるものであったが、味はなかなかのものであった。話がはずみ11時近くまで語り合った。早口になるとドイツ語はほとんどわからなかったが、雰囲気はなかなか楽しかった。イェンツ夫妻も気さくで、親切そうな人たちであった。
 
 7月29日(日)快晴。
 Prof.Wundt夫妻、Kawauchi氏、それに小生の4人で近郊へドライブする。今日は好天に恵まれ、絶好のドライブ日和であった。Kawauch氏を迎えに行く前、市内をドライブし、マンハイムのWahrzeichenであるWasserturmや、今は大学の建物に使われているSchloßを見た。

 Kawauchi氏と車の後部座席に座り、久しぶりに日本語でゆっくり話を交わすことができて、お互いによい気分転換になった。Ausflugの目的地はPfälzer Waldにある"Burg Trifels"であったが、途中に通ったDeutsche Weinstraßeは、その名の通り見渡すかぎりWeinberg(ブドウ畑)であった。WilhelmshöheにあるLudwig I世の城に寄った。小高い山の中腹にあって、ブドウ畑やRhein-Ebeneが遠く見渡せ、美しい眺望であった。同じLudwig I世が建てたWalhalla神殿を思い出した。そこもこことちょうど同じような眺望の得られる場所だったからである。Ludwig I世はことさらにこうした場所を好んだのだろうか。城の名Schloß "Villa Ludwigshöhe". ただこの城は、彼がイギリスの女歌手ローラ・モンテスと恋愛事件をひき起こし、そのためにこの城へ隠居しなければならなかった場所である。晩年彼は毎日ワインを飲みながら日を送ったのだろうか。
 城は今は美術館になっていて、Max Slevogtという画家の絵が展示されている。小生にとっては未知の画家であるが、モチーフが多様で、不思議に魅力のある画風であった。Prof.Wundtによれば、この画家はナチス時代には人気がなかったが、現在彼の絵は人気が高まり非常に高価になっているそうである。
 Burg TrifelsはAnnweilerの町の近くにある山の上の城跡である。


 Pfälzer Waldの高い山の頂にあるため、遠くからでもその美しい姿が眺められる。Annweilerの町から車は森の中の気持のよい道をしだいに迂回しながらのぼって、城への登り口にある駐車場に着いた。そこでFrau Wundtは残り、われわれ三人で城をめざしてかなり急な山道を登って行った。城まで登ると、実にすばらしい眺望であった。城内を見まわり、展望台へ上がると眼下にはPfälzer Waldの森が広がり、Rheinの平原も遠くかすんで見えた。駐車場まで降りて、そこで昼食をとる。


  









 帰りはSpeyerの町に寄って、有名なロマネスク様式のDomを見物する。Buntsandsteinを使った堂々たる大建築であり、地下には歴代の皇帝の墓所(Unterkirche)があった。Burg TrifelsもBuntsandsteinが建築素材に使われていたが、他にFreiburgの大聖堂、StraßburgのMünsterもいずれもBuntsandstein による建築だそうである。

  (右の写真はいずれもSpeyerのDom)


 帰宅後、Kawauchi氏も残って四人で一緒に食事をする。Kawauchi氏がホテルへ帰ったあと、テラスで息子のWundtさんがご両親に買ってくれたという日本の演歌のレコードをステレオで聴く。歌手も曲も精選されていて、しばらく聞きほれ、懐かしい日本情緒にひたった。それにしてもマンハイムのWundt教授の家で日本の演歌が聞けるなど夢にも思わなかった。(結局、Wundt夫妻にすすめられ、予定を一日延ばし、明日Nürnbergへ帰ることにする。)

  7月30日(晴)。
  Mannheim発9時33分の汽車でNürnbergへ向かう。駅までProf.Wundtが車で送ってくれ、さらにプラットフォームまで見送ってくれた。汽車が動き出すまでホームに残って手を振ってくれたので、とても嬉しくありがたかった。彼はこれからまっすぐInstitutへ出勤するのだという。
 それにしてもWundt夫妻の親切で暖かな人柄には感激した。お陰で我が家に居るように、気楽に心地よく滞在することができた。とりわけProf.Wundtの繊細で深い思いやり、こまやかな心配り、やさしさは、ふつうのドイツ人には見られないMentalität (menschliche Qualität)のように思われた。