≪(東・西)ベルリン団体旅行 Ein Angebot der DB-touristik  9. - 12. August 1984 ≫

 8月9日(木)曇
 いよいよBerlin旅行へ出発の日である。7月中にDBのTouristikが企画した団体旅行に申し込んでおいたのである。

 10時04分Nürnberg発。車両の座席はすべて団体旅行に参加した客のために予約され、ほぼ満席に近い状態であった。ほとんど皆Nürnbergから参加した人々であった。小生の車室は最前部に近く、4人が乗り合わせた。Münchenから来た老人とNürnbergから乗車した初老の婦人、青年、それに小生の4人であった。天気はあいにくあまり良くなかった。
 出発前にDBの案内人が何回か車室にやって来て、切符を配ったり、旅行の説明などをしてくれた。すべて初めての経験なので、聞きもらすまいと緊張しながら耳に全神経を集中した。Erlangen, Bamberg, Lichtenfels, Kronachを過ぎ、いよいよ東西ドイツ国境に汽車が近づいた。パスポート、乗車券をもう一度点検する。
 これから東独領へ入るのかと思うと、やはりなんとなく緊張する。列車はThüringer WaldとFränkischer Waldの交錯する谷あいの傾斜をのぼってゆく。両側には針葉樹の茂る山が迫ってくる。山の斜面を下から上に向かって真直ぐ張られた金網の柵を過ぎると、まもなく列車は東独領の町Probstzellaに着いた。ここでかなり長い間停車する。東独の駅員たちの姿が見える。列車の点検、機関車の交換が行なわれた後、再び発車する。車窓の風景もなんとなく前と少し変わってきた感じがする。西ドイツのように国土が無駄なく開発されたという感じがなくなる。

 西ドイツでは森や畑や牧草地がきちんと区画化され、いかにも人工の手がすみずみまで行き届き、秩序よく整えられた印象を受けるが、東独では車窓から見るかぎり、人手があまり加えられていない荒地、放牧地がどこでも目につき、耕地(穀物畑、野菜畑)は意外に少ないという印象を受ける。農家もまばらに点在するだけで、人口過疎な感じがするのは、西側に住む人間のひが目だろうか。反面、本当の意味で純朴な農村的な風景が広がっている。農家の建物も薄汚れ、壁の煉瓦も崩れ落ちた個所が散見されるが、過度に人手が加えられていない自然のままの昔の農村の風景がそこにはあるような気がする。
 列車はJena, Halleを過ぎ、平原を一路Berlinをめざして進む。Halleでは大きな工場の煙突や街を走る市電などが見え、比較的大きな都会らしいことがわかる。国境の町Probstzellaを過ぎ、昼食のためビュッフェでビールを飲んでいるとき、Paßkontrolleを受けた。パスポートにスタンプが押され、通過ビザの証明書(Transilvisum)をもらった。その後、車室でFahrkarteのチェックを受けた。東独側の係官はいずれも礼儀正しく、おおむね好意的な態度であった。ドイツ人観光客に混じってただ一人の日本人という団体旅行のため、最初はいろいろ不安な思いもしたが、こうして手続きが何事もなく終わってしだいにBerlinに近づいてゆくうちに、そうした不安も解消してしまった。
 Wannsee湖畔をぬけて列車はBahnhof Zoologischer Gartenに着く。バスでHotel Bremen (Bleibtreustr.)に向かう。部屋はBleibtreistr.に面した5階の広い部屋で、バス、トイレ付きのなかなか快適な部屋であった。ただ夜中になっても、通りの車の音や人声が聞こえてくるのは閉口だった。ビルの谷間のため音がよく反響するらしい。
 Hotelで休んだあと、街に出てKurfürstendammを散歩する。


 8月10日(金)雨
 今日は朝9時00分より市内遊覧である。雨の中バスで西ベルリン市内の主な名所をすべて回った。Reichstag前でバスを降り、内部を少しだけ見学した。
 Reichstagの前から堀割越しに東ベルリン市内の建物が見える。Reichstagの脇に、東ベルリンから西ベルリンへ逃れようとして掘割を泳いでいる際、射殺された人々の墓碑が並んでいるのが印象的だった。こんな所にも東西ドイツの分裂という政治的現実の重さが緊張感を伴って迫ってくる。

 西ベルリンに住むドイツ人は、いわば東側の領土内にある孤島に住むという政治的・精神的状況に身を置かれているせいか、心なしか国境の西側に住む人々とは違ったある種の緊張を表情にたたえているように思われる。西ベルリンの住人のきびきびした動きとか体つきにもそれは見てとれる。異常に肥満した体躯の持ち主を見かけることは稀である。Kurfürstendammの街角でふとすれちがう女性の洗練された服装と雰囲気が目を引く。午後の時間は雨模様の天気のせいもあって、団体の催しには加わらず、ひとり気ままに自由に過ごした。



 ヨーロッパ・センター内にあるレストラン「大都会」で日本料理の昼食をとる。ボーイもウェイトレスもみな日本人で、目の前で鶏肉と野菜(もやし、ねぎ、豆腐)を炒めてくれた。コックも日本人であった。ご飯と味噌汁がつき、全部で9マルク位の安い値段だった。鶏肉の野菜炒めもおいしく、また味噌汁やご飯は日本の味とまったく変わらず、久しぶりの日本料理に舌つづみを打った。他にも日本人観光客がいるのが目についた。
 夜はKurfürstendammにある劇場"Komödie"で芝居"Love-Jogging"を観た。昼間のうちに切符を買ったのだが、平土間のかなり良い席だった。都会的なしゃれたセンスの演出による喜劇で、予めあらすじを読んでおいたので、状況がひとつずつよく理解でき、また俳優のドイツ語のセリフもかなりよく聞きとることができたように思う。役者の演技も洗練されていて、さすがにベルリンの芝居だなと思う。ただGeorgeの妻を演じた女優の服装がまるでファッションモデルのように次々と変わるのは、確かに美しく目を楽しませてくれはしたものの、芝居の流れからすればあまりいただけなかった。
 観客もしきりに笑い、芝居を楽しんでいた。他愛ないといえば他愛ない喜劇ではあるものの、結構面白くできた作品であり、まさにKomödieにふさわしく観客の哄笑を誘う芝居であった。ベルリンの芝居の雰囲気の一端にふれただけでも小生には大きな収穫だった。


 8月11日(土)曇
 午前中は自由時間。
 西ベルリンの郊外Dahlem-Dorfにある国立博物館へ出かける。この博物館は絵画ばかりでなく、さまざまなコレクションが展示されている重要な博物館で、とても一日では全部見きれないことを案内所で読んでいたので、絵画だけにしぼって館内を歩きまわった。ちょうど折よく特別展示室でSonderausstellung(Frans HalsからVermeerに至るオランダ派絵画展)が行なわれていたので、それを最初に観た。ダーレムの美術館はとにかく作品の数が多く,わりとゆっくり時間をかけたので、絵画を観るだけでも3時間位はかかったように思う。レンブラントの作品が展示されている一室が、特に印象に残った。
 午後4時30分からいよいよバスによる東ベルリン市内遊覧である。Kurfürstendamm
216番地からバスは発車する。バスに乗るときにパスポートのチェックを受ける。参加者は全部で40名ほどだった。中年の夫婦連れが多かった。
 発車前に運転手からこれから東ベルリンに入るが、西側の新聞・雑誌は持ち込まないようにとの注意があり、いささか緊張する。西ベルリン市内遊覧のときは女性のガイドが同乗して、いろいろ丁寧に説明してくれた。

 20分位走って東西ベルリンの境界にあるチェック・ポイントに着く。東独側の係官がバスの中に乗り込んできて、乗客一人一人のパスポートのチェックを行なう。そしてバスの車体の検査もきちんと行われた。これらの手続きが終わるまでバスは停車し、乗客も待たなければならないのである。30分もかからなかったと思うが、かなり長い時間のように思われた。初めて経験する者には、やはり緊張と不安の気持を抑えることはむずかしい。
 すべてのチェックが終わり、バスはゲートをくぐって東ベルリン内へ入る。そこで東ベルリンの男性のガイドがバスに乗り込み、彼の案内で市内巡りをすることになった。ガイドの説明はなかなか丁寧でわかり易く、聞いていても気持がよかった。感じのよい中年の男性ガイドである。

 たっぷり時間をかけて東ベルリン市内の重要な名所、建物をすべて見てまわった。日本人と思われる観光客がグループで東ベルリン市内を歩きまわっているのが、バスの窓から見えた。東ベルリンでは戦争で破壊された重要な建物をゆっくり時間をかけて修復し、再建しようとしていることがよくわかる。そのように復元・再建中の建物があちこちに見られた。
 西ベルリンに比べモダンな建物は少なく、また空き地のまま放置されている場所などが目につくものの、道路は一般に広々として、走る車の数も西ベルリンほど多くなく、また人通りも少ないので、西ベルリンの印象とはずいぶん違う感じである。Kurfürstendammの賑わいから見れば、やはり東ベルリンの街はなんとなく古びてもの寂しい感じである。

 Stadtrundfahrtの途中でレストラン「プラハ」(Prag)に寄り、そkでチェコのPilsenビールとSchnapsによる歓迎を受ける。
 Stadtrundfahrtの最後の目的地はFernsehturmであった。FernsehturmはAlexanderplatzのすぐ近くにある。テレビ塔の展望台の上にあるいわゆる展望レストランで、軽食と飲み物のサービスを受ける。展望レストランは全体が少しずつ回っているので、東ベルリン市街を居ながらにしてすべて見下ろせるようになっている。あいにくの曇り空で遠くまで見晴らしがきかないのは残念だった。
 テレビ塔は観光客に人気があるらしく、沢山の人々がエレベーターの前に並んでいた。
 さてテレビ塔のあとはレストランでの夕食である。この夕食でもって東ベルリン遊覧も終わりを告げる。         

 テレビ塔のエレベーターに乗るとき、東ベルリンの女性の案内係が小生を団体客の一員ではないものと思い、咎めだてしようとしたところ、同じグループの他の客が気がついて案内係に文句を言ったので、あやうく締め出されようとしたところを、無事エレベーターに乗ることができホッとした。それがきっかけで案内係に文句を言った一行の中の2組の夫婦と親しくなり、展望レストランでも同じテーブルに座って歓談した。とりわけオランダ国境に近いBrüggenからやって来た夫婦は愉快な人たちで実に面白かった。彼らは本来小生たちのグループに属してはいなかったのだが、西ベルリンからバスで出発するとき、どういう経過でかはわからないが、すでにバスの後部座席に座っていたのである。
 彼らは小生のことをSpitzname(Jupi)で呼び、いろいろ冗談を言っては笑わせた。
 テレビ塔からほど近い所にあるレストランに入り、そこで夕食のサービスを受けることになった。初め例の2組の夫婦と違うテーブルに着いたのだが、東ベルリンのバスのガイドがわざわざ小生のところまで来て、別のところに席を取ったので来るようにと言ってくれた。別室に設けられたテーブルには例の2組の夫婦が着席し、そこに小生の席もちゃんと用意されていたので感激した。
 ビールの酔いにまかせ、話もはずみ気分も最高に盛り上がった。隣りの部屋では音楽が流れ、東ベルリンの住人が客として食事をしていた。皆エレガントな服装の客たちである。そのうち食事が済むとダンスが始まり、例の愉快な夫婦も仲間に加わってダンスに興じた。
 それまでのドイツ人の中に混じって日本人がたったひとりという団体旅行の味気なさも、これで吹っ飛び、ベルリン旅行の良い思い出になった。
 ボーイのひとりが小生のテーブルに食事を運んできたとき「どうぞ」と日本語で言い、また食べ終わって皿を運んで行くときにも、日本語で「おいしかったですか」と言ったのにはびっくりした。なかなかハンサムな青年であった。聞いてみると、福岡に日本人のペンフレンドがいて、しばしば手紙の交換をしているそうである。
 レストランでは東側のドイツ人も親切で、西側のドイツ人も打ち解けてなごやかな気分になり、とてもgemütlichな雰囲気であった。
 レストランの食事が済み、再び西ベルリンへ帰ることになった。境界のゲートに着く前にバスのガイドが下車し、別れを告げる。乗客たちは名残惜しそうに手を振る。彼も手を振ってそれに応える。
 境界でのチェックも簡単に済み、乗客たちは皆快い気分で東ベルリンに別れを告げる。予定より30分近く遅れ、22時30分頃ホテルBremenに着く。


 8月12日(日)晴
 朝5時に起床し、帰り支度をする。
 Bahnhof Zoologischer Garten 7時05分発の汽車でHeimreiseにつく。
 
 (注記:このベルリン旅行から5年経った1989年、当時私はウィーンに滞在していたが、その年の11月東西を隔てるベルリンの壁が崩壊した。その時の様子をテレビでつぶさに目撃することになるとは、予想もできないことであった。)