≪Firenze≫

 8月20日(月)
 ニュルンベルク19時02分発のICでミュンヒェンに向かう。今日はイタリア旅行へ出発の日である。20時45分ミュンヒェン着。駅前の中華レストランで夕食をとる。このレストランは、7月にシンポジウムでミュンヒェンに来たとき以来のなじみの店で、雰囲気も落ち着いていて、なかなか好もしい店である。
 ミュンヒェン発23時20分の夜行列車の寝台車に乗る。列車はローマ行きである。一つの車室に三つのベッドがある二等寝台車であった。スウェーデンで暮らしていて、ボローニャへ帰省するというイタリア人の男と同室であった。最上段の客はなく、結局同じコンパートメントに二人だけであった。
 片言の英語を操りながら、そのイタリア人の男と世間話をした。彼は同国人に対して、あまりいい感情をもっていないようだった。イタリアの人々は"Life is money"で、ただお金のことばかり考えているという。イタリア人はcrasyだとも言った。ひとしきり話した後、互いにベッドに入り、灯りを消した。寝台車に乗ってすぐSchaffnerがやって来て、パスポートと乗車券(ユーレイルパス)、寝台の予約券を預かった。彼が明日の朝までに、Paßkontorolle、あるいはFahrkartenkontrolleなど、すべての手続きを代行してくれるのである。
 あまるよく眠れずうつらうつらしているうちに列車はイタリア領内を走っていて、カーテンを開けて外をのぞくと、まぎれもなくイタリアの風景の中を列車は進んでいた。初めて見るイタリアの土地に胸は躍る思いであった。夜が白み、明るくなるとともに、まばゆい陽の光がさして、窓外の風景に一段と鮮やかないろどりを添えた。
 イタリア中部の山地の長いトンネルをいくつかぬけて、列車はFirenzeに近づいた。イタリアの山々はなぜか日本の山とよく似ている。アカシアなどの闊葉樹や松林が多い。ただオリーブの木だけは、日本と違う景観を呈している。
 9時38分Firenze着。(ボローニャあたりからSchaffnerが寝台をとりはずして、座席に直してくれたので、座席にすわって窓外の景色を眺めた。それにしてもなんとトンネルが長く感じられたことだろう。)
 イタリア人は北と南ではずいぶん違うそうだが、Firenzeの駅に着いて構内を歩きながら出会うイタリア人の体躯は日本人とそんなに変わらず、小柄な人たちも結構多いのでなんとなく親しみと安心感をおぼえる。体格の大きいドイツ人たちのなかでは決して感ずることのなかった安堵感である。とくに女性たちは小柄な体つきで、しなやかで好感がもてた。
 駅前からタクシーで宿("Hotel-Pension Ariele")に向かう。あとで分かったことだが、宿は駅から歩いて15分ぐらいのところにあった。Arno(アルノー)川に近い閑静な場所にあるそのホテルに着いたものの、部屋がまだふさがっているとのことなので、荷物を預けて12時まで街を散歩することにした。Arno川沿いに橋をいくつか越え、有名なPonte Veccioまで歩いた。橋の上の商店街を散歩した後、Uffizi美術館まで行ったが中を見るのは明日に延ばした。12時過ぎにホテルへ戻り、部屋で休養してから再び市内の見物に出かけた。地図を片手に歩くので、Firenzeの地形はだいたい頭の中に入った。



 駅前に出てからCappelle Mediceeに行き内部を参観した。メディチ家礼拝堂は旧廟と新廟からなり、旧廟はみごとな大理石で造られた堂々たる建物であった。新廟はずっと簡素な造りであったが、内部にはミケランジェロの彫刻作品があり、厳かな雰囲気に包まれていた。Biblioteca Medicea-LaurenzianaやSan Lorenzo教会の中庭などを見る。