蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

6、森昌子 ラジオ歌謡

1、「さくら貝の歌」(昭和24年) 
作詞:土屋花情、作曲:八洲秀章、歌:森昌子
 この歌は、NHK「ラジオ歌謡」として昭和24年7月に放送されたが、既に、八洲は昭和18年にこの歌を完成させていた。それは、病で失った恋人の面影を抱いて鎌倉に住み、浜辺で見た光景に託して「わが恋の如く悲しさやさくら貝かたひらのみのさみしくありて」の和歌を作り、これを友人花情に示して作詞を依頼し、曲をつけたものだという。(鎌倉朝日・要約)
http://www.youtube.com/watch?v=B0yn9EhFjyU
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2、「あざみの歌」(昭和24年)
作詞:横井弘、作曲:八洲秀章、歌:森昌子
 この歌も、昭和24年にNHK「ラジオ歌謡」として、作曲者の八洲秀章本人によって歌われ有名になったもの。翌年には伊藤久男によってレコード化され日本の代表的な楽曲となる。「この詩は戦後下諏訪に身を寄せていた横井弘が八島湿原に来た時に作ったもので、当時、諏訪湖や周囲の山を歩いて作った多くの詩の中でも、最も気に入っていたのがこの「あざみの歌」だったという。」(「日本の抒情歌」喜早哲
http://youtu.be/T-51tQXaKNk
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3、「白い花の咲く頃」(昭和25年)
作詞:寺尾智沙、作曲:田村しげる、歌:森昌子
 この歌もまた、昭和25年5月にNHK「ラジオ歌謡」として放送されたものだが、寺尾智沙・田村しげる夫妻が昭和24年に書いた「さよならと云ったら」を「白い花の咲く頃」と改題して作品にしたもの。
 「寺尾智沙は田村しげるの妻で、この歌詞には田村しげるの故郷、天の橋立で有名な宮津湾の、奥丹後半島にある峰山町での思い出が書かれている。そのひなびた田舎町での胸の苦しくなるような初恋の思い出、初めてのくちづけ、親の反対であきらめざるを得なかった胸のうち、彼はひとりさまよい腰を下ろすと、そこには名もしらぬ小さな白い花が咲いていた。文字どおりの悲恋物語、エレジーである。」(「日本の抒情歌」喜早哲
http://www.youtube.com/watch?v=p8kkjzVaU-o