ある日のこと

先日、ホームレス支援のボランティアに参加してきた。
八十人ぐらいの方に食事や衣服などを配った。

ボランティア・スタッフは二十名弱ぐらいだった。
朝から荷物運びや配膳や片付けなどでてんてこまいだったけど、なかなか良い汗をかくことができた気がする。

ホームレスの方々の中には、どうしてこの人がホームレスをやってるんだろうと思えるようなしっかりした知的な風貌の目の澄んだ方がいたり、明るくて対人コミュニケーションも上手そうな人もいた。
きっといろんな事情があったのだろう。

その一方で、どう見ても少し知的な障害があるのではないかと思える方や、足などが不自由そうな人もいた。
そういう方は、自助努力などという問題ではなく、なるべくもっと手厚い保護が必要に思うけれど、おそらく障害かどうかボーダーラインではっきりしない事例なんだろうなぁと思う。

場所は教会の一角で、そこはカトリックなのだけれど、プロテスタントの方もいて、なんというか、キリストってのはやっぱすごいなぁとあらためて感じた。
あと、聖書の勉強会でいつも一緒のKさんともばったり会って驚いて、よくボランティアに来ているとお聞きし、少しもそんなことを聞いたことがなかったので、偉いもんだなぁとあらためて感心した。

ボランティアの方は、ほとんどは私よりだいぶ年上の方が多かったけれど、私より若い人も二人いた。
二人ともえっらいかわいい女性で、世の中には立派な若者もいるもんだなぁと感心。

にしても、朝から夕方ぐらいまでそこにいて、終ってから駅に戻って普通のいつもの風景を見ていたら、なんといえばいいのだろうか、ごく当たり前に思っている普通の世間ってのは、なんと恵まれたものなんだろうと思った。
支えてくれる家族や友人などがいて、住む家がある。
そのごく当たり前のものに、たまたま恵まれなかったら、誰でもホームレスに何かのきっかけでなりうるのだと思う。
たまたま支えてくれるいろんな縁があったから、自分も今まで普通に生きてくることができたけれど、それはきっととてつもなく恵まれたことだったのだろう。

理屈で言えば、ホームレスの人に食事や衣服を少々配ったぐらいで何の問題の解決にもならないとか、偽善や自己満足に過ぎないとかも言えるのかもしれないけれど、そういうのは傍観者が言えることなんだろうと思った。
十年以上ずっとこの活動をしているというボランティア・スタッフの方たちは、気負うこともなく、ただ目の前のことにできるだけのことを尽しているのだと思う。
そういう人だけが持つ、真実があるなぁと見てて感じた。

あと、古参の人が、前は三百人は毎回来ていたけれど、この頃は百人ぐらいだとおっしゃってたので、理由を尋ねると、民主党政権になって湯浅誠さんたちが生活保護の基準をぐっと下げて受けやすくして、それで生活保護や支援を受けることができる人がぐっと増えたから、ホームレスの数が減ったためだと言っていた。
民主党政権ってのはやっぱり随分大きなこともしたんだなぁとあらためて思った。
ホームレスの人の多くはお年寄りだし、知的障害や身体的な不自由さを抱えている人もいるとすれば、自助努力とかの次元の問題ではないので、やっぱりなるべく公的な扶助や生活保護が必要だと思う。

また行ける時には時間をつくって行きたいと思った。