写真の倫理とブログの美学:『横浜逍遥亭』の場合

『横浜逍遥亭』の中山さんが記事に必ずそっと添えるように掲載なさっている写真をいつも感心して見ていた私は、写真の「意味」を知ろうとして、『横浜逍遥亭』の中山さんに要らぬ催促をしてしまった。私はついつい写真の「向こう側」の意味や背景などを知ろうとしてしまう傾向が強い。それに対して中山さんは見事に痛快な「ノン」を突きつけてくださった。爽快だ。写真が写す「真」はあくまで「こちら側」の被写体の「フォルム」、色と形の面白さにこそあるのだ。私はまた勉強させられた。

形と色の面白さに心が動いたときに、そうしたフォルムが写真に昇華してくれたらいいなと思ってシャッターを押しています。フォルムそれ自体が重要なので、写真の背景や意味は僕の頭からは100%消えています。

そしてそのような写真に対する見事な姿勢、写真の倫理といってもいい姿勢は、中山さんのブログに対する絶妙なバランス感覚、ブログの美学といってもいい姿勢に連動していると感じた。

このブログはハンドルネームではなく本名を使って書いていますが、ブログを僕にとっての非日常の場所にとどめておきたいという気持ちは幾分なりとも働いています。そんなことから、仕事の話や自らの生活に密着した話題は意識的に話題に上るのを遮断していたりもしています。写真は僕にとってブログの非日常性を高める重要な小道具なので、そういう意味でも、日常から離れたフォルムでこの場所を飾るのを密かに楽しんでいるのです。

中山さんの姿勢は、私とはある意味で対照的だ。しかし、だからこそ非常に面白いし、惹かれるのだと改めて思った。

SmartWriteとSmartCalendar

美崎薫さんから「紙を超えた」画期的なデジタル手書きメモツール、SmartWriteのMac版を開発してみないかという誘いがありました。やってみたい学生さん、声かけてね。美崎さんからのメッセージをご本人の許可を得て、ここに引用します。

SmartWriteは、ほんとに単純な手書きメモのプログラムなのです。
紙と同じだと思っていただいてもよいくらいです。

インターフェース上は、モードレスで動作することと、
自動保存する点にこだわって作りました。
仕様はオープンで公開しているし、
サンプルとなるWindows版のプログラムもあるので動作もわかるから、
それほどむずかしいものではないと思います。

もしたとえば三上さんのところの学生さんとかで、
Macのプログラムに興味があるひとがいれば、
プログラムの勉強をかねて、SmartWriteを試しに作ってみませんか?

SmartCalendarも、わたしの作った仕様と、Mac/Winの実装とは、
違う点もあるので、SmartWrite for Macでも、
仕様を100%満たす必要はないと思います。
わたしとしては、仕様はひとつで実装は複数、というのが目標です。
実装が複数あると、切磋琢磨できるし、ユーザーはチョイスできるからです。
仕様がきまっていれば互換性をとれるし。

できる部分だけでも実装してみれば、役に立つし、
わたしとしても、Mac版ができるのはうれしいし。

なお、ここから関連サイトへ行けます。

藻岩山


午前遅めの風太郎との散歩中に、持参したデジタルカメラで撮影した藻岩山。随分小さく写っている。

肉眼の実感としてはズーム撮影したこの写真に写っているくらいの印象だった。

しかも、肉眼では捉えていなかった雲が、上の写真にはかなり大きな存在感を伴って写っている。このような肉眼とカメラがとらえる外界のイメージの大きな違いを確認しては私は面白がっている。理論的な説明以上に、そのような追体験を重ねることで、肉眼の眼力を鍛えることができるような気さえしている。
奄美大島から帰ってから、日課の散歩中もカメラを持ち歩くようになった。カメラを右手に持っていると、特別何かを狙って撮ろうとしているわけではないのに、今までにない身体の動かし方をするようになった。たびたび振り返るようになった。サッカーの中田選手のように、きょろきょろ辺りを見回すようになった。すると自然に「撮りたいもの」が見えてくる。で、撮った写真を後から見ると、上で書いたような違いを多く経験することになる。これは日常の「非日常化」のひとつの試みでもあるが、大変面白い。ただし、犬を連れた散歩でなければ、かなり不審な人物に思われるのは間違いない。街中や建物の中で、不審がられずに、写真やムービーが撮影できる方法を目下検討中である。