土地の「底」に降り立つ

札幌、晴れ。暖かい。散歩の途中で手袋を外した。

私が住む藻岩山の南側裾野に広がる土地は、東側を北上する豊平川、その西側すぐそばを走る幅広の国道230号線(通称「石山通」)、そしてその西側を蛇行する狭い「旧道」(旧国道、通称「川沿中央通」)によって境界づけられている。その旧道沿いが古い商店街になっている。食料品の買い出しに欠かせない生協などは国道に面して建っているが旧道側からもアプローチできる。

(散歩コース全容。右端の青い線が豊平川。中央上赤い曲線が「崖」。)
自宅と毎朝の散歩コースがある一角は旧道や国道の通る土地から一段高くなった「上」の土地で、買い物するには「下」に降りなければならない。上と下を結ぶスロープ、坂道が数本通じていて、住民のほとんどは車でいずれかの坂道を下る。

(上図の「路地」「階段」周辺拡大図。ブルーブラックの線が今朝辿った特別ルート。)
今朝の散歩では帰り道の途中で、一本の坂道を下り、私の住む土地の言わば「底」に降り立ち、いったん旧道に出て、それからあの「路地的階段」を上って上の土地に戻るというコースを辿った。「底」という言い方は大げさではなく、私が降りた辺りにだけ上の土地と下の土地を隔てる自然の「崖」が数百メートル続き、その崖に「原生林」がわずかに残っているのである。いつもは車で坂道を下ることで間接的に体感している「底」を実際に歩いて直接体感して「崖」もちゃんと見て、土地の「底」という感覚をはっきりと記憶しておきたかった。それに、そこは昨日記録した野鳥たちの合唱が聞こえてくるものの、私有地に囲まれていて、「立ち入りできない空間」でもあり、いつも散歩で通る上の道からは距離が遠すぎて野鳥の姿がよく見えない。下に降りれば、近付くことができるかもしれないとも思ったのだった。

坂道から崖と原生林を真横から見る。野鳥は見えない。

この坂道を下ってきた。

旧道に出ると、車の往来も激しく、上とはサウンドスケープが全く違い、空気も異質だ。




旧道から階段のある崖に向かい、崖の様子を撮る。

この階段のお陰で、上の土地に住む人でも、下の土地にある旧道の商店街、生協に徒歩で容易にアクセスできるのである。階段の昇降は高齢者にはきついかもしれないが、冬には歩道がまともに歩けない危険な状態が放置されたままの坂道よりはずっと安全だし、近道でもある。今朝はかなり高齢のご婦人がその階段を降りてきたので、挨拶を交わした。


今朝はカラスとスズメのほかには、いつもの原生林でもタンポポ公園でも野鳥を見かけなかった。ところが、自宅目前の隣家の庭に近付いたとき、松の木から、突然バサバサと黒い影が飛び立って、裏山の林にかかる電線にとまった。ツグミのように見えた。36倍ズームで撮った。白っぽい眉の斑と栗色の翼の縁から、ツグミDusky Thrushに違いない。

映画の樹 Tampere Film Festival 2007:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、3月、75日目。


Day 75: Jonas Mekas
Friday March. 16th, 2007
5 min. 32 sec.

I take Helsinki-
Tampere train.
Not much snow.
At the opening of
Tampere Film
Festival
.

ヘルシンキから
タンペレ行きの列車に
乗る。
雪はそんなに多くない。
タンペレ映画祭の
オープニングにて。

毎年三月にフィンランドの第二の都市タンペレ国際短編映画祭が開催される。37回目の今年は7日から11日まで開催された。このタンペレ映画祭は、世界屈指の短編映画のコンテストであるだけでなく、非常に幅広く多彩な映画が上映されることで知られる。短編映画に関しては毎年テーマが設定され、今年のテーマの一つ「巨大都市(Megalopolis)」部門のオープニング作品の一本としてメカスの"Birth of a Nation" (1997)が上映された。メカスは特別ゲストとして開会式で短いスピーチも行った。

カメラは、早朝首都ヘルシンキからタンペレへ向かう列車の窓から薄暗く寒々しいフィンランドの雪景色が展開するのをとらえる。独特のコブシの利いた民謡を歌う声が入る。そして素性不明の男性の声が重なる。

フィンランドといえば、オーロラムーミン、映画「かもめ食堂」サウナ外交など、いろいろと連想する。そして夏は太陽が沈まない白夜(midnight sun)が二ヶ月以上続き、冬は反対に二ヶ月近く太陽が昇らない暗い日が続くという土地での生活はどんな感じなのだろうと想像するのは楽しい。フィンランドの人々は長くて厳しい冬のストレスを夏には一気に爆発させ、夜通し遊び、冬は冬でクロスカントリースノーモービルで森林を駆け巡ったり、湖畔のサウナで汗を流したり、人生をアクティブに謳歌すると言われる。*1「よく言われることだけど、フィンランド人は夏は飲んで働かない。冬の間は働かないで飲む。」「ハッハッハッ」とメカス。「今は冬、とてもアクティブだ。」と第三の男の声。

映画祭の開会式。会場正面に一輪の薔薇を持った四人の子どもたちが並んでいる。暖かい拍手に包まれる。司会者の男性が特別ゲストとしてメカスを紹介する。トレードマークの帽子を被ったままのメカスが登場する。司会者から薔薇を一本手渡される。薔薇を手に、スピーチを始める。映画を一本の大きな樹に喩え、ハリウッド映画だけが映画ではなく、ハリウッドが見下すような映画もいっぱいあって、その唯一のひとつひとつが非常に大切なもので、大きな樹=映画の中に場所を持つ、つまりそれらすべてを合わせた全体が映画であり、人生であると、いつもながらの心の籠った映画への愛を力強く熱く語り、この映画祭の開幕に捧げる。「映画は100億円かけて製作される必要はない。一分の映画が、子どもたちによって作られていい、大人たちによって作られていいんだ。」という言葉が非常に印象的である。四人の子どもたちはどんな映画を作ったのだろうか。

*1:フィンランドの四季」http://plaza.rakuten.co.jp/finland/3001参照。ついでに、「フィンラインドにまつわる10の嘘」http://plaza.rakuten.co.jp/mihokonkotisivu/3001も参照。フィンランド全般については「フィンランドのページ」http://www31.ocn.ne.jp/~kmatsum/finnhist/chrohist_j.html参照。