Between Joke and Political correctness:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、12月8日、342日目。


Day 342: Jonas Mekas
Saturday, December 8th, 2007
3:30 min.

welcome back,
Imus!!!!

お帰り、
アイムス。

ドン・アイムス(Don Imus, 1940-)の番組復帰を歓迎するメカス。番組とはImus in The Morningのこと。今年4月に番組内でのある発言がきっかけになって、すべての番組から降板したアイムスは約八ヶ月ぶりに当番組に復帰した。アイムスの復帰を伝えた12月3日のニューヨーク・タイムズの記事はこちら。日本では、12月4日のスポニチの速報記事が速かったようだ。

事の発端や経過、そして一般的な反応(日本語)については、以下を参照。

また、アイムスの謝罪ビデオを見ることができる。


メカスはアメリカ国内の世論に抗してアイムスを擁護する立場を表明している。その真意はすでに2月25日に語っていたように、冗談の文脈にポリティカル・コレクトネスPolitical correctness)の考えを持ち込むのは間違っているということだった。それは世界をぎすぎすした窮屈なものにしてしまうから、という理由だった。たしかにアメリカのみならず、日本でも行き過ぎた言葉狩りの風潮が、ある作家の断筆宣言を生んだこともあった。

しかし、アイムスの一件は「冗談」という文脈には乗せられない問題だったように思う。私には単に見識の足りない日本の一部の政治家や知事の発言に等しいと感じられた。実際、メカスなら、決して同じような発言はしなかったはずだ。冗談が冗談として成り立ちうる状況なら、そこにポリティカル・コレクトネスを持ち出すことは野暮、無粋なことだろうが、アイムスが置かれていたのはそのような状況ではなかった。

メカスが言うように、たしかに冗談や伝統という文脈を大切にすることは必要であるし、現代の行き過ぎた風潮に棹さすことも必要である。しかし、アイムスの発言自体は「それ以前」の問題であると思う。また、冗談は批判の働きを持つというメカスの考えもその通りだと思うが、それは例えば「強い立場」にある者の横暴を冗談にして批判するという文脈で成り立つことだろう。アイムスはむしろ自身が「強い立場」にありながら、いわば「弱い立場」にいる者を嘲ったようにしか思えなかった。