ポケモンGO狂想曲2

新聞やテレビの報道はオリンピック一色となり、ポケモンGOの話題はどこへやら。早くもブームが去ったような状態。
まあ、それはいずれ来ることなのでさておくとして、前回記事の慶応大学教授、岸博幸氏意見で私が思ったことを書いてみる。
教授の意見のほとんどの部分は私も同感だ。
ポケモンのモンスターたちが世界中に散らばり、注目を集めている状況はさぞかし、意匠権を持つ任天堂には有利と思うかもしれないが、任天堂の儲けは実はたいしたことがない。
おいしいところはすべて、ゲームのを開発した米企業が手にする。
私が岸教授の意見に異論をはさみたくなるのは、こうした状況が、任天堂の場合や、IT業界のみならず、ほとんどすべての業態にも当てはまる状況から、氏の言う日本発のプラットフォーム構築はどのように展開していくのかという点。
教授の意見では、日本には、ARの研究者が数多くいるし、ゲーム開発の経験が多い企業もたくさんあるという。
そういう状況だから、日本は十分、戦っていけるという。
しかし、それらの力を結集し、一つのまとまったプラットフォーム構築を実現させるのは誰、またはどの企業なのか。
またたとえそれが実現できても、プロダクトとしての製品を世界に拡散させるセールス部門はどこがどのように担当するのか。
どの要素を見ても、日本は米国企業と渡り合えるいわば、総合コーディネーター、戦争でいえば、統帥権をもった指揮官がどこにもいない。
日本の状況をこれまた戦争に例えれば、性能の良い武器はあちこちにばらばらに存在はしているが、それを実際に使いこなせる軍人がどこにもいないし、さらに、その軍人たちを指揮する指揮官もいない状態だ。これで戦争に勝とうなどとは笑止千万。
プラットフォーム構築をめぐる戦いは始まったばかりというが、日本には、その戦場で戦って勝てる要素は何一つない。
だからこそ、任天堂の選択は賢かったのだ。
日本発のプラットフォーム構築などという夢物語は捨てて、それを実現できる米企業の一部門になることで生き残りを図ったわけだ。
生物学的に言えば、これはミトコンドリア戦略だ。
ミトコンドリアは、かつては一個の独立した生物だったが、ほかの生物の生活上、欠かせない一部品になることで、ほとんどの生物との共生を果たし、たぶん、人類が滅んでもミトコンドリアは、ほかの生物と共に繁栄を続けるだろう。
任天堂の選択は正しかったが、今後、同社がたどる生き残りの道は極めて厳しいものになるだろう。
ポケモンのブームは、あっという間に去る。ポケモンに続く人気キャラクターを次々と生み出していかない限り、任天堂の生き残り戦略は失敗に帰する。