父方の先祖4

私が父方の先祖に興味を抱いたのは、あることがきっかけだった。
それは、私のいとこから、私の叔母あてに送られてきた双子の娘の写真だった。
ベビーカーに乗せられた双子の髪の毛の色がどう見ても金髪にしか見えない。フラッシュの影響でそんな色になったのかと思ったが、目の色も変。どう見ても青色。
これもフラッシュの影響かと思ったが、赤目ならともかく青色とは。
叔母の話によると、フラッシュの影響などではなく、実際のその子たちの髪の色は金髪で、目も青いという。
母親がベビーカーで出かけると、行きかう人の誰もがいわゆる二度見するらしい。
これは今から数十年も前の話だ。今の時代なら、まだ小さい赤ちゃんに毛染をする母親がいたって不思議ではないが、そんな前の時代に赤ちゃんの髪の色を金髪に染める母親はいなかった。カラーコンタクトなんぞない時代だ。黒目を青くする方法などない。
ツインベビーカーでさえ珍しいのに、そこに乗っている二人の赤ちゃんの髪が金髪で、目がブルーとくれば、誰だって二度見する。
で、その写真を父親に見せたところ、平然として、こういった。
「ああ、こういう子がうちの筋(家系)にはときどき出る。この子たちの父親がごく小さいころは、やはり目が青かった。」
「えーっ、目の青い子が時々出る家系って一体なんやねん。そんな家系、きいたことないわ。」というのがその時の、私の心の声。
しかし、その当時はインターネットなどない時代。甑島に関して図書館で調べてもたぶん大したことはわからないと思い、その時には、この件を追求することはなかった。
それから数十年たった最近になって、この件を思い出し、ネットでいろいろと調べてみることにしたのだ。
目が青い子が生まれる理由について、今回、甑島に関して調べたことから推測されることはたった一つ。
目を青くする遺伝子は通常、日本人の祖先とされる縄文人系にも弥生人系にもないと思う。
つまりこの遺伝子は、まったく別の系統から、私の先祖に紛れ込んだのだろう。
それがどこかといえば、甑島南蛮貿易の、そしてのちの時代には抜け荷の拠点であったことと関係があると思うほかない。
甑島は歴史的に見ても、ほかの地域から完全に孤立している。島にやってくる人といえば、決まって何らかの迫害を受けた人たち。九州本土からの移住者が、大量に流入したことは今日に至るまでなかったと思う。
ある時期に、日本人とは全く別系統の遺伝子が島民にもたらされたら、その遺伝子は島民以外の遺伝子と混じることなく、代々、島民の遺伝子の中にプールされ続けていっただろう。
この状況が明治時代になっても続いていたとすれば、昭和の時代になって生まれた子供の中に目の青い子が出てきても何の不思議もない。
自分の先祖がどこで、どうやって生きていたかに関しては、多くの人は無関心だろう。
NHKの「ファミリーヒストリー」という番組では、テレビの世界で活躍する人たちの先祖を調べて、本人に報告するというのやっている。
二代前ぐらいなら、まだ何とか知っていても、三代前となると、ほとんどの場合、何も知らないようだ。
またどういった先祖であるか分かったとしても、それが、いまのその人に何らかの影響があるかといえば、大した影響はないであろう。これは一般人にとっても同じだと思う。
しかし、遺伝子という形で今の自分にも十分影響を与えているかもしれないとなると話は別だ。
甑島に伝わったであろう、西欧系の遺伝子は壮大な歴史事実と深くかかわっている。
その一部が自分にも伝わっているのかもしれないと思うと、決して無関心ではいられない。