不完全なプロセスを記述する語彙

片岡義男さんが「日本語は静的で英語は動的」と言っていて、その意味がなかなかわからなかったけど、「不完全であることを前提にセキュリティ対策を」と慶応大の武藤教授 という記事を見て、ピンときてああそうかと思った。

「現状は不完全だけど、完全に向けて改善中」という状態を記述する語彙が、役人の言葉には存在しないのではないか。つまり、無理にでも完璧だ、完成しているという形をつけないと役所の書類として成り立たないのではないだろうか。

それがこういう話につながっていくような気がする。つまり、形になったものしか予算を出さないので、芽として潜在的に社会に貢献する可能性があるものは認められない。

これは、役人の怠慢とか悪意でなく、「そもそもそういうダイナミックなプロセスを記述する言葉がないのだ」と考えると、よくわかるような気がする。そのような役所言葉の特性は、日本語のある側面を確実に反映しているわけで、片岡さんは日常あらわれるなにげない日本語の中にそういうものが見えてしまうのだろう。

絶望的な話のようだが逆に考えれば、そういう語彙を開発すればそれだけで官庁がまともに動き出す、という楽観的な見方もできなくはないと思う。企業と同様、役所でも現場でがんばっている人はたくさんいるのだから。


日本の仕組みは性善説に基づいたままだ。しかし、組織の内部犯行もありえるという性悪説に則って取り組みを進め、仕組み自身を変えていくしかない

例えば、この武藤氏の発言のような「性善説/性悪説」という言葉では、技術者は動かせても役所は動けない。性善/性悪というスタティックな属性が問題の本質ではないからだ。これで無理に役所を動かすとなんかよけい変なことをしそうだ。同じことを別の言葉にする必要があるような気がする。でも俺には、代案が出せないし、何の専門家を呼んできたら代案を出すかさえもわからない。