モチベーションは楽しさ創造から

自分自身のモチベーションアップ、仕事を楽しくする方法から、部下・上司・顧客のモチベーションアップのヒントとなるノウハウ、コラムをまとめたブログです

成功する為に、成功本は役に立つのか?

私の知っている人の中で、数人ほど成功哲学を販売している人がいる。


情報化社会のこの時代、なかなか売ることも大変なようだ。彼らとは20年ほど前に知り合ったのだが、昔と比べてその関係の本、セミナー、情報教材が増えたからであろう。今は、自己啓発系も踏まえてかなりの数ある。私も、ちょっとモチベーションが下がった時など、いろんな種類の成功本にお世話になる事がある。(ちょっと元気が出たりもする)


随分前に、成功法則書を読んだ人が成功しない理由という記事を読んだ事がある。

成功法則書を読む人の持つ欲は「成功したい」ではないのです。
これは、改めて言うまでもないことかもしれませんが、
彼らの持つ最も強い欲望は
「面倒なことはしたくない」です。
というより、人類の歴史は、人間の持つ普遍的な欲求「楽(らく)したい」に作られてきました。
少しの間、この文章を読むのをやめて、周りを見渡してください。
パソコン、机、椅子、冷蔵庫、電子レンジ、水道…
全ての商品は、「面倒なことはしたくない」「楽ができる」ということから派生したものです。
それを、人は、「便利」と呼ぶのです。
便利なものが売れるのです。
さて。こうして考えていくと、どうも成功法則書に求められる欲は、「成功したい」ではないことが分かります。厳密に言うと、次のようになると思います。
「面倒なことがなく、成功する(した)気になりたい」


つまり、いかに、(言い方は悪いですが)
「安易な希望を与えることができるか」
この一点に集約されるのです。

だから、マーフィーの法則が売れたりします。
「目標を紙に書くと成功する」 楽、ですよね。
紙に目標を書くだけで成功する(と言っている)のです。
全然面倒じゃないですよね。

ただ、これは決して悪いことではないと思います。
人は、希望を見ることによって動くこともあるからです。
だから、売れた成功法則書が、悪い、と言っているわけではないのです。
ただ、そうした成功法則書を読んでも、ほとんど誰も成功しない、
これもまた「構造上」の事実なのです。

厳しい指摘だが確かにそう感じる。自分も含めて、成功本を読んでいる人は、「楽して、成功した気になる」事を求めているのだろう。本を読む事で、「自分でも成功できるかも知れないという」勇気、ちょっと頑張れば何とかなるよという「安易に手に入れる事ができる希望」に励まして貰う為に読んでいるという部分がある。多くのビジネス書の構造もそうかもしれない・・


成功もいろいろあると思うが大きい成功、小さい成功に関わらず、絶対にあるのが閾値という問題。


楽して、成功したいのはヤマヤマである。しかし現実は、何をやるにしても最初からうまくいく事など少なく、努力量に比例して成果が上がってこない時期がある。


全く結果が出ない場合も多い。閾値を越えると、次のステップ(小さな成功)に進む事ができるのだが、大抵の人はこのステップに進む前に諦めて、違う方法や目標を模索していく事になる。

成功本は、最初の1歩目のスタートには非常に役立つ。成功本や成功セミナーを読むと、「自分もやれる」モチベーションアップされる。そういう意味では非常に効果が高い。だけど一旦モチベーションアップされてスタートし始めても、閾値を越えるまでの困難に我慢できないといった状況に陥ってしまう人が多いの。それは、なぜか?


確かに、目標を徹底して紙に書いて意識する事も大事だと思う。しかし、多くの人はそれを途中でやめてしまう。


夢や目標を信じていても、現実で発生してくる困難の前に、その苦痛に対応していく事で精一杯になり、夢や目標を忘れてしまい、挫折してしまうのである。

  • 上司からの理不尽な指示
  • 夏場に蒸し上がるような環境での仕事
  • お客様からの侮辱
  • 職場内の陰湿な人間関係
  • 目の回る位に次から次に頼まれる仕事
  • 目標からのプレッシャー
  • 頼りにならない部下の失敗の尻ぬぐい


閾値を越えるためには、様々な困難が次から次に発生したりもする。だから「常に目標や夢は、目の前にいつも見えるところに貼って、意識しろ」という話になるのかもしれないが、閾値越えの前、結果がでない苦しい時、いつのまにか目標も見なくなり、忘れてしまっている。目標忘却型だ。私は、このパターンで何度も挫折した。


また、こんなケースもある。商工会議所の相談コーナーなどで対応していると不思議な人に出会う場合がある。


「現実を一切見ずに、夢や目標ばかり言い続ける人達」だ。


相談の時間が始まると、延々と自分の夢、ビジョンを語ってくれる。しかし、結果がでないから、「どうしたらいいか?」という相談なのだが、そのような人達が期待している答えは最初から決まっている。「今努力している事は間違いない。だから、それをガンバル事」という事を専門家からお墨付きをもらいたいのだ。


自分のやっている事を不安に感じ、確かめにきているだけなのだ。その不安が正しいものであり、やり方を変えた法がいいとアドバイスをすると、一生懸命それを否定したりする。怒り出す人もいたりもする。そんな人達は、相談に来ているのではなく、自信をつけて欲しいだけなのだ。


こんな努力が実らず結果が出ていないにも関わらず、常に夢見たいな話をし続ける人達。こんな人以外に多いんです。自己啓発セミナーにはまっている人なんか、このパターン多いんじゃないでしょうか?これは、良い意味で言うと、成功本に忠実な人達だろう。どんな事にも挫けずに、夢、目標を持ち続けているのだから。


しかし、これらの人の多くは、起こっている事実(努力の割に結果が全然出ていないという事実)に一切、目をそらしている、盲目的プラス思考型の人達だ。このような人達の中に、確かにたまに成功する人も出てくるのも事実だ。しかし、ほとんどの人達は、…


残念ながら、成功するには、近道もないだろう。楽して成功する方法も。(そんな事を書いても成功本としては売れないのだろうが・・)現実逃避ばかりして、常に目標や夢の事ばかりを考えても、成功が降ってくるわけでもないのだろう。


夢や目標を作るという事は当然必要だと思う。しかし目標忘却型の人達や盲目的プラス志向型の人達を見ていると、それと同じ位、それ以上に大事なものがあるように感じる。


どんな成功にも閾値まではワインディングロード(努力の割に結果がでない行程)が存在するだろう。成功するには「その現実や苦しさ・困難が間違った方法を選択した結果か?今のままで突き進んでいいのか?」を冷静に考える勇気がいるのだろう。


現実を直視すると気分はブルーになる時がある。もう辞めてしまい、逃げ出したい気分になるので、あえて現実から目を避けようとしたくなる。そこで必要になるのが、現実を直視する勇気だ。現実を直視できるだけの合理性、論理的思考力も必要になる。頭でっかちではマズイが、ただ前に進むだけでは、うまくいかないのも事実だ。


そして、私が個人的に最も大事な事だと思っている事。それはワインディングロードを楽しむ工夫だ。結果ばかりを気にしていたらやってられない。閾値越えまでどうせ結果はすぐに出ないのだから。


例えば、10万PVを目標にブログを開始したとする。しかし、最初の月から月間アクセス数10万PVなんて実現できるワケがない。数ヶ月は、書いても書いてもアクセス数が上がらないかもしれない。1日1時間も2時間もかけてブログを書き、アクセスしてきたのは知り合いの10人だけ。そんな状況が数ヶ月続くのだ。アクセス数が上がらないという結果ばかりに目がいけば、バカバカしくなりブログを書くのを辞めたくなる。WEBやブログで失敗する多くの人は、実際、閾値にたどりつく前に挫折してしまったり、更新頻度が急激に落ちていく。


挫折せずに閾値を越えた成功したブロガーの人達は、閾値を越えた人達だ。閾値の前の結果がほとんど出ない時期、結果ばかりに一喜一憂するのではなく、ブログを書くことの楽しさ、ブログを書くことで自分の能力が拡大している実感、ブログを書くことでできる新しい友達に楽しさ等に気づく事ができた人ではないのだろうか?目標や結果ばかりに囚われず、そのプロセスを楽しめた人達ではないだろうか?



成功には、閾値を越えるプロセスを楽しんで行える工夫ができるかがポイントになるのではないだろうか?「結果なんかどうでもいい!そのプロセスそのものが楽しいからやるんだ!」と思えるようになる事。


この閾値までの仕事を、多くの人は「苦役」「苦労」「我慢」という言葉で表現してきます。
閾値までは苦役だ!」と我慢できるタイプだったら、そんな工夫はいらないかもしれません。根性やガッツが人並み以上にある人。セルフコントロールがバッチリできる人。そんな人であれば、「楽しくしていく工夫」なんか必要なく、持ち前のガンバリで何とかできるのでしょう。


私みたいな、根性無しでは、その方向性でやっちゃうとすぐに挫折してまいます。多くの普通の人達もこの閾値の前で、頑張りきる事ができなくなり、諦めてしまう。のではないでしょうか?だからこそ普通の人は、すぐに出ない結果だけを求めるのでなく、そのプロセスそのものを楽しむという事ができなければいけないのでしょう。


企業にも成功までの閾値と同じような考え方で、経験曲線という考え方があります。閾値迄の経験量を積めば、急激にコストは下がっていくという考え方です。今、薄型TV等が安くなってきたのも、閾値までの経験量を積んできたから。企業の経験曲線の閾値であれば、どの位経験を積めば、どれだけ生産性が上がると理論値が出てきます。だから企業はそこまで我慢して赤字覚悟の先行投資をしていけます。


しかし、あなたの成功までの閾値までにどれだけの時間がかかるのかは、誰にも分かりません。転換点が明日に来るのか?30年後に来るのか?一生来ないのか?だからみんな閾値を越える前に諦めてしまうのです。


豊かになるには閾値を乗り越えなければならない。そしてそれはいつ来るかも分からない。


だから、この閾値までの仕事をどれだけ楽しむ事で乗り切っていけるかが成功の為の鍵にるのではないでしょうか?思うような成果がでない仕事でも、それを楽しくする工夫をして転換点まで乗り越えていく力が重要なのです。

結果がでないプロセスそのものでさえ、楽しさを創造していく工夫が絶対に必要なのではないか?それができなければ、私のような困難や思うようにならない出来事に対してすぐ諦めてしまう普通の人が成功するのは難しいのだろう。「どんな事も、それをいかに楽しむか?」という事は、今も試行錯誤中のライフワークです。


楽して成功したい。だけど、それは幻想にすぎないだろう。
閾値越えという苦労がない成功」はあり得ないだろうから・

(ここで言う成功とは、大富豪になるとか言う大成功とかいう意味だけでなく、日頃の身近な目標のクリア等の小成功も含んだ話で書いています。)