つっぴ君と 長野旅行

つっぴ君は、うちの最初の義理の息子でした。私の両親はとてもかわいがっていました。
しかし、その可愛がり方は「これ食べなさい」「これも食べなさい」「こっちも食べなさい」「まぁ!全部食べたの?じゃぁ、これも持って帰りなさい」というもので、私はとても困りました。「つっぴ君にどんどん食べさせないで!」と言っても、家に来るとなると、あれもこれも食べさせようとするのです。帰宅するころには、つっぴ君はおなかがぱんぱんになっていました。


つっぴ君も、ずいぶん私の両親には気を使って、よくしてくれました。母は自分から話しかけたり、あれこれお願いごとをするので、関わりやすかったと思います。でも、父は誰に対しても少し人見知り気味で、そのわりに毒舌でした。つっぴ君も付き合いづらいだろうと心配だったのですが、「そう?」と別段何を気にする様子もなく、仲良くしてくれました。


つっぴ君が父にしてくれた一番の義父孝行は、よく長野に遊びに行ってくれたことでした。父は退職後、長野にトレーラーハウスをおいて、畑仕事をしたりして過ごしていたのです。晴耕雨読で悠々自適かと思うと、少しは寂しかったようで、しばしば「遊びに来て」ぽい電波を出していました。私は若干面倒臭かったのですが、私が「お父さんが、また長野に来ない?って」と言うと、つっぴ君は「来週な」と即決でした。


高速を降りたところで待ち合わせて、父のお薦めの食堂で食事をして、立ち寄り湯でお風呂に入って、トレーラーハウスに着くと、何を話すでもなく「おやすみなさい」となるのですが、父は楽しかったようです。翌日は、「好きなところに行っておいで」と言いつつ「諏訪湖はどう?」とか「美ヶ原はどう?」「蓼科はどう?」と地図やらガイドやらをつっぴ君に手渡し、もうそこへ行くものと決めて「いってらっしゃい」と見送ってくれました。つっぴ君は「じゃ、行くで」と諏訪湖、その次は美ヶ原、そのまた次は蓼科と出かけて行くのです。


もしかしたら男親というのは、どこも同じように扱いづらいもので、つっぴ君も同じくらいの年齢になれば同じくらいの扱いづらさだったのかもしれません。つっぴ君は、その自覚があって、父に優しかったのかなぁと思います。


父と行ったレストランに、大根の入ったビーフシチューがありました。土鍋で煮込んだ、とてもおいしいものでした。つっぴ君はこれがとてもお気に召したようで、自分でも作ろうとしていました。圧力鍋を買って、私もこのメニューに挑戦しました。おかげさまで、つっぴ君お気に入りの一品に加えていただけました。




父の城です。つっぴ君を従えて嬉しそうでした。


近くの丘です。妹と一緒に行ったので、たくさん写真を撮ってもらえました。