愛とか恋とか
この手の話はこってりお好きな人がいるので、そのまねごとはパスって。ようするに、英語だとloveなのが日本語だと「愛」と「恋」に分かれる。
で、「愛」も「恋」も近代日本語で、伝統の語感はない。
特に「愛」のLoveの語感は明治にできたっぽいようだが、ところが、伊藤仁斎は「仁」を「愛」としているし、西郷南洲も「愛」といっている。というわけで、江戸後期くらいからの「愛」はむしろ英語のloveに近い。もっとも、「愛」自体は仏教用語。
庶民の恋愛はというと、恋歌のようなものはあるので、じゃ「恋」かというと、その語感がよくわからない。
懸想がそれに近いようでもある。というか、源氏にも懸想がよく出てくる。
ただ、では、源氏物語のloveみたいなのが懸想かというと、懸想と恋とはちょっと違うっぽい。このあたりは色好み論とかになるのでうざい。
「慕う」というのも明治以降臭いというか翻訳語っぽい。
うちなーぐちに日本の古語の「かなし」が残っているが、これは現代の「萌え」に近い感じはする。
「情」に恋に近い語感があるが、これはおセックス含み。というあたりで、英語のloveにその語感があるのと近い。
というか、英語のloveというのはけっこう変な言葉。
たぶん、私の感じだけど、英語のloveは巣ごもりの語感があるように思う。
うざったい⇒Love - Wikipedia, the free encyclopedia
そういえば今道友信を思い出した。
⇒今道友信 - Wikipedia
そういえば⇒いまみちともたか - Wikipedia
で、これはけっこう古風だけどそれなりに名著ですよ。
愛について (中公文庫): 今道 友信 |