朝日社説 アフガン拉致―青年の志を無にしない : asahi.com(朝日新聞社):社説

 伊藤和也さんの死に哀悼を捧げます。
 さて。

 そんな伊藤さんの命を奪った犯行に、心の底から怒りを覚える。紛争地の人道援助NGOは、どの武装勢力からも中立的な立場を取ろうとする。なのに、なぜ襲われたのだろうか。

 それは単純にアフガンの「復興」が武装勢力にとって都合が悪いから。

 伊藤さんも現地語を習い、地元の人々と同じ衣服をまとうなど、共に生きているとの思いがあったに違いない。
 紛争地での活動は、常に危険と隣り合わせだ。それだけに、民生支援に入るNGOは現地の事情や治安情勢を入念に把握し、住民との信頼関係を築くことで身の安全を確保する。ペシャワール会はその点で長い実績があっただけに、それでも完全な安全はあり得ないことを改めて実感させられる。

 たしか、先日米国のNGOの女性も三人殺害されている。状況は変わりつつあった。つまり、善意の期待では、NGOの行動は実施できない段階にあった。

 こうした人々に共通するのは、紛争に苦しむ人々を助けたい、支援したいという人道主義の熱い思いと志である。軍事によらない平和的国際貢献を担ってくれる、日本の貴重な財産だ。
 アフガンの治安はかなり悪化している。7年前にいったん崩壊したタリバーンが勢力を盛り返し、国際治安支援部隊だけでなく、各国のNGOにも犠牲が相次いでいる。

 そういう思いが武装勢力には伝わらないし、伝わらないという前提から現実は始まる。
 朝日も「各国のNGOにも犠牲が相次いでいる」と知っているなら、善意が伝わるといった問題でないことはわかるだろうに。
 日本人は、自身の善意を信じてそれが伝わらないと伝わない相手を責めたり、悲運として憤慨したりする。現実が悲惨ならそれに対応するという知恵をもって、自身の思考や行動を妥協しようとはなかなかしない。自己満になりがち。

 悲しみを乗り越え、出来る範囲でねばり強く活動を続ける。それが伊藤さんたちの志を生かす道だ。

 というか、NGOは何を求めているのか? なにができるのか。そこをきちんと経営的な思考で見直していくほうがいい。精神論で粘り強く活動を続けていた日本の戦時下のむなしさからも学ぶべきだろうと思う。