そういう訓練も必要かもしれないけどその才能がもったいないな

 香織丹⇒雑談②いつまでたっても慣れない総理番のお仕事:イザ!

しかし、政治部記者は必ずしも、自分の記事のためだけに取材をするわけではない。私の仕事などは、ただ「情報を上げる」だけ。しかも、その中身の吟味、取捨選択すら自分でしない。とりあえず聞いたこと、覚えていることは部長、キャップ、サブキャップを含め、政治部員全員にメールで送る。たまに、あれ書いて、これ書いて、と指示を受けるが、それも自分の原稿を直接デスク(編集者)に出すのではなく、まずキャップやサブキャップが原稿を書き直し、それをデスクに出す。つまり、アンカーがキャップやサブキャップ、デスクと2段階になっているわけだ。まあ、特ダネ一面トップといった特別な原稿なら、そういう慎重な体制というのも必要かもしれないが、20行の世論調査の発表原稿まで、こういう形式となる。いままで、書きたいものを自分で取材し、書きたいスタイルで書く仕事が圧倒的に多かった私としては、この窮屈さがストレスのもとである。

政治部記者とは、つまるところ、みんな誰かの番記者。政治部記者とは番記者集団だといっていい。もちろん、行革担当とか、道州制担当とか持ち場を振り分けられている人もいるが、基本は長官番だったり、幹事長番だったり、国対番だったりするわけだ。たいていは複数の番を掛け持ちしている。

 それがよい訓練の伝統なのか、滅び行く兆候なのか。
 でも、才能のあるジャーナリストがそこで生き延びることはないんじゃないかな、と危惧する。