ゴーギャン展+ノリタケデザイン100年の歴史展

午前中は酒が残って使い物にならないだろうと思い、金山の名古屋ボストン美術館へ。「ゴーギャン展」と「ノリタケデザイン100年の歴史」展。開館10分前にもかかわらず、すでにエスカレーターの前に行列ができている。日本初公開という「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」人気ということか。ただし、まだ午前中であるためか、会場はたいして混雑していない。初期のピサロ風、セザンヌ風、一部ルノワール風(?)といった絵を順に見ていく。ゴッホとの共同生活時代の絵にはその痕跡のようなものが見える(と思う)。いろいろやっているなあ、など思う。タヒチ時代の絵に移り、「ノア ノア」の版画シリーズを見た後、「我々はどこから来たのか〜」の展示室へ。たしかに強いインパクトを与える大作。人だかりができてもいいように、ちょっと離れたところに手すり付きの台が設けられていて、人の頭の上から絵を見ることもできるようになっている。壁にはゴーギャンが手紙に記したこの絵についての説明が紹介されている。ただし、その説明は少々鬱陶しく、解説なしで絵を見たいと思わせる。その絵をしげしげと眺めて、色調がこんなに青かったのか、ということを思う。人体の黄色と茶色、画面左部などに見られる白、中央右の赤の印象が強いのだが、基調は青。で、そこに惹かれる。画面上部の左右に小さな黄色の部分があり、左側のその部分にタイトルが、右側に署名が書かれている。もっと長い時間つきあってもよい絵だと思ったが、寝転がってぼんやり見ていることもできず、しばらく眺めてから会場を出る。以前(1996)、ボストンへ行った時に、たまたまゴーギャン展(Gauguin and the School of Pont-Aven)が催されていて、150点を越える出品数のせいもあろうが、赤を中心とする色彩豊かな絵の世界に圧倒された。今回の展覧会は、予算のこともあるだろうから、それと(あるいは、バブル期 1987年に東京と名古屋で開かれたゴーギャン展と)比較するのは酷だが、どちらかというと、1点豪華主義の「我々はどこから来たのか〜」展というにふさわしいような気がする。ただし、それでも訪れる価値は大いにある。「我々はどこから来たのか〜」は実際間近で見る価値のある絵だし、それ以外の絵(油絵)からも、図録では経験し得ない豊かな色彩を感じることができる。5月12日からは大原美術館所蔵の「かぐわしき大地」も展示されるということなので、タヒチ時代の魅力的な絵をもう1点見ることもできる。展覧会全体の印象も少し変わることだろう。

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ゴーギャン展を後にして、同時開催の「ノリタケデザイン100年の歴史」展へ。実は今回の主たる目的はこちらの展覧会にあった。森村市左衛門と豊による森村組の創業、慶応で英語を勉強してアメリカに渡った豊のこと(ポキプシーのイーストマン・カレッジでも学んだという)、大倉父子のこと、ニューヨークでのモリムラブラザーズ設立のこと、陶磁器輸出、日本陶器、東洋陶器のこと等々、ノリタケデザイン100年史を追いながら、オールドノリタケ、ディナーウェア(セダン)、ノリタケアールデコなど、19世紀末〜20世紀初の陶磁器の数々を見ていく。アールデコものの中にはいったい誰がこんなものを買うのだろう、というようなキッチュ趣味(?)のものも。しかし、とりわけ興味深かったのはデザイン画帖。日本人のデザイナーがアメリカへ送られ、アメリカ人好みの意匠を描く。これが日本に送られ、それを忠実に再現した陶磁器が製造され、アメリカに送られ、販売される。その画帖が展示されているのだが、そこに描かれた精巧な絵、書き込まれた文字等、実に興味深い。後には日本人以外のデザイナーも雇われ、ノリタケアールデコのデザインなどが描かれたということだが、画帖にデザインを描いた日本人たちはどんな人たちだったのか、日本の美術学校卒業生たちだったのか、それとも、アメリカに留学して絵を学んだ人もいたのかなど、考える。(この点、優れものの図録が和気松太郎ほかのことをいろいろ教えてくれて有益。)20世紀初頭のアメリカの詩人たちのジャポニスムの背景を思うという点でもためになる展覧会。彼らは実際、どのような食器を使っていたのか、といったことも知りたい。