医療介入とは 39 <畳や床の上のお産、清潔と不潔>

前回の記事で書いたように、分娩が終わった後の分娩室に血液のあとが残っていないように徹底した清掃をする私です。


とても清潔好きかというと、職場を離れるとそれほどでもないと思います。
家の掃除も手抜きです。
住んでいた東南アジアの某国の雰囲気が好きで、とくに生活のにおいがする市場が大好きで毎日のように行っていました。
市場の食堂や村の知人の家で地元の人と同じものを食べていましたし、どこで寝泊りするのも大丈夫です。
飲み水だけは気をつけていましたが、水道がないところで川でお風呂代わりに体を洗うことも平気です。


でも仕事モードになると、細菌やウィルス、病害虫、カビなどが目に見えるかのように気になります。


それは、医療というのは常に病原体との闘いでもあるからです。
細菌やウィルス、原生生物など、その多くは目に見えないものですが、健康な人をある病気にさせるものです。
ましてや病院にいらっしゃる病気になって体力も落ちている方や免疫が不十分な方が感染することがないように、十分に注意をしなければなりません。


医療の中で使う「清潔と不潔」。それは日常的に使用するきれい好きという意味ではなく、細菌などからの感染を予防するという意味を含んでいます。


<床というのは不潔>


家に帰れば私も床に平気で手をつきますし、時には床に落ちたお菓子も食べてしまいます。
床に手をつくたびに、手を洗いなおしたりもしません。


ところが仕事中は、床に落ちたものを触ったあとはすぐに手を洗います。


医療の中では床というのは「不潔」な場所であることを、看護教育の初歩的な内容として叩き込まれます。


どのように「不潔」なのでしょうか?


船橋市立医療センターがネット上に公開している以下の文書がわかりやすいので参考までに紹介します。
「医療安全対策 文書No.137」
http://www.mmc.funabashi.chiba.jp/safety/files/6_7.pdf

その中の6〜7ページ目を引用します。

床から20cmまで:細菌汚染が最も激しい空間です

細菌汚染が最も激しい空間(床から20cmまで)について説明します。

細菌の好きなもの3つ
・よごれ(dirt)
・ほこり(dust)
・湿気(damp)
★床が血液、痰、尿、便などで汚れていたら、細菌が増殖しますよ⇒すぐ拭きましょう。
★床にほこりがあったらそこに細菌やカビがたまり、風で舞い上がりますよ。
⇒湿式清掃の後、乾燥させましょう。
★床が濡れていたら細菌が増殖しますよ。⇒乾燥が必要です。

「床および床上20cmまでの空間は細菌汚染が最も激しい」と認識してください。
1.患者へのラインがこの空間にありませんか?もしあればかなり汚染されていますよ。
2.この空間にあるスリッパをつかみましたね。すぐに手洗いしてください。
3.この空間をあるくのですから、靴も汚染されていますよ。
4.この空間にある「すのこ」も汚染されていますよ。
とにかく、この空間にあるものはすべて細菌汚染が激しいのです。

そしてまとめとして以下のように書かれています。

・床から20cmまでの空間にはできるかぎり手を持っていかないこと。
・この空間にある物をつかんだらすぐに手をあらうこと。
・清潔用品は1m以上の高さに置くこと。
清潔用品は水まわりには置かないこと。
・濡れた手で清潔用品を扱わないこと。
・汚れたリネン類を床に置かないこと。


どうでしょうか?
畳や床の上での分娩介助は、院内感染対策の基本から考えると最も不潔な場所で行っていることになります。


<一処置一手洗い>


医療現場での院内感染対策の基本中の基本が、手指をよく洗うことです。
ケアを行う前後に手洗いもしくはアルコールをすり込む手指消毒を行います。


ネット上でわかりやすく説明したものがありました。
「感染対策の基本 『手指衛生』」
http://www.yakuhan.co.jp/di/qa/pdf/Q69.pdf


その3ページ目の「表1 手指衛生の方法」に医療従事者がどのタイミングで手指の手洗い・消毒を行うかの5項目が書かれています。

・日常的な行為の前後ー食事、トイレなど
・手に目に見える汚れがある場合
・芽胞と接触した可能性がある場合
・医療行為の前後
・手術時手指消毒

普通の生活であれば上から2番目までで十分でしょう。


医療現場では、さらに目に見えない感染源まで考えて手洗いをします。
それが「一処置一手洗い」というものです。


この資料の4ページ目には、医療スタッフの手洗いの回数が「シフトあたり平均5〜42回、一時間あたり1.7〜15.2回」という調査結果が掲載されています。
職種が明記されていないのですが、看護職であればこの多い方の回数以上の手洗いを実施しているのではないかと思います。


<畳や床の上での分娩介助についての感染リスク>


なぜこれほどまでに医療従事者が手指の衛生を厳しく言われるか。
それは自らの手を介して感染経路とならないようにするというためです。


畳や床の上での分娩介助は、そのせっかく清潔にした手を「細菌汚染が最も激しい」床につけて介助することになります。


また血液・羊水を吸い込んだ畳は、院内の温かく温度も湿度も保たれた環境では細菌だけでなくダニやカビの温床になることも心配です。


床に置かれた布団、クッション、バランスボールなど、院内感染対策的には「不潔」と見なされます。


産科だけは清潔・不潔の考え方を緩めても大丈夫というダブルスタンダードは在り得ないことでしょう。


これまでもある感染症を制御できたと安心していると、またあらたに予想もしない感染経路で人は感染症の怖さを感じてきたと思います。


前述の資料の「2)手指による微生物の伝播」(p.2)では、「人工爪を装着していた看護師が自宅で使用していた化粧品のクリーム」で繁殖した細菌によって死亡者まで出すアウトブレークが報告されています。
人工爪が流行り始める以前には予想もしない感染です。


普通の暮らしの感覚では大丈夫と思えるようなことでも、医療の中では感染対策は慎重に、厳しい目で考えていく必要があります。
免疫の落ちている妊産婦さんや初めて雑菌に触れる新生児を守るためにも。


分娩介助は、畳や床の上ではなくベッドのように高さのある場所で実施する必要があるのではないでしょうか。