行間を読む 56 <種痘の接種制度の変遷>

種痘とその副反応である種痘後脳炎についてほとんど知らなかったことに気づいたので、今回もまた自分自身の勉強ノートのような内容です。


検索していたら、「種痘研究の経緯 ー弱毒痘苗を求めてー」(平山宗宏氏、2008年、小児感染免疫)という論文が公開されていました。


この論文の「はじめに」と「種痘の副反応の実態」の部分と、国立感染研究所の「天然痘(痘そう)とは」を合わせて読むと、前回の記事で紹介したWikipediaの「種痘後脳炎」の説明文の時代背景や経緯がもう少しわかりました。



<種痘の接種制度が始まった頃>



冒頭で紹介した論文の「はじめに」には以下のように書かれています。

予防接種による健康被害(いわゆる予納接種事故)が社会的に、ついで行政的に大きく取り上げられ始めたのは昭和45(1970)年の春以降のことであり、そのなかで、副反応の重さからみても頻度からみても最も問題の多かったのが種痘であった。

わが国では、戦後の一時期、外地からの帰国者に痘瘡患者が見られたものの、国内発生はゼロが続いていた一方、種痘による死亡や後遺症の被害は少なくなかった。こうした状況下で、種痘による健康被害の実状の把握と副作用の少ないワクチンの選択ないし開発が急務となったのである。

この箇所だけを読むと、患者発生がゼロなのになぜ予防接種が続けられたのかという疑問になりそうですが、国立感染症研究所の「天然痘(痘そう)とは」の以下の箇所を読むと、罰則規定まで設けられて予防接種が始まった状況が想像できます。

わが国では明治年間に、2〜7万人程度の患者数の流行(死亡者数5,000〜2万人)が5回発生している。第二次世界大戦後の1946(昭和21)年には18,000人程の患者数がみられ、約3,000人が死亡しているが、緊急接種などが行われて沈静化し、1956(昭和31)年以降は国内での発生はみられていない。

発生はゼロになっても、抗体を持たない人が増えれば海外から持ち込まれればまた大流行になるわけですから、当時は予防接種をすることと副反応のリスクとの葛藤は大きかったのだろうと想像します。


<副反応の実態調査の始まりと対応>


「種痘研究の経緯」では副反応の実態がわかっていなかったことと、全体を把握するための調査を始めたことが書かれています。

種痘の副反応は、当時、種痘後合併症と呼ばれており、種痘後脳炎などが死因統計にあがってきていたが、母数や診断基準などが不明確なため、発生頻度が性格には把握されていなかった。このため研究班では、まず多数を対象にしたprospective studyを計画した(担当 染谷四郎国立公衆衛生院)。川崎市と東京で84,000名の初種痘を対象にした調査であり、種痘後脳炎1例、脳症3例が報告された。100万当たり48の頻度となり、軽症例が含まれているにしても予想を越える高頻度であった。

こうした種痘の副反応の問題から、種痘の不要論は欧米でもあったが、この時点のわが国ではアジアにおける痘瘡流行の状況と、まれながら旅行者の帰国後の発病例が見られたことから、副反応の少ない痘苗を模索する検討に入ったのである。

このあたりは国立感染症研究所の「天然痘(痘そう)とは」の「治療・予防」に以下のように説明されています。

種痘後には10〜50万人接種あたり1人の割合で脳炎が発生し、その致死率は40%と高い。その他にも全身性種痘疹、湿潤性種痘疹、接触性種痘疹などの副反応が知られていた。1976年我が国では、それまで使用されていたリスター株を改良したLC16m8株が開発され(千葉県血清研究所)、弱毒痘苗として採用されたが、同年我が国では定期接種としての種痘を事実上中止したため、実用には至らなかった。さらに、WHOによる天然痘根絶宣言により、1980(昭和55)年には法律的にも種痘は廃止され、現在に至っている。

<現在の種痘接種の対応方法>


現在は種痘は実施されていませんが、厚生労働省では「天然痘対応指針」が2004年に出されていることを、今回検索して初めて知りました。


天然痘の封じ込め対策は、接種者に対する選択的予防接種、追跡調査及び症例の隔離が中心となる。予防接種を感染拡大防止に有効に用いるためには、早期の症例の把握、接触者の同定及び追跡調査が必要である。
天然痘ワクチン接種はある程度の副反応が避けられないため、接種禁忌者など、実施に当たり十分注意する。また、このため、WHOは天然痘の発生の極めて低い地域や時点では、全国的な広範囲の接種は行うべきではないと勧告している。

天然痘への対応がこの数行にまとめられるまでには、どれだけの失敗と再発予防の繰り返しがあったのだろうと気が遠くなる思いです。


天然痘の流行によって感染や死の恐怖に直面した当事者」「種痘の副反応によって障害や死の恐怖に直面した当事者」、そして「天然痘を制御する責任の重さを引き受けた当事者」。


天然痘の歴史を知ることは、たとえば疾病の大流行や大災害のように大きく感情が揺れる時に、判断の幅を広げてくれるのではないかと思いました。








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