映画「オートマタ」を観ました。
(3月5日観賞分、チネチッタ)
人型ロボットが普及した世界の、ロボット会社の保険屋さんのお話。
この世界でのロボットに課せられた制約《プロトコル》は2つ。
- 1.生命体に危害を加えてはいけない
- 2.ロボット自身で修理・改造をしてはいけない
(パンフレットより抜粋)
この《プロトコル》のうち2番目を巡って、どうやら違法に改造されたと思しきロボットが発見されたため、主人公さんはその改造元をたどっていくことになります。
いわゆる《アシモフのロボット三原則》を具体的にどのように実装するかという問題から解放されて、より具体的で現実的な《プロトコル》であるように見えます。
もちろん第1のプロトコルをどのように実装するのかという技術的な問題は大きいはずですが、さしあたっては解決された問題であることが冒頭で描写されているので、(ロボットが暴走したと詐称して保険金を巻き上げようとしたユーザーに対してロボットは正常に動いていてそんな事故を起こすことはないと明示されているので)、第2のプロトコルの問題だけに焦点を当てることができます。
つまり、ロボットが自ら改造を施して進化をしていくことができるとしたら、どのような問題が生じるのか。
という壮大なテーマと平行してもうひとつ大きな存在が、ポスターにも描かれている、人間の顔を模したロボット・クリオさんです。
この世界のロボットは基本的には無機質な表情のものなのですが、このクリオさんは特殊な用途のために改造されています。
(その用途については、まあ、お察しください)
クリオさんは人の顔を模した仮面を付けている上にまばたきする機能まで有しているので、一見、人間に近しい存在であるかのように思えます。
実際、主人公の保険屋さんとあたかも心を交わしたかのような場面さえあります。
If you can count, you can dance.
ダンスは数学だ。
前半の何気ない場面でテレビに映っていたどうということのない映像が、後半でとても印象的な形になって反復されます。
美しいです。
とはいえ、クリオさんはやはりロボットなのであり、主人公の保険屋さんと本当の意味で心を通わせることができたのかどうかは、定かには判別しようがありません。
人間同士ですら、本当の意味で心を通わせることなど可能かどうかわかりやしないのです。
この映画を見てからこの感想文を書くまでに随分と時間が経ってしまいましたが、その間に話題になっていた大きなニュースとして、囲碁の勝負で人工知能のソフトウェアが人間のプロ棋士に勝ったというものがありました。
特定の分野に限定的ではあっても、人工知能が人間の頭脳を凌駕しうる可能性が示されたようです。
もしかしたらこの映画みたいなことになるかもしれない世界線への分岐点に立っているのかもしれません。
余談ですが、劇中で「ヒューマンビジネス」という台詞があったような気がします。
字幕は別のわかりやすい日本語で表示されていた気がしますが、ロボットと共存している世界ならではの言い回しのように思えておもしろく感じました。
(もしかしたらぼくが知らないだけで英語では普通な言い回しなのかもしれませんけれども。)