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キリンが逆立ちしたピアス このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-03-24

[]小森はるか「息の跡」

 この映画は2013年から2016年陸前高田を撮影したドキュメンタリーである。陸前高田津波の甚大な被害を受けた。多くの人が家族や大事な人を亡くし、住むところを失くした。その被害のあとすぐに、国道沿いにある「たね屋」が再建した。「たね屋」の佐藤さんは津波でお店の全てを失った。被災後の店舗は柱すら残っていなかった。その跡地に井戸を掘り、自作の店舗を建てて、ビニールハウスで商品になる苗を栽培している。復興工事のトラックがごうごうと轟音で通り過ぎていく中、種を蒔き、芽がでると少し大きな園芸用ポットに移す。佐藤さんはいつも、身の回りの世界に働きかけることをやめない。アーモンドチョコレートを食べていれば、その空っぽになった箱をハサミで切って、新しい種の箱にする。貯水タンクがあれば、そこにマジックで顔を描いてみる。最初は美女の顔を描いて、口紅をつけるように赤マジックで唇をかたどったのに、今度は黒のマジックで眉毛を太くして怖そうなおじさんの顔にしてしまった。そのタンクの蛇口に軍手をはめて、こっちに手を突き出しているみたいに飾り付ける。次にはタンクの隣に、道に落ちていた子どものおもちゃをくっつけた。そのタンクについて、佐藤さんは唐突に語り出し、「このおもちゃの持ち主は津波で亡くなったかもしれない」ということを示唆する。佐藤さんは、「いなくなった者たち」の息吹が聞こえる場所で、小さな創造の世界を生み出している。

 佐藤さんは英語で自費出版で冊子を作っている。津波被災の事実を書き残し、そこで生き、暮らしていた生活を書き残そうとしている。英語で書いたのは、日本語では苦しくて言葉にならなかったからだ。書き上げた冊子を毎日、自分で朗読している。その声は朗々としていて、読み方も俳優のように格調高い。佐藤さんが文章で表現するのは生者と死者の行き着く場所である「魂の世界」だと感じる。目に見えたものは津波ですべて失われた。だが、佐藤さんは「そこに確かにあったもの」の存在証明をするように英語を綴っていく。そんな風に私には見えた。佐藤さんは英語だけではなく、中国語でも冊子を作っている。佐藤さんの声は「ここにある世界」を超えて、もっと遠くの「どこかにある世界」に呼びかけているように聞こえる。陸前高田の「たね屋」から世界へ、宇宙へと繋がっていくための扉が開かれるみたいだ。

 佐藤さんによれば、住んでいた街の歴史的資料は流されてなくなってしまった。加えて、土地柄もあって、住んでいる人たちは文字で「書くこと」より生活のため手に職をつけることを重視している。不運にもこの土地には記録を残す人が少ない。だからこそ、佐藤さんは記録者になった。誰もやらないのだから、自分がやると決めたのだろう。文献を探し出し、年輪を調べ、海抜を予測してこの土地の歴史を探る。その過程は失われた「死者の声」や「言葉なきものの声」を聞くような作業だ。亡くなった人、土地を去らなければならなかった人、津波に流された植物たち、そうした「いなくなった者たち」が「生きていた」という事実を佐藤さんは「書くこと」で繋ぎ詰めようとしていると、私は思った。

 こんな風に哲学的・神学的世界を生きる佐藤さんが出会ったのが、小森はるか監督だ。小森監督は震災後に「芸術に何ができるのか」という問いを抱え、悩みながら映画を撮ってきた。2013年の撮影スタート時は先も見えない貧乏学生だった。その小森監督に佐藤さんは自分のやっていることを話す。彼岸へと呼びかけていた佐藤さんが、此岸に向かってしゃべり始めるのである。小森監督は、下界からメッセージを受け取りに来た使者なのだ。だが、この使者は正直者で、わかったふりもしなければ、お世辞も言わない。佐藤さんは、長く話した後に、何度も「わかる?」「意味わかった?」と尋ねる。小森監督は少しためらったあと「はい」「うーん」と曖昧に返事をする。佐藤さんは「わかんないのかよ」「この話わかるのか、すごいな」とユーモラスに返す。噛み合っているのか、噛み合っていないのかわからない、二人のやり取りの中で、観客席のこちら側も佐藤さんの「言葉の世界」に入り込んでいく。その「言葉の世界」は、「たね屋」の佐藤さんの「生活の世界」と繋がっているけれど、いつもの日常とはちょっとだけ離れた「魂の世界」だ。

 この映画は2016年の「たね屋」の解体で終わる。「たね屋」があった場所は、津波防止のカサ増し工事で埋め立てられてしまう。自分で屋根を剥がし、「終わっちゃった〜」と佐藤さんは叫んで見せる。最後には自分で作った井戸を取り壊し、パイプを引き抜く。そのパイプが空に伸びていくのをカメラが追うカットを最後に、エンドロールが流れる。あとから、空に伸びる灰色のパイプの映像を思い出すと、あれは宇宙に伸びた通信用のアンテナみたいだったと私は思う。佐藤さんは自分の書いた本に対して「売れなくてもいい。誰も読まなくてもいい。書くことに意味がある」と言いつつ、別の機会には「誰も読まない本には何の意味もない」と矛盾することを言う。それは私もいつも思う。誰に読んで欲しいと言いたいわけでもない。だけど、この言葉を受け取る人がきっといると信じて文字を書く。もしかしたら、受信者は宇宙の別の惑星やあの世にいるかもしれない。それくらいの気持ちを持たないと「魂の世界」には繋がれない。

 もちろん、この映画は被災者を追っており、佐藤さんは津波の経験を持った唯一無二の当事者である。それと同時に、この映画は「もう生きていけない」と思うほど辛いことがあった後に、表現者として生きる道を探す人間の話でもある。これからも佐藤さんの書いたものが、読み継がれて欲しい。(私も映画の上映の後、英語版を購入することができた)

2017-03-10

[]我妻和樹「願いと揺らぎ」

 我妻和樹「願いと揺らぎ」の上映会に参加した。

東北支援チャリティ上映会

『願いと揺らぎ−震災から1年後の波伝谷に生きる人びと−』

https://www.facebook.com/events/1799698950281479/

 この作品は我妻和樹監督の「波伝谷に生きる人びと」の続編である。2011年3月11日震災で、波伝谷部落は津波の甚大な被害を受ける。波にさらわれて亡くなった人、基礎部分しか残らなかった家、流されてしまったカキの養殖棚。波伝谷の住人は家族や家、仕事を失った被災者となった。前作の「波伝谷に生きる人びと」は、その震災の直後で作品が終わっている。

我妻春樹「波伝谷に生きる人びと」

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20151118/1447839610

 本作は、それから1年後の波伝谷の人びとの物語だ。仮設住宅に移り住み、住人たちの孤立を避けようと、自分たちで「お茶会」を開いて「話す場」を作ろうとしている。また、「高台移転」についても、契約講と呼ばれる組織を中心に自治を取り戻そうと苦闘が始まっていた。

 その中で出てきたアイデアが部落行事「お獅子さま」の復活だ。「お獅子さま」とは、各家庭が獅子舞が訪問する春の祭りだ。2011年の「お獅子さま」は震災の数日後に予定されていたが、中止になってしまった。そこで、2012年こそ、「お獅子さま」をやろうという声が若者の中から出てくる。高齢化が進み、年功序列の強い部落の中で、若者たちが自分たちから「やりたい」と言ったことは波伝谷の人びとに勇気を与えた。「お獅子さま」の幕も、踊り手の半纏も津波に流されてしまってない。でも「お獅子さま」でみんなが集まって祭りをやれば、バラバラになってしまった波伝谷が再び一つになれるかもしれない。ある女性はお獅子の道具を「支援ではなく、自分たちのお金で買いたい」と語った。人びとの口から出てくる、「もう被災者じゃない」という言葉。波伝谷は2012年の時点では、瓦礫が残る街並みで「復興」というには程遠い状況だった。それでも、波伝谷の人々は自分たちなりの「自立」の方法を模索していた。まだまだ傷跡の深い被災地で、「お獅子さま」の復活は、津波の後の鎮魂と再生に向けた神話的な「祝祭」となり、人びとの心を再び結びつける契機となる、はずだった。

(以下、ネタバレになるので閉じておく)

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2017-01-01

[]あけましておめでとうございます。

 昨年は博士号を取得いたしました。博士論文は、皆様に広く読んでいただけるよう、準備しているところです。無事に形になりましたら、こちらでもお知らせする予定です。

 4月から大学の非常勤講師として教壇にも立つようになりました。社会問題を考えることを通じて<世界で起きていること>と<自分>とを結びつけて考えていく経験を積んでもらいたい、と思いながら授業をしています。

 授業をしていると、自分の学部生の頃をよく思い出します。2001年に大学に入学し、一人暮らしを始めた下宿の部屋で、9.11の中継映像をテレビで見ていました。卒業論文は「テロ後の演劇」というタイトルで、戦争責任と「赦しの不可能生」について論じました。

 私は決して優秀な学生ではなく、学部生の頃から、自分の論をうまく立てられず四苦八苦してきました。感情的なものと論理的なものを、言語によって結びつけ、文章によって表現できるという確信ができたのは30歳を過ぎてからです。15年経っても、しつこく同じ問題に取り組んで苦労しているので、やはり要領は悪いのですが、「継続は力なり」だとも思います。

 いつも「もっと実力が欲しい」とあがいていますが、今年も諦めずに粘り強く研究を続けていきたいです。今年もよろしくお願いします。

2016-09-20

[][] 「RJと医療メディエーション」のご案内

 一般社団法人メディエータズ主催の修復的司法講演会が、10月9日(日)に東京で開催されます。今年の講師は、医療現場でメディエーションに取り組む荒神裕之さんと、私が講師を務めます。

 私は、今回は〈当事者の声〉について、もう一度、考えるような場になれば良いと思っています。社会運動裁判でも、「〈当事者の声〉の尊重」はうたわれるようになりました。しかしながら、そこでいわれる「声」というのは、「当事者(個人)のニーズ」や「要求している補償・条件の内容」を指すことがほとんどです。しかしながら、当事者は「他ならぬ、この私の声」を伝えようとしていることがあります。その、代弁不可能な〈当事者の声〉の側面を、修復的司法の事例検討を通して、考えていきたいと思っています。

 どうぞ、よろしくお願いいたします。また、第2回の修復的司法の講演録も発行いたしました*1。第2回では、刑事司法制度をめぐる思想的な背景を簡単に追いながら、修復的司法の事例を取り上げ「対話の中で加害者も、被害者も変わっていく」という点について取り上げました。講演会でも頒布予定ですが、メディエーターズから通販も可能です。

(表紙フルカラー/オンデマンド印刷/A5/34ページ/イベント頒布価格500円)

通販→ https://www.facebook.com/mediators/photos/a.608850642500684.1073741828.604293616289720/1164923976893345/?type=3&theater

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 第1回分もフルカラー表紙の新装版を刊行し、在庫がございますので、上のメデェエーターズへお問い合わせください。

(表紙フルカラー/オンデマンド印刷/A5/42ページ/イベント頒布価格500円)

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プログラム (予定)

第1部 14:00〜15:00

講演「修復的対話と解体的対話」(仮)

小松原織香さん

第2部 15:00〜15:40

医療メディエーションの現場報告

  荒神裕之さん

第3部 15:50〜17:00

 意見交換

会場 早稲田大学9号館5階第1会議室

参加費(資料代) 500円 当日受付でお支払いください。

メディエーターズ社員・賛助会員は無料、学生は500円です。

みなさまのご参加お待ちしております。

https://www.facebook.com/mediators/posts/1186790118040064

*1:テープ起こしは、NPO法人ピアサポートネット」へ有償でお願いしました。「ピアサポートネット」では、引きこもりフリーターニートなどの社会問題を抱える人たちが、社会とのつながりをもって生きていくためのお手伝いをする団体です。http://peersupport.jp

2016-02-22

[][]小池一夫氏の二次加害発言について

 昨日からネットで話題になっているのが、小池一夫氏の二次加害発言である。小池さんは「子連れ狼」などの漫画原作で有名であり、ツイッターでも28万人以上のフォロワーを持つ。非常にネット上で発言力のある人物だ。

 その小池さんがある事件の被害者に対し、次のような発言を行った。

【今日の家人】今日も中1の女の子を連れ去ったと、馬鹿な男が捕まっていたけど、きっかけはネットの出会い系サイトなのよ。中1で男が欲しかったのか、お金が欲しかったのか分からないけど、中1で出会い系サイトで男と知り合う女の子は、もう女の子じゃない。女。しかも、倫理観も貞操観念もない女。

https://twitter.com/koikekazuo/status/701261058237812737

 上記の発言の主な問題点を以下に列記しておく。

(1)「家人」という女性を隠れ蓑にすること

  「家人」とは小池さんの女性のパートナーを指す。男性である小池さんが直接発言するのではなく、「女性」の口を借りて話すことで、女性同士の発言をほのめかしている。また、男性の性差別意識を「女性」を隠れ蓑にして批判を避けようとしている。本来の発言者の女性が言ったのかどうかも真偽は明らかではない。(「女性」のアイコンを使った悪質な創作である可能性がある)

(2)古い性規範の押し付け

 「貞操観念」とは、女性が自己の欲するままに性的に行動することを抑制し。社会規範によって抑圧する観念である。この背景には「男性が女性を所有する」という古い価値規範がある。女性が誰とどのような性的関係を持とうと個人の自由であり、「倫理観がない」などということは性差別にあたる。

(3)未成年の女性の性的欲望の否定

 思春期に入ると性別にかかわらず、性的な欲望が顕著になっていきやすい。自我の目覚めや、社会的な性意識の学習、ホルモンバランスなど、様々な理由が合わさって「性的なもの」へ惹きつけられたり、拒否感を持ったりする。男性のこうした性的な関心は肯定的に語られることが多いが、女性の性的関心は否定的に語られることが多い。その理由には(2)が大きい。

 未成年の女性が、「女」であっても「女の子」であっても自由なことではあるが、性的欲望によって分断することはできない。思春期子どもたちは、大人と子どもの境目で逡巡している。そのため、性に限らず、未知の「大人の社会」へ同化と反発を繰り返しながら参入することで成長していく。子どもたちの「倫理観」はこうした「大人の社会」社会への挑戦の中で育まれていくものである。

 だから、女性であっても、性的なものへの好奇心の高まりから、「出会い系サイト」を使うことは何もおかしなことではない。未成年の使用が禁止がされていれば、いっそう興味を持つことだろう。同時に、社会経験の少なさから、「出会い系サイト」を通じて、大人にだまされたり傷つけられたりする危険も高い。こうした状況から、「出会い系サイト」をゾーニングフィルタリングによって未成年から遠ざけることが良いのか、危険性を明示的に教えることが良いのかは議論があるだろう。どちらにしろ、危険物子どもたちの手の届くところに置いている責任は大人にある。

(4)出会い系を利用せざるをえない未成年への無理解

 出会い系サイトを使う未成年のうち、非常に困難な状況に置かれている子どもたちもいる。貧困虐待から生き延びるための金銭を得るために利用する未成年もいれば、孤独な心を埋める方法を他に知らずに利用する未成年もいる。この背景には日本の児童福祉が全く足りていないことがあることは、何度も指摘されてきた。少し調べればわかることの手間を惜しみ(または知っているのにあえて事実を隠して)偏見のままに発言している。

 以上のように、非常に問題のある発言だと言える。ネット上で知名人によるこうした発言は、小池さんに限らず何度も繰り返されているのだが、ツイッターだと流れてしまいやすいので備忘録として記録していく。

 「出会い系サイトに登録する少女たちを止めるべきだ!」「自衛のために必要なんだ!」という方のために、過去記事もリンクしておきます。

「性暴力は自衛可能か?」

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20091208/1260272432

「風俗で働くことを怒ることは百害あって一利なし

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20131211/1386736392

 困難な状況に置かれている少女たちについての本はこちら。

 大変な状況で犯罪に至ってしまった少女たちについての本もあります。

生きのびるための犯罪 (よりみちパン! セ) (よりみちパン!セ)

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セカンドチャンス!―人生が変わった少年院出院者たち

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