富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

司徒華先生逝去

fookpaktsuen2011-01-02

一月二日(日)曇。昼にかけて香港大学の図書館。露伴を少し読む。中上健次の全集(第八巻)に「香港」という短編あり。ツアー旅行で一晩の深酒を素材にこゝまで物語の構築が出来るのね、と感心。港大から金鐘、筲箕灣行きの720系統のバス上手く乗り継ぎ40分で西湾河の電影資料館。Satyajit Ray(サタジット=レイ)監督のPather Panchali(大地のうた、1955年)見る。港大からバスが一緒だつた秋篠宮を長身にしたやうな御仁も金鐘で何だか急いでいるな、と思へたら同じ映画見物。この映画を語るにはあと三、四回見る必要があらう。物語ぢたいは田舎の集落で多少なりとも幸せな家族が不幸に嵌り再起目指し集落を去る、山田洋次が好きさうな話だが圧倒的なフィルムの力が老婆の歩く他愛ない姿や池の浮草、雨ん坊、林の樹木の枝々が風に戦ぐだけでも「絵になる」のがレイ監督のこのモノクロの映像の凄さ。そして何よりSubir Banerjeeといふ天性稀にみる目の美しい子役を得たことが、蜷川先生にとつての「身毒丸」の藤原竜也のやうな世界。日景忠男さん(懐かしい……)にとつての沖雅也是枝裕和にとつての柳楽某のやうな「金の卵」だつたのか、子役本人にとつてもヴィスコンティの「ベニスに死す」の某にせよケンちゃんの宮脇康之にせよ……言を要すまひ、でこの少年の三十代が左上の画像、となる。晩にお節の続き。Z嬢仕入れてきた平洲島の豆苗が見事。Puligny MontrachetのXavier Monnot 07年。司徒華先生の逝去を惜しみつゝ維納フィルの新年演奏会をテレビで眺める。
▼司徒華先生逝去。1931〜2011年。

支聯會主席司徒華先生因癌症,下午在沙田威爾斯醫院逝世。朱耀明牧師表示,司徒華臨終前,他聯同家屬在病床邊唱詩歌,司徒華在詩歌中安息。據司徒華遺願,遺體將火化,部份骨灰份撒在大海,北望祖國大地。

香港生まれで日本占領期は故郷の開平に逃れ戦後、香港に戻り師範学校出て教員に。殊に70年代、代用教員扱ひされた教員養成所出の文憑教員の待遇巡り教組結成し尽力。どちらかといへば左派で香港返還で基本法の起草委のメンバーとなつたが89年の天安門事件でマーチン李柱銘らと共に中共と袂分ち支聯會興し主席に。その後の民主化運動への関はりはこゝでアタシの言及は要るまひ。天安門の翌年、1990年に来港のアタシが司徒先生の尊顔に初めて拝したのは91年の六四か、舊新華社の前でのデモ。何年も春節前のヴィクトリア公園での夜市で支聯會のブースで先生の春節の花聯の揮毫戴いたのが懐かしい限り。小樽のM氏から呟板に「天天有工開、天天有飯吃」と司徒華先生の愛された言葉いたヾく。

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