2011年02月27日のツイート

日本の10大新宗教 (幻冬舎新書) 〜宗教は人間が作るものなんだよね。人間臭さを感じることができた。

日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)
島田 裕巳
幻冬舎
売り上げランキング: 21236

本書では基本的に中立的な立場で、各宗教について書かれており、とても勉強になった。
各宗教の教義がどういった生い立ちから発生しているのかを知ることができたので、カルト的なイメージしかなかった新宗教について少しだけイメージを変えることができた。


最近、ニーチェにも興味があって本を読んだりしているのですが、ニーチェでは宗教の限界、問題についても取り上げており、なぜ人がそういうものにすがりたがるのかも勉強したばかりだったので、違う意味でも興味がもてた。


心の拠り所となる宗教はまぁ弱い人には必要なのかもしれないし、それで世の中が回るのであれば、それはそれで必要かもしれない。PL学園のような高校野球を盛り上げてくれるところも生まれてくるわけですし。


そして、改めて、僕には新宗教は必要ないなと思いました。先祖を大事にしたりはしていきたいですけど、病気が人の手で治ったりするわけもなく、世紀末もやってくるはずなどないですから。

まんがと図解でわかるニーチェ (別冊宝島) (別冊宝島 1729 スタディー) 〜世の中の出来事すべてを「肯定する」ことから始めよう。

腑に落ちた。
僕の考えた結論を書くと、そんな解釈じゃだめだといわれそうで怖いのだけれど、今の僕の素直な気持ちを書いておこう。

「七つの習慣」では、世の中で起こるすべてのことについて自分がどう感じるか、憤るのか、チャンスとみるか、悲嘆するか、自分次第だってことを言っていた。(これはニーチェのいう「遠近法的思考」をコントールすることで可能なんだろう。。)
なるほど、そうだと思った。どんな苦境も明るく受け止める、チャンスと解釈することができれば、そりゃ人生楽しいだろう。2年ほど前のことだ。


けれど、そんなに簡単なことじゃなかったし、僕には無理だった。


ニーチェの考えでは、世の中の出来事はすべて無価値だとした。実は、僕もそういう風に考えることがときどきあった。けれど、それだけでは全然前に進まない。「大いなる正午」を感じていたのかもしれない。
そして、僕はどうしたか。考えないことにしたのだ。ただ、自分のできること、楽しいことに目を向けて、背けていた。なにがしかの努力をすることで成長し、それだけで片付けていた。


今回の、この本で学んだのは、その先だ。「世の中のことすべてをまず肯定する」そして「自分を愛する」。「力への意思」にあらがうことなく生きる。そして、自分を愛し、行動し、起きた結果について悲嘆しせず「肯定する」。


これまで、努力した結果、上手くいかなかったときは、自分に能力がないんだと納得していた気がする。それで悲嘆することを避けていたのだ。


おそらく、僕が思うに、ニーチェの考えが支持される理由は「欲望のままに生きることがいいんだ」的な解釈をされるからではないかと思うのだけど、世の中の出来事を「肯定する」ことがニーチェの考えの出発であり、一番難しいところではないかと思う。