分裂勘違い君劇場 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2006-12-27

さっさと次へ行こう。もう日本という物語は終わったのです。 18:41 さっさと次へ行こう。もう日本という物語は終わったのです。を含むブックマーク さっさと次へ行こう。もう日本という物語は終わったのです。のブックマークコメント


賃金の安い中国人やインド人との競争のせいで、日本人の賃金が下がってるなんて、ウソなんだ。


そもそも、国際競争によって賃金が下がるなんて、あり得ないんだ。

どんなに中国人やインド人が安い賃金で激しく働こうが、そんなことには関係なく、日本人の労働の価値自体は、変わらない。


サンマを一箱分、築地から目黒まで運ぶ労働の価値は、30年前と今でなんの変わりもない。100年前も変わらないし、100年後にも変わらない。貿易をしても、競争をしても、イノベーションが起きても、変わらない。

イノベーションによって日本人の労働の価値は常に上昇しているし、国際貿易をして、お互いが豊かになることはあっても、競争のせいで生活が貧しくなるなんてことはあり得ないんだ。


だから、同じ労働に対して支払われる賃金も変わることはない。

グローバリズムそれ自体のせいで、賃金が下がったり労働条件が悪化していくなんて、あり得ないんだ。

支払われる金額や待遇が変わったとすれば、それは単に、物価の変動に過ぎないんだ。


そう、変わったのは、実は、労働者の賃金でも労働条件でもなく、モノの価値の方なんだ。

値札に書かれた数字が変わらないまま、みんなの気がつかないところで、物価だけが凄い速度で上昇していったんだ。

価格は変わらないまま、価値だけが急激に上昇していったんだ。

その結果、見かけ上、労働者の賃金が下がり、サービス残業が増え、労働条件が悪化しているように見えるだけなんだ。

貨幣制度が目くらましになって、それが見えなくなっているだけなんだ。

金額や価格などという、見かけに惑わされちゃいけない。


なんで、モノの価値が上昇したかというと、モノの量が減ったからだ。

なんでモノの量が減ったかというと、人間の数が増えたからだ。

もっと正確に言うと、人間らしい暮らしをする人間の数が、爆発的に増えたからだ。

中国や、インドや、ベトナムや、ロシアや、ブラジルで、人間らしい暮らしをする人間の数が、今、この瞬間も、とてつもない勢いで増え続けているからだ。

いままでにない巨大な人口が、ガソリンを消費し、鉄を消費し、魚を食べているからだ。

人間らしい暮らしをするのに必要なモノの供給量はそれほど変わらないのに、人間らしい暮らしをする人間の数だけ爆発的に増えたものだから、人間らしい暮らしをする人間一人あたりに割り当てられるモノの量が劇的に減少したのだ。


だから、同じ価値の労働を提供しても、それと交換できるモノの量は、当然減る。

おやつの量は変わらないのに、兄弟の数が二倍に増えれば、一人が食べられるおやつの量は半分になる。

単純な算数だ。


そういう状況で、いままでと同じだけのモノを手に入れ続けようとすれば、当然のことながら、今までよりも、多くの価値を生み出す労働をしなければならない。


そして、より多くの価値を提供するためにとれる手段は、職種によって大きく異なる。

デザイナーなら、いままでよりも洗練されたデザインを生み出せるスキルとセンスを身につける。

プログラマーならより生産性の高い言語やライブラリや開発手法の使い方を覚える。

営業なら、より深く顧客のニーズをくみ上げ、よりきめの細かい営業提案をする。


しかし、単純労働者(unskilled worker)の場合、今までよりも多くの価値を生み出す労働をするには、ひたすら長時間、激しく働くしかない。そうしないと、どんどん生活水準は落ちていく。

子供の教育にもお金をかけられないから、単純労働者が拡大再生産される。


ある程度年を取ってから、単純労働者に転落したら、現在の生活水準を維持しようとする限り、自力ではそこから脱出できなくなる。


企業内のいじめも、パワハラも、サービス残業も、モノの価値の上昇に端を発する。

企業は、今までと同じだけのモノを手に入れるために、いままでよりもはるかに多くの価値を支払わなければならない。

今までと同じだけのモノを手に入れられる賃金を労働者に支払う見返りには、今までと同じ額面の賃金で、いままよりもずっと価値のある労働をしてもらわないと、割に合わない。


20年前と同じ給料を受け取り、20年前と同じ生活水準を保てている労働者は、実質的には、20年前よりもはるかに価値のある労働を提供しているか、もしくは、同じ価値の労働しか提供していないのに、はるかに多くの賃金を不正に受け取っているかの、どちらかだ。


だから、今、大企業の正社員であるという理由だけで、年収500万円受け取って、年収500万円の暮らしをしている労働者の暮らしは、もしかしたら、砂上の楼閣かもしれないのだ。20年前に、年収500万円を受け取っていた労働者と同じだけの価値のある労働をしているとすれば、本当は300万円の報酬しか受け取る資格はないかもしれないのだ。

それは、労働の価値が下がったためではない。モノの価値が上がったためなのだ。

同じ労働と交換できるモノが、かつては500万円分あったのに対し、いまでは300万円分になったと言うことなのだ。


だから、今、年収500万円の人が、年収500万円の暮らしをするのは危険だ。

そんな暮らしが長続きする保証は、どこにもないからだ。

年収300万円の暮らしをし、余った200万円は、貯金すべきかもしれないのだ。

その200万円は、本来の意味で、労働の対価ではないかもしれず、一時的なあぶく銭かもしれないのだ。

そんなあぶく銭が今後も手に入り続けることを前提に生活設計するのは、たまたま宝くじに当たったからと言って、来年も宝くじに当たることを前提に、生活設計するようなものかもしれないのだ。


もう、日本という物語は、終わったのだ。

いま、トヨタは、恐るべきスピードで、次々と、世界中に工場を建設している。

そして、日本の熟練工を世界中に派遣して、現地の人々に、技術を伝承している。

さらに、最近では、もはや、外国人の熟練工が、外国人の熟練工を育て始めている。

ゆくゆくは、だんだん日本人でなくてはならない必要性が薄れていくだろう。

いまや、トヨタは、急速に日本への依存度を弱めてきているのだ。


そして、これは、トヨタに限ったことではない。

もはや、日本の経済力を支えている企業は、植物ではない。

日本という土地から動くことのできない木や草ではない。

もはや、どこの国へでも行ける、動物になりつつあるのだ。

こういう中で、企業に増税を課せば、次に建てる工場を、どこの国にするか、という経営会議で、どんな意志決定が下されるかは、だいたい想像がつくだろう。

企業に増税したくても、増税できない状況に政府が追い込まれている、というのは、そういうことなのだ。


もちろん、今すぐに、という話ではない。

日本が今まで営々と築き上げてきた産業集積があるからだ。

しかし、その残照が続くのは、もはや、そう長いことではない。

世界中に張り巡らされていくインターネット回線は、発展途上国に、英語圏の産業集積へのアクセスを、ますます容易にしている。

それによって、英語圏の産業集積は、ますます価値を増大させ、日本という言語の壁のなかに閉じこめられた日本の産業集積の力は、相対的に衰退していく。

そして、ますますパワーアップしていく英語圏の産業集積に、より自由にアクセスできるようになった発展途上国の人々と、相対的にますますショボくなっていく日本の産業集積に依存する日本人との落差は縮まっていき、日本人だけ特別のゲタをはかせては、もらえなくなっていく。


確かに、いまの労働環境は、酷い。福祉政策もひどい。改善しなければならないところは山ほどある。

一刻も早く、窮地にいる人々を救うべく、具体的な効果のある政策を打ち出さねばならない。


しかし、一方で、こういう風に、世界が音を立てて変化していくとき、いくら声高に、企業を非難し、

最低賃金を引き上げる法律を作り、同じ賃金のまま労働時間を短くするよう規制を作り、

コストのかかる正社員の数を増やすように要求し、

生活保護手当の支給基準をゆるめ、また、支給金額を増やせと、政府に訴えたところで、

歴史の歯車が逆回転し出すのだろうか?


そんなふうに企業に規制をかければ、日本の経済力を支えている企業は、

新規採用も、新規工場も、新規出店も、極力、日本ではなく、

外国で行うようにするだけだ。

要するに、日本から、どんどん雇用が失われていくだけだ。

企業からの税収も減り、ますます福祉予算が枯渇して、生活保護手当基準が厳しく

なっていくだけだ。


もう、映画は終わったのだ。いつまでも、未練たらしくエンドロールを眺め続けてもしょうがない。

いまはまだ十分すぎるほど暖かいけれども、映画館の暖房は切られ、館内の隅の方ではすでに冷気が忍び寄ってきている。

外には、木枯らしが吹き荒れているが、まだ日は明るい。

完全に日が沈み、凍てつく夜が訪れる前に、今夜の暖をとれるねぐらを見つけにいかなきゃならない。


ぶっちゃけ、いまの生活水準は、幻影なのだ。

一人あたりのモノの割り当てが半分になったら、生活の全てを、半分にしなきゃならないのだ。


もちろん、全てのモノが半分になったわけじゃない。

人間らしい暮らしをする人間の数の増加以上に、急激に供給量が増大しているものもある。

また、人間自身の労働によって生み出されるモノやサービスは、人間の増大に比例して増えていくから、問題はない。

しかし、石油にしろ、レアメタルにしろ、魚にしろ、供給量がさほど増えてないモノは、あまりにも多いのだ。


もっと正確に言うと、

(1)供給が制約されてしまうもの

(2)供給を制約することができるもの

の一人当たりの割り当てが減っているのだ。

このうち、(1)は、石油とかレアメタルみたいなヤツだ。

そして、(2)の「供給を制約することができるもの」とは、ネットワーク外部性や特許やブランドによって、「独占」することのできるものだ。

つまり、ウィンドウズとかワードとかエクセルとかインテルCPUとかイーベイとか、タミフルとか、プロザックとか、ゲノム創薬とかルイヴィトンとかナイキとかだ。

この2つのものの、相対的な価値がどんどん上昇しているので、労働の相対的な価値が、どんどん低下しているのだ。

労働の絶対的な価値は、少しも変わってないのに。


結局、国際貿易は、ババ抜きゲームなのだ。

確かに、貿易することによって、豊かになることはあっても、貧しくなることなんて、原理的にあり得ない。

しかし、いままでずっと貿易によって安価に手に入れることができていたものが、供給が制約されることによって、

安価に手に入れられなくなると、貿易によって豊かになっていた生活は、急速に貧しくなっていく。

そのとき、貧しくならずに、逆に豊かになっていくのは、供給が制約されているモノを手にしている人々だ。

すなわち、石油や、レアメタルや、ウィンドウズや、インテルCPUや、タミフルを牛耳っている人々だ。

何も牛耳れなかった人たちは、ババを引いたのだ。


しかし、だからといって、マイクロソフトやナイキだのの独占企業に就職すれば、

経済的に豊かな人生が保証されるなんてことは無い。

供給が制約される/できるものを牛耳っているのは、その会社の所有者であって、

その会社の社員ではないからだ。

むしろ、ナイキの海外工場では、幼い子供たちが、不衛生な工場の中に閉じこめられ、奴隷のようにでたらめな低賃金で、体をこわすほどの長時間働かされている。

供給が制約されているモノをなにも牛耳っていない普通の人々は、ババを引いてしまったのだ。

僕たちは、そろそろ、自分がババを引いてしまったという現実に、気がつかなきゃならないのだ。


だから、今は、多くのモノを、諦めるべき時なのだ。

もっと生活規模を縮小すべきなのだ。

もっと安い家賃の部屋に引っ越そう。できれば、ショップ99の近所に。

新刊なんか買わずに、ブックオフで十分だ。図書館で十分だ。ネットの無料コンテンツで十分だ。

高価な服やバッグやアクセサリーをほしがる女の子とはさっさと手を切ろう。

海外の安宿を泊まり歩くバックパッキングでも、一食30円の屋台のタコスでも、現地の人たちに混じって、陽気に楽しめる気だてのよい女の子とつきあおう。おしゃれな服なんていらない。穴の開いたジーンズをはいて、薄汚れたリュックサックを背負って、化粧もせずに、ブラブラすればいいじゃないか。

伴侶とも、子供たちとも、貧乏暮らしを楽しもう。


高いレストランで食事をするのもやめだ。

おいしいものを食べたければ、自分たちで、おいしい料理を工夫しよう。

ちょっとした工夫で、驚くほど簡単に、安くておいしいものなんて作れちゃうものなのだ。


子供にも、無理にお金をかける必要はない。

高い塾に行かせたり、家庭教師をつけるより、自分で教えよう。子供と一緒に勉強しよう。


サービス残業までして、無理して会社に貢献しても、いつまでも正社員でいられる保証なんてない。

正社員という既得権益の賞味期限は、もう切れかけていることに、気がつかなきゃならない。

ましてや、このまま順調に昇進し続けると思いこむなんて、いつか白馬にまたがった王子様と結ばれることを夢見る少女のようなメンタリティだ。

もう映画は終わって、エンドロールが流れているんだよ。


それよりも、まだぬくもりの残っているうちに、お金とスキルをためよう。

会社の都合で、たくさんのプロジェクトを押しつけられて、疲弊するのはばからしい。

うまく立ち回って、つまらないプロジェクトからは、逃げ回り、スジのいい一つのプロジェクトだけに専念しよう。

そこでじっくりと納得のいくまでいい仕事をし、自分のスキルを磨き上げ、顧客やエンドユーザの喜ぶ顔を見よう。

それが、明日へつながる。


その会社じゃなくっても、どこでも生きていけるすべを育て上げるのだ。

もはや会社なんて、自分のスキルを獲得し、自分のブランドを構築するためのツールでしかない。

会社に貢献して出世する、という人生モデルは、とっくに終焉しているのだ。


そうしてスキルと人脈をためると同時に、500万円もらって200万円貯金する暮らしを3年続ければ、

貯金も600万円になる。

そうすると、会社との交渉で、優位に立てるのだ。

自分のやりたいプロジェクトを堂々と要求し、スキルのたまらない、くらだないプロジェクトは、

きっぱりと断ることができる。

どうしても、会社がそれを押しつけてくるのなら、さっさと会社を辞めてしまおう。

どうせ、その会社内での地位なんて、そんなに長続きするものじゃない。


そして、いまの自分に最適のポジションを提供してくれる会社をじっくり時間をかけてリサーチし、

自分を上手に売り込むプレゼンテーション資料を、じっくりと時間をかけて作り上げ、

効果的に自分を売り込み、おいしい仕事をゲットしよう。

自分をマーケティングしよう。


何しろ、二年は遊んで暮らせるだけの貯金があるのだ。

交渉の際、足下をみられる心配はない。

十分な余裕を持って、上手に立ち回ることができるはずだ。


要するに、こういう社会状況において、桁違いに有能だというわけでもない一般人がとるべきもっとも効果的な戦略とは、まだ日本の過去の遺産が残っているうちに、その遺産を使ってスキルとお金を貯金し、そのスキルとお金でもって余裕と自由と未来を買う戦略なのだ。

余裕と自由こそが、お金で買える、もっとも価値あるものなのだから


日本の過去の遺産の残照がいつまでも続くという幻想にとらわれたまま、

年収500万円を受け取って、年収500万円の暮らしをしたり、

いつまでも正社員の地位にしがみつくために、無理な仕事を引き受けて、

会社に媚び売って、疲弊するのは、あまり賢い生き方ではない。


それは、いつ突然、ワーキングプアに転落するかも知れない、極めてリスキーな生き方なのだ。


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