50番 藤原義孝の歌 への批評

きみがためおしからざりしいのちさへながくもがなとおもひけるかな

                                 藤原義孝
●この歌に対して、如儡子は、次のように解説している。
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「長くもがな、此もがなを願ひ哉と云て、何をがななどゝ、物をねがひ求る詞。こゝにては命長くあれかしとの願ひ也。先、此哥は、おもふ人に初て逢て、立ち帰り来て読みて遣しけり。
哥の心は、かねて恋こがれ、逢ひ見たくかなしき思ひの切成時は、なにともして責て一度逢ふ事さへ有ならば、二つとなき露の命にかへて成とも、などゝ思ひつめたりしが、兎角し(115オ)て、一夜の契をこめ、余波おしくも泣く泣く立別れきて、とやかくや思ひめぐらせば、いまだ逢ひ見ざりし時のおもひは数ならで、いとゞ恋しくいや増り、はや、けふの夕べも逢ひ見度き心、せんかたもなき涙の渕に臥し沈みて、いつしかしぬべきと思ひし命もおしく成て、いつまでも命永くあれかし、難面きいのちながらへたればこそ、一度のあふせも有つる物をと、思ひかへし侍る内に、いやはや此後は盟りかはらず、諸ともにいつまでもと、ねがふ心もこもれり。(115ウ)」
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この解説について、島津忠夫氏は『新版 百人一首』(角川文庫)で、「独特のゆきとどいた美しい解釈がある。」と述べておられる。

●小学校の時の恩師、赤井須磨子先生のように、この如儡子の注釈書が、読んでもらえるようになるのは、50年後か、100年後だろう。
■島津忠夫氏『新版 百人一首』(角川文庫)