偽日記@はてな

2016-09-25

●(昨日のつづき)『結婚』(鈴木清順)で陣内孝則は、原田貴和子に求婚する時に「君の子供を妊娠したい」と言う。しかも、これを絶対の決めセリフであるかのように言う。これはどういうことなのか。これを、たんに男女の関係(役割)の転倒だと考えるとあまりおもしろくない。

この映画の原田貴和子は、お嫁さんにしたい女優ナンバーワンの花村華子であり、同時に、化粧を落とした後のタラコ唇の醜い女であり、同時に、下品で奔放な(ほぼ一体化した)四人組の醜い女たちの一員であり、そして彼女たちは冥界と通じているというか、冥界そのものであるような存在だ。原田貴和子(花村華子)は、世界の多層性、多義性、潜在性の塊としての肉の「表面に描かれた顔」であり、それは平面であることで肉そのものとしての厚み=深さをもつ。この映画では多様な世界は地層のように重なっており、カメラの垂直方向への運動は、世界の様々な層への移行であり、異なる存在への変化であり、世界が多層的であることの表現でもある。

一方、原田知世はソリッドな固体であり物体=骨であって、別の層へと移動したり、別様な存在へと変化したりはしない。多層構造である垂直軸を上下することなく、確かな輪郭を保った物体としての同一性をもち、水平方向へとカラカラ、コロコロと転がってゆく。

それ自体としての定まった形態をもたず、常に形を変化させながら、世界の別の様相へと転移してゆく不定形の肉である原田貴和子と、物体としての輪郭を固定させたまま横へと移動する骨としての原田知世の間にいる陣内孝則は、豆腐屋の息子であり、彼は原田貴和子へのプレゼントとしてハート型の木綿豆腐を捧げる。豆腐は、骨のように堅くはないが、肉とは異なり「形」を受け取り、保持することができる。もともと流動的な液体であった豆乳は、「にがり」と「型」によって形を受け取り、形を保持する豆腐となる。

陣内孝則もまた、映画の冒頭では冥界の存在として登場する。その時点で彼は豆乳のような流動的存在であり、世界の様々な層へ、様々な形へと変異可能な潜在的存在であろう。そのような陣内孝則が、原田貴和子に向かって「君の子供を妊娠したい」と言う時、それは、流動的な豆乳である自分が、「君」の多様な形(可能性)のうちの一つの「かたち」を自らの姿として受肉したい(形をもつ豆腐になりたい)と言っている、ということになるのではないか。実際、陣内孝則は、(原田貴和子とほぼ同体といえる)四人の女たちから犯されることで、なにかしらの刻印を刻まれたようにみえる(仕事が入ってくるようになる)。

しかし豆腐は、骨のようには堅くなく、崩れやすく、そして可塑的である。豆腐は、不定形な液体である豆乳と形をもつ豆腐との間を行き来することができる。豆腐(陣内孝則)はいわば、潜在的なものと現動的なものとをたえず交換させるための媒体と言えるのではないか。肉と骨とを交換させることのできる豆腐の可塑性こそが、「斜め方向への移動」を生みだし、それがこの映画のアクションをかたちづくるとはいえないか。

2016-09-24

鈴木清順の『結婚』(93年)を観ることができた(黒川さん、ありがとうございます)。すごい映画だった。

そもそも、セシールが製作する「結婚」をテーマにしたオムニバス映画の一編に鈴木清順浦沢義雄のコンビを入れてくるという企画が何故成立するのかがよく分からない。企画が博報堂となっているのだけど、九十年代のはじめ頃はまだ景気がよかったし、広告代理店もゆるかったということか。鈴木清順を起用するのならば、せめてもう少しおとなしい脚本を書く人と組ませればいいのに、清順+浦沢の相乗効果でとんでもないものになってしまっている。しかしそのおかげで、このような怪作を観ることができるのだ。

(浦沢義雄といえば、ぼくにとっては八十年代の中頃に日曜の朝のテレビでやっていた「東映不思議コメディシリーズ」で、特に『どきんちょネムリン』のインパクトはとても大きかった。とはいえ、当時から浦沢義雄という名前を知っていたわけではなく、後から、あのシリーズは浦沢義雄という人が主に脚本を書いていたということを知ったのだけど。)

主題的には、原田貴和子の(つくられた)タラコ唇と、原田知世の(ナチュラルな)立派な歯並びという対比があるように思った。原田知世の歯並びの立派さはこの映画でとても印象的だし、彼女が歯科技工士の役をやっていることから、それは意識的な配役なのだと思う。やわらかくて湿ったもの(肉)と堅くて乾いたもの(骨)の対比は、『ツィゴイネルワイゼン』でも大谷直子大楠道代の対比という形であった。ここではそれが、原田貴和子の白塗りされた平面的な顔と、原田知世の頭蓋骨の形を容易に想起させる(彫りが深いというのとは異なる)立体的な顔との対比という形にもなっている。

それと、何より特徴的なのは、スタジオに組まれた巨大なセットによって可能になるカメラの上下方向への移動だろう。垂直方向の運動によって、主に世界の階層や様相の変化、バリエーションの違いが示されて、それは平面的で様々に「書き換え可能」な原田貴和子の顔に対応する。平面的な顔こそが「肉」であり「深さ」を顕現させるというのが面白い。それに対してソリッドな立体である原田知世は、垂直方向の運動とは無縁の場所に置かれている。原田知世は、新幹線のなかにいたり、田舎のあぜ道をスキップしたりして、水平方向の運動を担う。陣内孝則が彼女に会いにゆく場面では、階段もエレベーターも示されない。結婚式場でのベンガルとの追いかけっこも水平的だ。対して、四人の女たちから犯された陣内孝則が、原田貴和子の部屋へと上ってゆくエレベーターの上昇はとても印象的だ。

この映画ではじめて陣内孝則をすばらしいと思った。徹底してニュアンスのない、一本調子の、空気を読まない、躁的な演技とアクションが、原田貴和子的な、平面-肉-垂直運動的な世界と、原田知世的な、立体-骨-水平運動的な世界を媒介し、行き来する。この一種の「空元気」が、肉にも骨にも着地しない、複雑で縦横無尽な運動を可能にしているように思った。肉でも骨でもないものとしての「豆腐」。

様々な清順的な要素が集約され、それらが有機的・無期的なアクションによってなめらかにつながれている、怪作にして快作であるこの映画が、なかなか観ることのできない状態になっているのは、何とも惜しいと思う。いや、面白かった。

2016-09-23

ポレポレ東中野に『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』(黒川幸則)を観にいった。劇場で詩人佐藤雄一さんと会った。佐藤さんはこの映画にすっかりハマったようで、ポレポレで上映されている七日間で五回観に来たと言っていた。他にもリピーターは多いようで、そういう映画なのだと思う。ぼくもスクリーンで観るのは三回目だ。

最後のあいさつで監督が、「この映画を観客として観てみたかった」と言っていた。そうか、この映画をつくった人である黒川さんは「観客」としてはこの映画を観られないのか、と気づき、せっかくこんなに面白い映画をつくったのに、それはちょっと気の毒かなあと思った。

●帰ってきたら、それまで何の問題もなく使えていたキーボードの「E」と「T」と「1」と「2」のキーが、何故かいきなり全く反応しなくなってしまっていた。なので、この文章をとても苦労して書いている。

2016-09-22

VHSでリヴェットの『パリでかくれんぼ』(95年)。三日連続で深夜にVHSで観るリヴェット。楽しかった。ちょうど、七十年代、八十年代、九十年代の作品を順番に観たことになる。呪われた映画作家の代表だったリヴェットが、九十年代になると「かわいい女の子が出てくるオシャレなフランス映画(でもちょっと長いよ)」的な感じで、日本でも普通に公開されるようになる。この映画も、製作された翌年には日本で公開されて、その時には映画館に観に行った。アンナ・カリ―ナが出ていて、それも予想通りというか期待通りの歳のとり方をしていて、おおっ、という感じだったのだけど、それももう二十年前のことなのか。

ハードコアで、ごく一部の限られた人しかリヴェットについて語ることができない(そもそも日本ではその作品を観ることができない、おそらくフランスでもそう簡単には観られない)という環境が『美しき諍い女』(91年)によって一変する。カンヌのグランプリというのは当時はまだ社会的にもそれくらいにインパクトが大きかった。でも、それだけじゃなく、やはり『彼女たちの舞台』(89年)と『パリでかくれんぼ』とでは(勿論、連続性はあるけど)かなり大きな違いがある。『美しき諍い女』はその転換点となっているように思う。

同じような時期に、同じような転換点がヴェンダースにもあった。『ベルリン・天使の詩』(87年)以前と以後とでは作風が変わったし、この映画はコアな映画好き以外の人にもひろく受け入れられた。しかし、ヴェンダースは九十年代に入って急速に面白くなくなる。物語を積極的に語り始めたとたんに、すごく凡庸な感じになってしまった。でもリヴェットはそうはならなくて、かつての過激さは表面からは退潮し、ずいぶんとマイルドになり軽やかになって「受け入れられやすい作風」になったとはいえ、リヴェットはリヴェットだと言える映画をつくりつづけたとも言える。

『パリでかくれんぼ』では、なんちゃってミュージカルのようなことをやっていて、こんなのゴダールが六十年代に散々やってることじゃん、とも言えるのだけど、ゴダールは「映画が映画を模倣する」みたいなところから出発しているけど、リヴェットはそうじゃくて、演じること、遊戯すること、試みること、反復することといった主題を延々と展開していて、それがここまできてようやくミュージカルという社会的に認知された「形式」と結びついたということだと思う。ゴダールははじめからポップで、「形」から入るようなところもある気がするけど、リヴェットのポップではない実践が、九十年代入ってようやくそういうものと折り合いがつけられるようになったということだろうか。リヴェットのポップ化というかオシャレ化は、無理やりやっているのではなく、リヴェット的な試みの展開の先にあらわれたもので、だから九十年代の転換も必然的なものだと言えるのだと思う。

(あとリヴェットは、具体的に誰と---どんな女優と---仕事をするのかによってもけっこう変わるのかもしれない。一緒に仕事をする女優の世代が変わったということも大きいのかもしれない。)

2016-09-21

●昨日につづいて、VHSでリヴェットの『嵐が丘』(85年)を観た。おそらく、レナート・ベルタの繊細な撮影を台無しにするかのような画質であろうと思われるが、それでもすばらしかった。『地に堕ちた愛』(84年)と『彼女たちの舞台』(89年)の間に、このような端正な古典小説の翻案を撮るのか、と。

嵐が丘』というと、ヨークシャー地方の荒々しい自然を背景にした、荒々しい人たちのドロドロした話なのだけど、この映画では、(主要な四人は特に)線の細い、育ちの良さそうな、そして幼さの残る感じの俳優が演じている。ヒースクリフ(この映画ではロックと呼ばれている)役の人でさえ、「あどけなさが残る」と形容してもいい感じだ。

だから、後半のドロドロした展開になると特にそうなのだけど、物語のリアルなたちあがりというよりも、それがあくまで「演じられた」ものだという感じが常にある。この映画が『地に堕ちた愛』と『彼女たちの舞台』の間にあるということを考えても、それは意識的なものだと思われる。

映画によってヒースクリフという存在がたちあがるというよりは、ヒースクリフを演じている俳優を撮影する。あるいは、物語を演じているということを撮影する。南フランスに実在する風景や建物を舞台として、俳優が『嵐が丘』という物語を上演している。

ヒースクリフを演じる俳優は、ヒースクリフでもなく、俳優自身でもなく、ヒースクリフを演じる媒介のようなものになっていて、その「媒介」を捉えたいのかなあ、と。

そこで、演技の「(動きとしての)かたち」がとても重要になってくると思う。「かたち」としての演技があり、その「かたち」を可能にする、演技をする俳優の身体があり、その、人体がつくり出す動きの「かたち」に沿うようにして、映画としての空間が開かれてゆく。

舞台となる現実の空間があるからこそ、そこから演技の「かたち」が導かれ、そこで導かれた俳優の演技の「かたち」によって、現実の空間が映画としての空間へと変換されてゆく。そして、映画としての空間は、時間のなかでたちあがってくる。

物語は何度も上演される。上演の度に、舞台を変え、人物を変えて。そして物語は、上演される度に、その都度異なる空間と時間をたちあげる。しかしそれらは皆、『嵐が丘』と名付け得る。そのような映画として観た。

●前に観たときも同じようなことを感じたと、今回観て思い出したのだけど、この映画のラストには、なにかすごく強烈な印象を受ける。なぜか分からないけど、強烈に胸がざわつくラストだ。