偽日記@はてな

2016-07-25

●今日の風景。



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アトリエから。穴の空いた絵画(千切った折り紙の貼りあわせによる)。



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2016-07-24

アトリエから。穴の空いた絵画(千切った折り紙の貼りあわせによる)。

(1)絵が、支持体に依らずに複数のピースの貼りあわせによって出来ている。支持体が前提とされない。(2)しかし、ピースは紙なので、貼りあわせても平面として現れる。(3)平面であっても、貼りあわせたものなので(絵の具で描かれたものよりもはっきりと)層構造=前後関係を正確に見てとることが出来る。(4)物質としての層構造(ある意味、彫刻的構造)と、現われ(イリュージョン)としての画面=平面の構造は別である。



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2016-07-23

●『ガールズ&パンツァー 劇場版』をDVDで観たけど、これは面白かった。評判なのも納得。二時間の映画で、そのうち一時間半は戦車バトルで、箸休め的にゆるふわのドラマ部分が三十分だけあるというつくりが、「ガルパン」という作品のベストなバランスであるように思った。そして、戦車バトルが相当がっつりと作り込まれている。一度観ただけで面白く、おそらく何度も繰り返し見ても面白いだろうと思われる。戦車の重さ、鉄でできているという感じ、動く時の振動、実弾を撃った時の衝撃、当たった時の衝撃などが、高度な臨場感をもち、リアルだと感じられるように(実際に戦車同士がバトルしている現場の経験などないから、ほんとにリアルかどうかは分からない)表現されていて、ただ、それを観ているだけで充分に面白い。そして、バトルの展開も練り込まれている。あー、よくできてるなあと思った。

ガルパン」という作品は、女子高生たちが戦車に乗って戦う話だけど(劇場版には女子大生も出てくるが)、いわゆる戦闘美少女モノと違って、戦いは「戦車道」という、華道茶道のような「お嬢様のたしなみ」のようなものとされていて、激しい戦いが繰り広げられながらも、誰も死なないどころか、ほとんど怪我さえしないという、まったく現実感のない設定となっている。かなり多くのキャラクターが登場するが、彼女たちは皆、紋切り型であり、識別可能であるための徴以上の深みをもたず、そして全員善人だ(善人じゃないのは文科省の役人だけ)。本編には、スポ根モノのように、上手くなるために努力する場面もあったけど、劇場版では彼女たちは既に完成した戦車道のチームだから、高い臨場感の戦車バトルのシーンと、現実感のない、女子高生の日常的なゆるふわシーンだけで出来ている。いや、バトルの場面の基調にあるのも(彼女たちは決して死なないのだし、敵とは、別に敵対関係にあるわけでもないのだから)戦車や弾丸のハードなテクスチャ以外はゆるふわだ。一応、学園の存続を賭けて戦うという理由づけはあるものの、彼女たちに切迫した感じはほとんどない。あるいは、彼女たちを観る観客は、まったく彼女たちの切迫性を背負う必要がないようになっている(物語に、理由づけ以上の重さがないから)。

非現実的な、美少女キャラのゆるふわ日常を描くアニメはいくらでもあるし、高い臨場感をもったバトルが売りのアニメもいくらでもある。しかし、この二つを「戦車道」という強引な設定で結びつけることで、切迫性や、悲壮感や、悲劇性や、血と死の匂いや、暴力性や、政治や策略、といった現実的な生臭さをまったく感じさせないまま、ただ、表現のテクスチャとしてのバトルの臨場感(戦車という「物」のリアリティ)だけをつよく押し出すことが可能となったというのが、「ガルパン」という作品の新しさだと思う。ゆるふわで、摩擦や深刻さのほとんどない世界で(いわば、夕涼みの場で行われる素人将棋を後ろで見ているような気楽さで)、ただ表現のテクスチャの精度とバトルの展開のバリエーションだけが高度に進化してゆく、というような。完全に無害化された上で、高解像度で経験される戦闘の臨場感。

(この感じは、もしかするとゲームに近いのかもしれないが、ゲームと違って、観客にはプレーヤーの能動性がないので---プレーヤーはキャラたちなので---プレーヤーとしての切迫感によって世界と結びつくのではなく、キャラたち、あるいはゆるふわ的世界への愛好と、テクスチャの感覚によって作品世界と結びつくので、世界への没入のあり様が違っているのではないかと思う。)

実際、この作品は物語がまったく面白くない(物語が問題であるというわけではない)。戦車道の家元の娘である主人公が、戦車道をやめたい一心で遠くの学校に転校してきたのに、結局そこでも戦車道をやることになってしまうという、この作品で最も起伏の激しい物語が語られる本編の序盤部分が、この作品のなかで最も面白くないと思う(テレビ放送時、ぼくは二話までで観るのを止めてしまった)。非現実的なゆるふわ日常のなかで、キャラたちの人柄を表現するエピソード以外の物語は、この作品においては設定の説明でしかないように思う。キャラの人柄の描写が必要なのは、作品の基調であるゆるふわな空気をつくるためであるのと同時に、それがバトルシーンの展開のバリエーションとして効いてくるから。「劇場版」の場合は、本編によって既に描写されたキャラたちが多いので、物語的な部分をかなり圧縮できたのは大きいと思う。とはいえ、これ以上短いと「ガルパン」の世界の空気がつくれないと思われ、このバランスは、とてもいいと思った。

(あと、能登麻美子が声をあてているキャラが、あまりにもスナフキンなのが可笑しかった。)

2016-07-22

●noteで、「わたしは知りたかった/柴崎友香ドリーマーズ』論 (2)」を公開しています。

https://note.mu/furuyatoshihiro

●VR(仮想現実)およびAR(拡張現実)の形式には、(1)虚構没入型(2)虚実一体型(3)多重フレーム型があって、アニメでいうと、それぞれ(1)『ソードアート・オンライン』(2)『電脳コイル』(3)『ロボティクス・ノーツ』が当てはまる。「ポケモンGO」は、(2)の『電脳コイル』型ではなくて、(3)の『ロボティクス・ノーツ』型というべきだろうと思う。

(「ポケコン」というほぼスマホと言えるデバイスで、「居ル夫。」というアプリを使い、種子島中に点在している「君島レポート」を探すという「ロボティクス…」のエピソードは、「ポケモンGO」にかなり近い。)

(1)は、普通にVRと呼ばれているもので、(2)は、今のところSR(代替現実)の技術が「電脳…」の世界に近いと思う。あるいは。プロジェクションマッピングなどのARも、(2)の一種だろう。そして、(3)には、「INGRESS」とか「ポケモンGo」というナイアンティックがつくったゲームが当てはまる。(3)は、フィクションの題材としては一番地味だけど、(モダニズム育ちとしては)最も興味深い形式のように思われる。

(注・ぼくはガラケーなので実際にプレイはしてません。)

●動画「人工知能が変える3年後の未来」(北野宏明、松尾豊、守本正宏、牧野正幸)。すごく面白いと同時に、すごくヤバい。10年後とか30年後とか、シンギュラリティとか「ターミネーター」とかの話でなく、たった3年後の話だというのがリアルにヤバい。

https://www.youtube.com/watch?v=Ti8c6yfF_Yw

大人AIと子供のAI。もともとAIは、高度な専門知識やそれによる判断においては早い時期から人間を超えていた(大人AI)。しかし、物や状況を認識するとか、積木を組み立てるとか、そういう、人間なら子供でも出来るようなことが、いつまでたっても出来るようにならなかった。しかし、ディープラーニングによって「認識すること」が可能になった(子供のAIの誕生)。それにより、知識においては人間の専門家を超える能力を持ち、認識においては人間並みの能力をもち、そして、行動学習においてはサル程度の能力をもつような、ロボットAIが、ビジネスの現場でも使われるようになるだろう、と。それによりたとえば、ピッキング、部屋の片づけ、調理、のようなことまで、ロボットAIが出来るようになる。行動学習が出来るので、農業や建設業の現場にもロボットAIが入っていける。

(ルンバは、ホコリを取り除くことは出来ても、部屋を片付けることが出来ない。故に、ルンバを動かすためにその前に自分で部屋を片付けなければならない、という問題が発生してしまう。しかし、それが解決されるだろう、と。)

でも、それって、ほとんどの人間は「労働力」としてロボットAIにはもう勝てないってことではないかと思う。遠い将来ではなく、下手をすれば3年後にはそういう状況になる、と。そうなると、単純にコストの問題になって、人間を雇うのと、ロボットAI業者からレンタルするのと、どちらのコストが低いのかという争いになる。そして、ロボットAIの値段は、技術進歩と普及による量産で、確実に下がってゆく。人間は、職を失いたくなければ、低い賃金や悪い労働環境を受け入れるしかなくなる、のではないか。

アトリエから。穴の空いた絵画・光沢バージョン(千切った折り紙の貼りあわせによる)。



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2016-07-21

アトリエから。穴の空いた絵画(千切った折り紙の貼りあわせによる)。



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アトリエ風景。



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