偽日記@はてな

2017-09-23

●「ピングドラム」についての原稿を書いていると、だんだん高揚してきて、頭のなかに「ピングドラム」でクライマックスの場面にかかる、らーら、らーらーらーらーらー、という音楽が鳴り響くようになる。原稿を書いていて、ここまで高揚することはあまりないのだけど、これは、いいことなのか、悪い事なのか。

一年半ちかくつづいた連載の最後だということもあるのだろうけど。とはいえ、作品考察としては最後だけど、本にするときには、フィクションについての一般的な考えというか、まとめ的な章が最後にあった方がいいかとも思った。

●日曜までは原稿でいっぱいいっぱいだけど、来週は展覧会をいくつか観たい。

2017-09-22

●「ピングドラム」について原稿を書いているので、毎日、四〜五話分くらい確認のため観かえすのだけど(同じ回を何度も観ることも)、特に終盤の、この物語の複雑さには観るたびに驚かされる。この複雑さを、できるだけ縮減しないで、できるだけ簡潔に短い言葉で再現することを考える。図を使って説明することも。でも、これは物語だから、無時間的な構造に還元し切るのではなく、時間展開も考慮しつつ、それをしなければいけない。たとえば、構造Aが、どのような動因によって構造Bへと変化し、それがどのような意味をもつのか、という感じで。

2017-09-21

気候がよくなってきたせいか、ついつい寝過ごしてしまう。夢をみながら、なんかこの夢だらだらつづくなあと思って、目が覚めるとたいへんな時間になっていてあせる。死んだおばあちゃんが夢に出てきて、この話をお前にぜひしてやろうと思っていたと言って「時間水」の話をするのだけど、その話があまりに長くて面白くないので、罪悪感をもちつつも、ちょっと時間がないからまた今度と遮ってしまうとか、喫茶店にいて、他に客はいないのだけど、テーブルの上に何粒がゴマが落ちていて、それを指で弾いてテーブルの外まで飛ばす、するとまたゴマがあって、それも指で飛ばす、それを何度も繰り返しているうちに、床がゴマだらけになってしまう、よく見ると、ゴマだけではなく、ごく小さい石膏で出来た立方体三角錐も混じっている、とか、本当にどうでもいい夢が次から次へとやってくる。

2017-09-20

●散歩している時になんとなく思い出した。昔、台所は「お勝手」と呼ばれていた。建てかえる前の実家では、お勝手の脇に勝手口がついていた(そういえば、今の実家にも、キッチンの脇に勝手口的なドアがある)。軽トラで流している酒屋の御用聞きの人が「こんちはーっ」とやってきて、お勝手で働く母や祖母に注文を聞く。ビールとかジュース、醤油やみりんの類は、酒屋の御用聞きが家まで届けてくれていた。勝手口の外には、ビールケースが置いてあって、飲み終わった空の瓶をそこに入れておくと、御用聞きが回収していく。これらの会計は、月末にまとめてなされた。

(この御用聞きシステムが、何時頃までつづいたのかは憶えていないが、ぼくが中学生になるくらいの頃には、もうなかったような気がする。「サザエさん」の世界では、21世紀になっても御用聞きが勝手口から勝手に入ってきていたけど、今でもまだそうなのだろうか。)

ビンはリサイクル品なので返すとお金になる。子供の頃、飲み終わって空になったビンを酒屋に持っていくと、ビン代として5円とか10円とかもらえた。空ビンを二、三本みつけて酒屋にもっていけば、駄菓子屋で一番安いガムが買えた。

前の実家では、勝手口の三和土に風呂釜が置かれていた。さすがに薪ではなくプロパンガスだけど。風呂の火は勝手口で点けられる。風呂に入っていて湯がぬるい時、風呂のなかから「燃してーっ」と大きな声を出すと、お勝手にいる誰かが点火する。熱くなりすぎると「消してーっ」と言う。風呂と勝手口は壁一枚で隔てられているだけだが、動線的にはぐるっと一回りしないと風呂場から勝手口には行かれない。お勝手に誰もいないとけっこう大変。

2017-09-19

●『建築と日常』の長島さんと、qpさんと三人で、石上純也設計の神奈川工科大学KAIT工房と、アミューあつぎ屋内広場solaを見学した。

KAIT工房では、ガラス張りの広いワンフロアを、森の木々のようにランダムに配置されている(ように見える)三百本以上の細い柱がゆるく分節化しているというか、空間の濃淡のようなものをつくっていて、ある程度それに沿うような形で、モノづくりのための様々な工具が配置されている。平べったかったり、四角かったり、一本一本ことなる形状の柱は、みんな細くて、白く着色されていることから、構造を支えているという感じは希薄で、むしろ上から降ってくる光のように感じられる。だから柱は、森を構成する木々というより木漏れ日のようで、木がないのに木漏れ日だけがあるというような、不思議な浮遊感が生じる。

木がないのに木漏れ日だけがあるというような、線が細いというか、建物そのものが自らの存在感を出来得る限り軽くしようと努めている空間のなかに、物を作るための、非常に重量感のある装置や工具、雑駁感を醸し出す段ボール箱やロッカーやブルーシートなどが置かれている。その配置は、ある程度は柱の配置に従う形で行われ、ある程度は使用者の裁量に任せられる形で決定していると思われる。空間的な濃淡の配置や、ある程度の動線は柱の配置がつくり、その空間の具体的な性格づけは、その使用者が行うという感じなのだろう。

天上の高さは、通常のフロアより高めだが、特に「高さ」を強調するほどに高くはなくて、ワンフロアの広さに対して、圧迫感がないというか、天井の存在をそれぼとく欲感じなくてすむ高さになっているのだと思われる。

全面ガラス張りなので、建物内部にいる時は、建物そのものが外の風景をフレーミングする装置のように働き、外へのひろがりを強く意識させるのだけど、外から見ると(内と外とではどうしても外の方が明るいので、ガラス面は透過的であるというより、ハーフミラーのような状態になる)、閉ざされた水槽のように見える。しかしこの関係は、周囲が暗くなると逆転するのだろうと思われ、そこも面白いかなあ、と。内と外との明るさのバランスによって、内と外との関係の様々な表情があり得るのだろう。

●アミューあつぎ屋内広場solaは、ぼくが子供だったら、ここにきて遊びたいと思うだろうなあ、という空間だった。厚木市は、こういう施設をつくって、えらいなあ、と。


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