問題に気が付けるようになりたい

この日記を書くことを通じて、"問題”に気がつけるようになりたいと思っています。
ではなにが”問題”となるのか。どうやって気づくのか。この2点を考えておきたいと思います。

■なにが”問題”なのか。

この日記で扱う”問題”はヒトが生きていく上のさまざまな問題を扱いたいと思っています。そしてなにが”問題”となるかは、ヒトという動物はどんな性質をもっているのか、ということから考えていくべきだと思っています。

ヒトとは欲求にしたがって行動する動物だと思います。そして、社会を構成する一員として、自分が求めるものを満たすために行動する動物であると思っています。

そのようなヒトが、なにを問題と思うのか。それは、自分の欲求を求める行動を阻害する事柄を問題としてとらえるということだと思います。

たとえば、サラリーマンのAさんの勤める会社が、原油高騰の煽りを受けて従業員の給料を半分にカットしたとします。

この場合、Aさんにとっての問題は、給料が半分になったことです。給料が半分になるということは、基本的な欲求(生理的欲求,安全の欲求など)を今までのような水準に保てなくなることを意味します。

一方で、この会社の経営者のXさんは、社員の給料を半分にすることで自分の給料を今までどおりに保つことができるとします。するとこのXさんの基本的な欲求を阻害する要因はないので、問題は発生していないということになります。

すると、ヒトの欲求の阻害は、そのヒトの社会(この場合は会社)における立場によって異なってくる、ということがわかります。
簡単に言うと、問題はヒトそれぞれ、ということになります。

当たりまえのことなのですが、新聞やテレビなどを見ていると、ヒトって基本的にどんな動物か、どんな立場から見た問題なのか、といったことが案外ないがしろにされている気がしたので(不十分だとは思いますが)こんなことを考えてみました。

ここまでで、この日記で取り扱う問題とはなにか、ついての定義を終えたいと思います。
長くなったので、問題にどうやって気づくのか、ということについては次回述べたいと思います。

ここまで読んでくれてありがとうございます。


※補足:ヒトの欲求とは
ヒトの欲求について簡単に述べましたが、少し掘り下げておきたいと思います。私は、ヒトの欲求を考える際にマズローという心理学者の欲求の段階説が有効なのではないかと思います。<欲求の段階説>
ヒトには生理的欲求,安全の欲求,親和の欲求,自我の欲求,自己実現の欲求があり、この順番でピラミッドの下から上に順番に並んでいる。そしてヒトはある欲求が満たされると、もうひとつ上の欲求を満たすよう欲する。


(Wikimedia Commonsより引用。GNU Free Documentation License.)

これと似たようなヒトの欲求に関する言及が古い中国の故事にあります。
それは”衣食足りて礼節を知る”です。これは”生活に余裕ができて初めて礼儀や節度をわきまえられるようになる”という意味で、ヒトはまず衣食といった生理的欲求、安全の欲求を満たしてはじめて高次欲求を満たすようになる、ということを指摘しているという点で似ているのではないか、と考えています。(これを言った管仲は、紀元前600年ぐらいのヒトです。そんな昔のヒトと、20世紀のヒトが同じようなことに言及しているなんて面白いですね。)

つまり、ヒトに基本的な欲求が存在し、どんなヒトでもこの欲求からは逃れられず、この欲求にしたがって行動する生き物である、といえると思います。