僕らも現場にいた・連休の白馬岳遭難について考える  by やじろう

 【5月11日追記】 5月8日に書いた以下のブログについて、一部訂正します。白馬岳で遭難した北九州の医師ら6人パーティについて、本日付の朝日は現場から回収した4つのリュックから、ダウンジャケット類や下着、ツエルト2張りが回収されたと伝えています。うちツエルトひと張りは使おうとした形跡もあったそうです。従って、以下のブログに書いた「悪天から身を守るツエルト(簡易テント)も持参していなかったという」さらに「6人パーティにツエルトひと張りもないというのはやはり論外だし」の部分はいずれも誤りで、訂正ないし削除しなければなりません。

 そこで追記として2点。まず、せっかく持っていた装備を使う余裕もないほど天候の悪化が急激であったか、そうした最低限の身を守る対応にも難渋するほど疲労困憊してパーティの力が落ちていたか、ないしはその両方が相まってこの事態に立ち至ったことが想定されます。そうなると、ますます気になるのがこのような状況に至るまでのリーダーの判断で、ここから先は結果から推定した懸念と断っておきますが、そもそもこのパーティにはリーダーと呼べる人がいたのかどうか。

 リーダーも曖昧な仲良しグループや寄せ集めグループの登山は珍しくありませんが、その大半が無事に済んでいるのは、実は運が良かったおかげという面もあります。もし、今回のような天候急変など深刻なトラブルに遭遇すれば、強力なリーダーシップを持たないグループはたちまち烏合の衆と化し、撤退などの意志決定ができないまま漫然と機会と時間を喪失、挽回不能な窮地に陥ってしまうケースがままあります。今回の遭難パーティがそうだったと決めつけるわけではありませんが・・・

 次いでもう一点、この国のマスコミはこれほどまでにデタラメだということです。当初の報道でツエルトを持参していないなどを挙げて装備不足を盛んに非難したのは、いったい何を根拠にしていたのか。誰かが憶測で流した情報に、すべてのマスコミが裏付けも取らずに飛びついたのではないか。「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」は巷間に流される噂や伝聞の正体を暴いた名言ですが、これが真実の報道を看板に掲げるメディアの現実の姿なのです。

 今回の遭難報道においてまたも馬脚を現したマスコミのこの無惨なほどの無能さ。原発報道でも見たこの国におけるジャーナリズムの不在は、国民にとり本当に不幸なことだと思います。ともあれ、このいい加減な報道に頼り(実際、アクセスできる情報はそれしかないのですが・・・)、自分もまた間違った内容を書いてしまった点については、前記の通り訂正削除の上、お詫びします。

【以下、元のブログ】
 5月5日深夜をもってついに稼働ゼロとなった日本の原発の今後なども気になるのだけれど、とり急ぎこのゴールデンウイークに多発した山岳遭難の話題。なかでも、白馬岳で北九州市の医師ら6人パーティの全員が死亡した事故は他人事とは思えない。弥次郎たち5人パーティは彼らと全く同一のルートを一日遅れで登る計画だった。

 もともとは連休前日の2日夜に和歌山を発ち、翌3日栂池スキー場のリフトやロープウエイを頼って標高1840mの栂池ヒュッテに宿泊。翌4日夜明けと同時に同ヒュッテを出て、天狗原(2204m)、乗鞍岳(2437m)、白馬大池(2370m)、小蓮華山(2769m)、三国境(2751m)を経由して白馬岳(2933m)に登頂、その直下の白馬山荘に達する予定だった。

 この目論見は出発地が和歌山市だったことと、我々がつぼ足ではなくスキーでの登高だった点を除けば遭難パーティと全く同じだ。登頂の翌日5日がこの山行のクライマックスで、白馬大雪渓から標高差1700mをテレマークで一気呵成に滑降して猿倉(1340m)に下山というプラン。悪天への対応を考慮し連休最終日の6日を予備日に充てていた。

 だが、事務所の引っ越しやらなにやらでリーダーの弥次郎自身がめちゃ忙しくて、栂池ヒュッテに予約の電話を掛けるわずかな時間も取れず、ようやく4月も末になって電話をしたらもう満室で宿泊不能とのつれない返事。予備日が平日の7日になってしまうが、やむを得ず計画を丸一日順延して、まだ空きがあった4日に宿泊の予約を入れたのだった。もし3日に予約が取れていたら、恐らく遭難パーティと同時刻に出発し、前後しながら登っていたはずだ。

 先に書いた栂池から白馬山荘まで夏なら約7時間のルートだが、残雪期はその3割増を見ておきたい。とすると所要約9時間。夜明けの5時にスタートしても白馬山荘着は午後2時になる。よほどの健脚であれば別だが、平均的な登山者の力量でこれより遅い時刻の出発になって少しでもトラブルに見舞われれば、日のあるうちに安全な山荘にたどり着ける保障はない。そして、栂池高原をこの時間に出発するには、そこにあるこの時期唯一の宿、栂池ヒュッテへの前泊が必須であり、同ヒュッテに泊まれなければ我々のように日延べするしかない。

 かくして我がパーティが1日遅れの行程で栂池に入り、スキー場でトレーニングしていた4日午前、ガスが山稜を包み展望は終始きかなかったものの、次第に雲の切れ間から青空が覗く時間帯もあって、その後の回復が期待されたのだが正午頃から再び日は陰り、やがて雨も落ちてきた。そこで我々は早々にチェックインして部屋でくつろいだのだったが、報道された目撃証言によればちょうどその頃、遭難した一行は小蓮華山への登りの途上にあって、リュックを他のメンバーに担いでもらっている人もいたという。

 5時の出発から8時間を経由してなお小蓮華山に到達しないのは余りに遅い。天候は悪化の一途だったはずで、すでに落伍者が出て遭難寸前ではなかったか。目撃証言の主がこの困窮パーティにどう接したかは報道になく腑に落ちない所もあるのだが、ただ、小蓮華山からさらに前進して白馬山荘をめざすか、それとも栂池ヒュッテに引き返すかの判断は微妙だ。

 夏道時間で比較すれば白馬山荘まであとわずか2時間だが、まともに風を受けての厳しい雪稜の登りになる。一方、栂池ヒュッテへは4時間と時間は倍かかるが下りで体力的には楽だ。それに1時間半耐えて下れば主稜線から外れて風圧も緩むだろう。ここはやはり引き返すべき所だったのではないか…

 その夜は猛烈な風になった。間欠的にうなりを上げて吹き付ける風の音で眠れないほどだ。遭難パーティは雪洞を掘るスコップも悪天から身を守るツエルト(簡易テント)も持参していなかったという。翌朝8時頃、6人は小蓮華山から白馬方面へさらに進んだ三国境付近で全員、遺体となって発見された。低体温は思考力も奪っていたのか、漫然と無防備に暴風雪の中を進み無抵抗のまま力尽きた姿だった。

 一方、我々は予定通り4時に起床して出発準備を始めたが強風が弱まるのを待つこととして8時までヒュッテ内で待機、その結果の時間切れで、乗鞍岳までシール登高して来たルートを滑降するのみに止めてこの山行を終わらせた。息を切らせながら雪の斜面をシール登高している間、しばしば上空をかすめたヘリは遺体を運んでいたのかもしれない。 

 さて、メディアは例によって、装備の不十分さ、判断の誤りなどを次々にあげて、この遭難の原因を論じている。だが、装備について言えば、たとえば彼らが夏用の雨合羽を着用していたことをやり玉に挙げて非難しているが、我々だって雨合羽だった。冬山用のヤッケは暖かいが防水機能はない。この時期、怖いのは雪より雨で、下着まで濡れて冷えればたちまち致命的になる。

 両方持参すれば良さそうなものだが、冬用ヤッケはかさばるし重い。荷物が増えればそのぶん確実に行動は遅くなる。速度が死命を制する場合もあるのだ。コトは山の素人の記者が考えるほど単純ではない。雪が降ったときに重ね着する軽いダウンをリュックに忍ばせて雨合羽を着用するなど、安全と軽量化を考えればごく普通の選択ではないか。

 とはいっても、間違いがなければ防げた遭難であったことも事実だ。6人パーティにツエルトひと張りもないというのはやはり論外だし、悪天下で落伍者が出て行動が遅延したときの判断も適切だったとは思えない。だが、山岳遭難が起きるたび、原因をいつもこうしてすべて自己責任に還元してしまうのはいささか問題なのではないか。

 例えば、釣りや海水浴で溺れた事件で同様の自己責任が問われるか。警察などの救助ヘリが出動するたび、税金がいくら係ったなどとイヤミたっぷりに報じられるのは山岳遭難事故だけであって、溺れた人の捜索でヘリが飛ぼうが飛行機が飛ぼうが船が出ようが、それを問題視する報道にはお目にかかったことがない。同じレジャーでの事故、山と海とで一体何ゆえにこれほど扱いが違うのか、明確な理由があれば教えてもらいたい。

 登山が文化的に生きる権利として認められているヨーロッパアルプスなどでは、登山者をトレーニングする公的な機関とプログラムがあり、厳しい山に登る際には事前に登山者の力量や装備のチェックが入念になされるシステムもある。また、いざ遭難となれば救助隊がヘリで直ちに急行する体制も公的に確立されている。山岳遭難事故が起きるたび、全マスコミを挙げてことさらに自己責任を言い募る我がニッポンの風潮には、本来国などが果たすべき責務を免罪する意図が隠されているように思われてならないのだ。