半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

5811 小さなキセキ

今週の水曜日は,久しぶりに家族4人が揃ったので,夕食は居酒屋に行きました。

2人の息子の仕事の関係で4人が揃うことは,なかなか難しいのです。

居酒屋に行った理由は,美味しい焼き鳥と唐揚げが食べたいと思ったからです。

酒を飲まない私と妻はジンジャーエール,2人の息子は生ビールで乾杯しました。

さて,「JAF MATE」(2024年春号)に作家の吉本ばななさんのこんな文が載っていました。

 

〈引用始まり〉

みんながぶじで,たまたま同じ時間に体が空いているのは,現在社会では決して当たり前のことではない。小さな奇跡なのだ。

〈引用終わり〉

 

その通りだなあと,しみじみ思いました。

こんな小さな奇跡をあと何回経験できるのかとふと考えてしました。

この居酒屋は,焼き鳥や唐揚げも美味しいのですが,玉子焼きも絶品なんです。

 

5810 誠実は信用の基

「内外教育」(2024年4月12日)に全国連合小学校校長会会長である植村洋司さんが「師に学ぶ校長の心得」について書かれていました。

この中で,植村さんが座右の銘としているのが,次の言葉です。

〈引用始まり〉

誠実は信用の基

努力は繁栄の基

熱意は発展の基

創造は飛躍の基

質素は安定の基

〈引用終わり〉

なかなかいい言葉だと思いました。

5809「世界からの押し返し」

千葉県の松尾英明先生から紹介してもらった『「叱らない」が子どもを苦しめる』(薮下遊・高坂康夫 ちくまプリマ―新書)を読みました。

著者の薮下さんは,学校現場で働いているスクールカウンセラーです。

この本の中で,気になった言葉が「世界からの押し返し」という言葉です。

現在の子どもは,「世界からの押し返し」された経験が少ないというのです。

柔らかく言えば,良くないところを指摘される経験が少ないことで,不適応などの問題が起こっているのです。

〈引用始まり〉

子どもたちは「世界からの押し返し」が少ないために,「思い通りにならない環境」「万能的な自己イメージが毀損される状況」「自信の無さが露呈する状況」を回避するようになります。(P94)

〈引用終わり〉

自分の子どもの頃を思い出すと,父親が壁的な存在でした。

「ダメなものはダメ」という壁です。

この壁を経験したことで,世の中には思い通りにならないことがあることを教えられたのです。

そして,その後で,母親がなぐさめてくれました。

つまり,壁となぐさめで子どもの頃を生きてきたのです。

現在は,壁とまでは言いませんが,自分のわがままを押し返されることが少ないのです。これを薮下先生は「世界からの押し返し」と言われていると思います。

 

最後に,我々教師が出来そうなことが書いてありましたので,一例を紹介します。

〈引用始まり〉

授業中に子どもたちが間違えた箇所について,「消しゴムで消させない」「間違えた答えを残したまま,正しい答えを書く」といったことが考えられます。(中略)間違った箇所をそのまま残すことで,きちんと「間違った自分と向き合ってもらうわけです。もちろん,「間違えるのは大切なこと」「間違いと向き合って,考えていくことが大事」という姿勢を教師がもちつつ関わることが前提になります。(P260)

〈引用終わり〉

いろいろなケースも具体的に紹介されていますので,学校現場で悩んでいる先生たちに,是非読んでもらいたい1冊です。

 

 

 

 

5808 週案の言葉

「週案」(授業や教育活動の計画と記録)がようやく届きました。

非常勤講師なので遅くなりました。

さて,この週案の表紙に,毎年,野口芳宏先生の言葉を書いてきました。

今年度の言葉を何にしとうかと,1時間程度,野口先生の本をパラパラとめくってみたとこと2つの言葉が気に入りました。

 

①論そのものよりも,論の具現が大切

②第一線一級の仲間に導かれて

 

どちらにしようかと悩みましたが,結局②にしました。

私が成長できたのは,野口先生をはじめとする第一線の先生,一級の先生がたとの出会いがあったからです。

感謝の気持ちを込めて,この言葉を選びました。

 

 

 

5807 子ども読書の日

今日は,文部科学省が定める「子ども読書の日」だそうです。

読売新聞「編集手帳」に「不思議の国のアリス」の著者であるルイス・キャロルの言葉が紹介されていました。

〈引用始まり〉

私たちは肉体を維持するのに3食を正しくとるが,心のために栄養をとっているだろうか。食事をするように読書をすべきです

〈引用終わり〉

私はこうやって読書を楽しんでいます。

①途中でおもしろくなくなったら,無理せずに読むことを止める。

②数冊を同時進行で読む。

③他人の書評をあまり信用しない。

④途中で読むことを止めた本を数年後に読んでみる。

⑤リンク読書を楽しむ(本の中で紹介されていた本や参考図書で興味を持った本を読む)

⑥気に入った言葉や文は,ノートに書きだす。

⑦信頼できる読書仲間を持つ。

⑧読書記録を書く。

 

最近,ホームページに読書記録のページを作りました。

その説明として,こんな文を書きました。

本は強制されるものではありません。運命的に出合うものなのです。

読書は時空を越えることができます。

会ったことがない歴史上の人物と出会い,見たことがない未来や宇宙,深海を見ることができます。

また,体験したことがない冒険や恋愛も経験できるのです。

1冊の本との出会いが人生を変えることもあります。人生観を広げ,深めることができます。

そんな本との出会いのきっかけをつくるために,このページ「こんな本と出合った」をつくりました。

この中の1冊が,あなたにとって素晴らしい出会いになることを願っています。

読書は時空を越えることができます。

会ったことがない歴史上の人物と出会い,見たことがない未来や宇宙,深海を見ることができます。

また,体験したことがない冒険や恋愛も経験できるのです。

1冊の本との出会いが人生を変えることもあります。人生観を広げ,深めることができます。

そんな本との出会いのきっかけをつくるために,このページ「こんな本と出合った」をつくりました。

この中の1冊が,あなたにとって素晴らしい出会いになることを願っています。

読書は時空を越えることができます。

会ったことがない歴史上の人物と出会い,見たことがない未来や宇宙,深海を見ることができます。

また,体験したことがない冒険や恋愛も経験できるのです。

1冊の本との出会いが人生を変えることもあります。人生観を広げ,深めることができます。

そんな本との出会いのきっかけをつくるために,このページ「こんな本と出合った」をつくりました。

この中の1冊が,あなたにとって素晴らしい出会いになることを願っています。

 

 

5806 「志事」

仕事ではなく,「志事」と書きたいです。

「志事」と書くと,自発性が生れます。

「志事」と書くと,希望が見えます。

「志事」と書くと,情熱を感じます。

「志事」と書くと,パワーが出てきます。

「志事」と書くと,仕事に行きがいを感じます。

何よりロマンがあります。

 

さあ,明日も「志事」をがんばろう!

5805 中教審素案に思うこと(その2)

中教審素案を見て思ったことの続きです。

③全中学校に生徒指導担当教員を配置

→条件付きの賛成です。

その条件とは,その担当に授業をさせないでフットワークを軽くさせることです。

そして,警察などの関係機関と連携して素早く動ける立ち位置にすることです。

生徒指導は初動が重要になることが多いからです。

 

④教員調整額を10%以上に引き上げ

→現状よりはいいので,まあ,賛成です。

給特法を廃止しなければ,定額で働かせるだけ働かせるという意識は変わりません。調整額が上ったから,もっと働けという管理職が出てくるかもしれません。調整額が上ったから,部活動指導を半強制させる管理職が出てくるかもしれません。

確かに,教員は残業の線引きが難しいです。

放課後,パソコンをながめているだけで残業をしているという教員が出てくるかもしれません。

しかし,ほとんどの教員が早朝から働き,昼の休憩も十分にとれずに,放課後も生徒指導や保護者との面談や生徒の相談,部活動指導などを行っています。その他,地域の行事やPTA行事の協力などもやっています。

これらの中にはあきらかな残業があります。この時間については,残業手当を出してもいいと思います。

 

⑤学級担任手当の支給

→おおよそ賛成です。

中学校では,担任と副担任とでは,仕事量や精神的なプレッシャーは違います。大変なのです。

ですから,せめてお金で割り切りたいという教員もいるはずです。

しかし,問題も起こりそうです。

いじわるな副担任が,手当をもらっているという理由で仕事を担任に丸投げするかもしれません。

2人担任制をとっている学校に勤務したことがありますが,これはこれで難しかったです。2人の連携がうまくとれればいいですが,年齢差が大きかったり,相性や教育方針が違ったりする場合は,若手教員がつらくなります。

 

どうにかして,学校現場を良くしたいという文部科学省の気持ちはわかりますが,この素案通りに進んだとしても,現場は良くならないと思います。

 

とりあえず,勝手に考えていることは,

①教員の数を増やす(常勤)

→生徒数減を見越して,増やすことをためらい,非常勤でなんとか凌ごうとしていように見えます。現在,困っている学校が多いのです。現在を変えないと未来はないです。

②年間総時数を減らす。

→現在の1015時間を980時間にして,1日当たりの空き時間を2時間は確保する。

③研究指定校をなくす。

→多くの時間がとられ,生徒に向き合う時間が減ります。2年間の研究をしたらオワリというやっつけ仕事観が強いと思います。

また,研究の成果が生かされているのかは疑問です。

全国学力調査をなくす。

→全国平均などと比較されて,生徒の学びのモチベーションが下がります。

調査後の分析や研修などで教員の仕事が急増します。

「学力向上」ばかりが強調され,型にはまった授業を要求される場合もあります。

授業の自由度が下がっているように感じます。

つまり,教員の授業に対するモチベーションが下がっているのです。

⑤定年を60歳に戻す。

→62歳になる私が実感していることです。体力的に厳しいです。若い頃の情熱を維持することが難しいです。

生徒との年齢差が大きいことで,生徒理解が難しくなってきています。

65歳定年なったことで,ベテラン教員のため息が多かった現状をしっかりと見て欲しいです。

私は60歳で定年退職しましたが,これが65歳まで働くとなったら,定年まで働く自信がありません。おそらく身体を壊して早期退職したと思います。

 

教師は,子どもの未来に直接関わることができる素晴らしい仕事です。

どうか,多くの若者が教師を志す根本的な改革を急いでほしいものです。

 

「機動戦士 Zガンダム」のクワトロ・バジーナシャア・アズナブル)の名言です。

「新しい時代をつくるのは,老人でなはない」

その通りです。

5804 中教審素案に思うこと(その1)

19日に,文科省中教審で教員の働き方改革をすすめる素案が発表されました。

そのポイントが,読売新聞に掲載されていましたので,中学校教師としての考えを書いておきます。

 

①すべての教員の残業を45時間以下にする。将来的には月20時間を目指す。

→情報セキュリティの関係で文書や教材,資料等を自宅に持ち帰ることはできません。ということは,学校で仕事をするしかありません。

若手教員は教材や文書のストックが少ないため,学校に残って仕事をするしかないのです。

→土曜日の部活動指導時間を,平均3時間とすると月12~15時間となります。しかし,公式戦があると8時間近くはかかります。これだけでも20時間は超えます。教員を部活動指導から完全に切り離さない限り,残業45時間や20時間は不可能です。

②新卒1年目には学級担任を持たせない。

→これは賛成です。

初任者指導を担当していた頃に,市教委へ言い続けたことです。

3月までは大学生だった人間がいきなり教師になるわけですから,うまくいくはずがありません。特に学級経営そのものが分かっていませんから,次第にくずれはじめます。

加えて,初任者研修が多く,学級につくことができない時間が多くなります。

また,年間数回の研究授業をさせられますので,指導案作成や授業準備などで多くの時間がとられてしまします。(中には,市教育部会や市や県の研究指定校の公開授業を初任者にさせることもあるから驚きです。ベテラン教師が,やりたくないので初任者に丸投げするのです。)

授業が上手くなる前に,学級経営をしっかりと学ばせる必要があります。

授業が上手くなるのはあとからでも大丈夫です。下手な授業でも生徒はついてきてくれました。私の場合はそうでした。

 

ですから,まずは1年目は副担任をさせて,いろいろな先輩教師の学級経営を徹底的に学ばせることが重要なのです。

「授業で勝負」ではなく,「学級経営で勝負」させるのです。

(続く)

 

5803 1週間が終わりました。

新しい勤務校であるS中学校での1週間がようやく終わりました。

ようやくと感じたのは,とても疲れたからです。(腰痛を我慢しながら授業をした日もありました。)

しかし,3時間の授業を行った2年生(2学級)は,授業システムに少しづつ慣れてきて,授業に活気が出てきました。

学習意欲が高い生徒も多く,毎日の自学ノート提出も増えてきています。

朝から自学ノートを提出する生徒もいます。

ちなみに,今日の提出冊数は,22冊(2学級で75名)でした。

また,担任の話では,「社会科の授業が楽しい」という多くの声がでているということでした。

たった1週間ですが,こんな声が出ていることが正直うれしいです。

61歳になると身体のいろんな部位にガタがきていて,少々つらい時もあります。

余談ですが,定年が延長されましたが,65歳まで健康に勤め上げる教師はどれぐらいいるのかとふと思いました。

しかし,生徒から元気をもらえるということも事実です。

来週も,何とか楽しい授業になるようにがんばろうと思います。

そのためには,土日はゆっくり身体を休めます。

 

 

 

 

 

 

5802 「勉強」か「啓発」か

呉智英(くれともふさ)さんの「健全なる精神」(双葉社文庫)は,何回読んでも知識が増えます。

さて今回は,教育についてです。

「勉強」という言葉の本来の意味は,勉めを強いることです。

つまり,何らかの強制力が必要だということです。

この本の中で,呉さんは,学校を「強制装置」という言葉を使って説明しています。(p80)

確かに,学校は,(行くたくもない)子どもを一か所に集め,(好きでもない人間と一緒に)学級に所属させ,(受けたくもない)授業を受けさせ,(好きでもない)給食を食べさせ,(やりたくもない)掃除をさせ,(早く帰りたいのに)16時近くまで拘束しています。

まさに,学校は,立派な「強制装置」として働いています。

さて,孔子は教育について,「論語」の中でこう言っています。(p81)

「憤せずんば啓せず。悱(ひ)せずんば発せず」(述而編)

意欲が込み上げてくる(憤)のでなければ,教(啓)えてもしかたがない。答えが喉元まで出かかっている(悱)のでなければ導(発)いてもしかたがない。

つまり,孔子が考えた教育は,「自発性尊重教育」なのです。

上に挙げた話から「啓発」という言葉が生まれたそうです。

この話から,こんなことを考えました。

現在,国が進めている学校教育は,まさに孔子が考えた「自発性尊重教育」だと言えます。

「個性の尊重」

「主体的な学び」

「学びの調整力」

「学び合い」

「表現力」

「思考力」

ファシリテーターとしての教師」

「反一斉授業」

「反詰め込み教育

「知識を重視しない」

などの言葉が流行していることからもわかります。

つまり,現在の学校は,もはや「勉強」という言葉が使えない状況だと言ってもいいでしょう。

まさに,国は学校を,「啓発」をする場にしようとしているのです。

本来,強制装置である組織である学校で,生徒を「啓発」することはとても難しいことだと思います。

その難しいことをやろうとしているからこそ,様々な問題が噴出しているのです。

学校の軸足を「勉強」に置くか「啓発」に置くかはっきりさせない限り,学校の迷走は続くのです。