私的『みつどもえ』体験

松岡さん…あなた死んじゃうんじゃないの?」(挨拶)
解説:チャンピオン誌上での連載における、ここ数回の松岡の厚遇ぶりが、ともすれば死亡フラグに見えてしまう。べ、別に心配してるわけじゃないんだからね!(そらそうだ)



…といったような序文に続けて以下の文章をちまちま書いてたら、その間に出たチャンピオン最新号にて、死亡フラグにあらず、脂肪フラグであったか!という綺麗なオチが盛大について(俺ん中では)、なんだか幸せ、一人勝ち(意味違う)。
最近はほのぼのとしたテイストになりつつある『みつどもえ』の中でも、いまだ絵として明らかにヤバい、もろイッちゃってる、あからさまなエロ要素として残る松岡の恍惚の表情ですが、作中ではそれもっぱらタナトスとしてあるわけですよ。彼岸の世界にトロける松岡さん、なんですよあぶねーなぁ。そんな彼女が、この夏は生きる悦びを謳歌できたわけです、食って寝て。よかったね!(泣いてたけど)



やあやあ。(↑始まってもいねぇよ)今年の夏は『ちはやふる』の大人買い&読みふけりに始まり、『みつどもえ』の大人買い&読みふけりで過ぎていったgenbaraです。『へうげもの』、の最新巻ももちろん買って読みました。どおくまん、も私的に今後読むべき作家だと目してはおるのですがね。えーと。浮かばねぇなひらがな5文字。
さて、おもしろいですねぇ『みつどもえ』は、と今更ながら。ちゃんと始めから読んだら、すごくおもしろかった。私の『みつどもえ』体験は、チャンピオン誌上の連載に2008年末から目を通すようになる→単行本の8、9巻を出た直後に買って読む→アニメの放送を3話まで見る→1〜7巻を買って読む→おもしろいですねぇ『みつどもえ』は(←今更ココ!)、というものです。
そんなわけで、アニメ2回目まで見た後、(単行本は8、9巻しか読んでない状態で)当ブログにて書いた感想はこのようなものでした。

この作品、私は原作単行本購読してる(まだ近刊のみですが…)んですけども、アニメ2回目後半にしてやっと期待してたものが見れた、と。この手のオチ含めて話運び決めてみせる辺りが『みつどもえ』の魅力である、と当方目しております。みつば、ふたばの子供的愛らしさも、異なる形で出せてましたし。
それこそ、『団地ともお』初期の上質なストーリーテリングやガキ描写(7巻くらいまで)が変質しちゃった今、それ読みたがりな私の新たな希望の地はここではないかと。いや、時々本気でそう思えるのよ、たまにね。
(略)
変態は、よく考えたら『ともお』の方が多いような…。
(id:genbara-k:20100713)

既刊を全巻読んだ今からすれば、この文を書いた時点では明らかに、『みつどもえ』のおもしろさを十全には理解しておりません。初期の変態(的)描写の多さについても、知るよしもなく。
てか単行本読んでて思い出したんですが、俺が初めて読んだ『みつどもえ』って回転寿司の話なんですよ。ひとはの矢部っちへの告白回(何も間違ってはいない)の次の回の。あの寿司屋の話って、この作品にしてはめずらしく誰も不幸にならないじゃないですか。なったな、と笑ってたらラストのコマ、その不幸だったはずの子どもが、今日味わった“幸せ”を笑顔でママに話している。そりゃ微笑むだろ、読んでて。
で、これが俺の『みつどもえ』初体験であり刷り込みであるわけですよ。そりゃ勘違いするよ。。しかもこの回では、みっちゃんと杉崎が笑顔でツーショットしているコマに、擬音で「キャッキャッウフフ」なんて書いてあるんですよ。今にして思えば、何このサービス回。初読の俺、そりゃだまされるよ。まったく、もう一週早く読み始めていたら、俺の脳内でひとはと矢部っちの関係はどうなっていたことか!(いや、その点については、全巻読んだ現状でもさして変わらんかもしれん。)
まあ寿司屋の話までに積み上げられてきた経過と、現在の作風まで見て“流れ”知った上でならば、この回も一つの本質であり作品の魅力、という理解は可能ではあるのですが。しかし、そんなの知らない初読の私は、当然誤読しましたね。この手練れのくすぐりの心地よさ、が『みつどもえ』なのだと。いや、すでに作品知識がある今の時点から、一年半前の初読時の気分なんかうまく思い出せないんだけど、最初にこの回を読んだことをハッキリ覚えてるのは、そういう脈絡からだと思う。作品をそう認識して、「だから」評価したんですよ俺は。単行本で見返したその後に続く話については、キャラ設定知らないと笑えない内容が続くこともあってか、印象が飛んでるんです。読んだ、もとい目は通してたはずなんだけれども。
(ちなみに私は、このブログで感想書いてるビームとフェローズ以外のマンガ雑誌については、週に1、2回マンガ喫茶に行って目を通す、という生活を送っております。コンビニバイト経験者だし、この歳でマンガ雑誌立ち読みとか無理。少なくとも、俺には無理。)



で。そんな私の記憶の中では寿司の次の次の回ぐらいに載ってた話(実際載ってたのは8週間後)、はっきりと内容覚えてる、この作品おもしろい!という印象決定づけた回が、三十路手前の女教師が小6男子にしがみついてハァハァする話(何も間違ってはいない)。あれは衝撃的でした。こんなオチつけるセンスとそこまでの展開含めて、巧いな、と舌を巻きました。作品との“出会い”として忘れられないワンシーン。「どうする?/この光景をだよ/焼き付けろ」(『シルバー事件シルバー事件より。)
かくして、『みつどもえ』を“読む”に値する作品だと認識した私。だから、その根拠となる柱2本は、寿司回のほのぼの(テイスト)と女教師回の構成(技術)だったわけです。少女ズトーク&こどもコミュニティ的描写にクスクスしつつ、時々見える巧い展開にニヤリ、といった感じで一年半ほど読んできたわけですね、『みつどもえ』を。だから上記の引用では、(初期にはそれらの魅力が顕著だった)『団地ともお』を引き合いに出してるわけで。そりゃ『ともお』褒めてた呉智英が、『みつどもえ』も評価するとは思わないけどさ。(話のセレクトによってはごまかせるかもしれない。)



そんな私なもんで、まあ全巻揃える気概を持つ機会もなく、アニメ化ねぇ萌え系ノリ?と思って放送見てみたら、えーと、何?こんなノリの作品だったの?(3話見て)おもしろいなぁすごいなぁ。これが、これが松岡咲子!というわけで、すっかりやられて、原作単行本最初から買って読んでみました。なんだよー、俺が好きな展開で読ませる作劇、序盤からこんなにいっぱいやってきてたんじゃん。同時に、それだけの経験と背景持ってたキャラ達だったのね、こいつら。その上である“今”なのね。納得。おもしろいわ、『みつどもえ』。
しかし、その巧いコント的作劇の方に感心し、それを理由に作品そのものに折伏させられてしまった身としては、最近の話でその要素をあまり見られないのがやや寂しい。いや、それやりにくくなった理由は明白なんです。登場人物達が仲良くなっちゃったからですな。親密な間柄を構築しだしたからです。キャラ同士の距離が、落差が、間の溝が埋まっちゃったら、相手への偏見も持ちようがなく、同時に差異から来るスレ違いコントもできないんですよね。
もっと言えば、これは作者側の内情でもあります。連載続いて描き続けてる内に、キャラクターがみんな時間経過と経験背負い出す。内面と情持ちあわせて、文字通り成長する。その空間に作者が感情移入し始めれば、キャラを駒とするドライな視点からの作劇は難しい。だって、もう絵柄からして違いますもん。初期の絵柄が初期の幸恵とイサオだとすれば、今の絵柄は後期の幸恵とイサオと熊本さんですよ。自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)自虐の詩 (下) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)かわいくなってるんだもん。ああ、ここ数回で最後の異物(by『SOIL』SOIL 9 (BEAM COMIX))だった松岡さんまでもが、なんだかアットホーム(まんまじゃん)なことに…。



でもねぇ、別にこの点は俺、批判したいわけじゃないんですよ。そりゃ正直言えば、初期のノリの方が作家性という魅力は強かったですよ。でも、作品ってそういうもんなんです。BSマンガ夜話『リアル』回での夏目房之介氏の言葉借りれば、作者がそれだけ作品に感情移入してしまう、その傾向こそが、雑誌連載という形で発表される日本マンガの大きな特徴であり、だからこそ読者の心情も大きく巻き込んでいくんです。
「変態!死ね!」(要約)から始まったガチレンサーガも、握手で完結を迎えるわけじゃないですか。そこまで読んだいち読者として言いますが、やっぱりよかったですもんアレ。(何もつっこまない矢部っちエラい!)あの場面を見ると、私の頭の中では「和解」(『新選組!』サウンドトラック2NHK大河ドラマ 「新選組!」オリジナル・サウンドトラック第二集より)が流れるのです。ごめん嘘。本当は「和解」のアレンジ元である「誠の志」(『新選組!』サウンドトラックNHK 大河ドラマ 「新選組!」 オリジナル・サウンドトラックより)が流れます。ごめん…マジなんだ…。(毎回じゃないけど)
杉崎のウンコの話(何も間違ってはいない)なんかも、ほのぼのと笑えてすごく好きですし。あれはキャラが“仲良し”じゃないとない。だから、そこまで来て初めてやれた話がある、提示できた魅力・価値があるんだから、作風が変わった意味はあるんです、間違いなく。ああいう可愛らしさが描ける、てのはいいですね。チャンピオンなのにね。俺、『浦安鉄筋家族』でも、何年か前にやったヤニーズのクリスマスの話がたまらなく好きで、記憶に焼きついてるんですよ。年なのかしら。
で、『みつどもえ』の杉ちゃんのウンコの話ですが(カッとなってやった、反省している)、あの話もちゃんと読むと、話がどんどん変な方向に転がっていくんですよ。展開の妙で楽しませて、伏線も(それと意識させずに)うまく出しといて、回収してちゃんとオチつける。作品世界をより魅力的にする形で。だから、根底にはちゃんとあるんですよね、技術としての構成力が。子供世界で“変”、という意味ではあの話、ちょっと『団地ともお』ぽくもありますな。
というわけで書いてて気づきましたが、私が『みつどもえ』で好きなのは、よく転がしてんなー、という回です。9巻でいうと、千葉がしんちゃんのママにSMやコスプレを求める話と、しんちゃんが千葉の母ちゃんの体をまさぐる話。だからさ、何も間違ってはいないんだってば!ただ、その点からすると、やっぱり“異物”が必要かな。「エロ」という要素がそれでもありえるんだけど。大人の変態じゃシャレにならんし。



来月はいよいよ最新10巻発売ですね。ああ、楽しみだなあ。毎回胸が熱くなるもんなぁ。早く読みたい、『ちはやふる』!


もちろん『みつどもえ』も!(さすがにひどいかな、って思った)